このほど私が住む地域の小学校5年、6年の生徒たちと一緒に落語を聴くという珍しい経験をしました。噺手は、三遊亭楽団治さん。”笑点”でおなじみの六代目三遊亭円楽一門で、アマチュア落語家・講演師とのこと。毎年開かれる「城西校区人権教育合同町別学習会」は、今年は趣向を変えて”一風変わったおもろい!講演会」と銘打たれ、前半は落語『子はかすがい』、後半は、講演『子育テイメント』が演目でした。さて、子どもたちがどう反応するか。参加した自治会のメンバーたちはウイークデーの午前中とあって、主婦や高齢者が殆どでしたが、興味津々でした。父親の”飲む、打つ、買う”の道楽が原因で、家庭破壊。別れた母親と一緒に暮らす息子が、後にかすがいとなってよりが戻るというお話▼冒頭、落語でおなじみの「寿限無」を言えるかとの楽団治師匠の呼びかけに、手を挙げた子どもたちが数十人いたのには驚きましたし、「かすがい」って何だろうかと、問いかけながら現物を出して見せたりして、なかなかのスタートでした。ただ、噺のなりゆきゆきはいささか古めかしく、今の子どもたちには分かりづらかったかも。体がざわめく場面の方が笑いのおこる回数よりも多かったように見えたのは残念でした。もっとも今風の離婚家庭におけるかすがい役としての子どもをどう登場させるかは難しいかもしれません。私などは単純に、この噺のオチはどうつけるのかなあと考えながら聴き入ったしだいです▼この空気を一変させたのは後半の講演。子どもたちが退場したところへ、師匠は和服姿から今風の格好に。で、今の家庭における子育ての問題点を次々とあらわに見せて、大いに考えさせる内容でした。この人は、県立特別支援学校で4年、中学校で8年、小学校で14年と26年もの教員歴があり、落語家というよりも教育者が本業です。60歳を超えた現在は、高齢者教室、PTA・子育て教室、人権、福祉、ボランティア関係の人々を対象に各地で”口演会”を開いているというだけあって、なかなか聴かせました。なかでも、教育の現況が、子どもに強いる「強育」であったり、友だちや兄弟と比較するばかりの「競育」になっていたり、子どもを脅かすだけの「脅育」だったりしているとして、「きょう」の字が付く単語を「恐育」「狂育」「協育」「共育」「響育」「鏡育」などと、次々と挙げて説明していったのには身につまされた人も多かったはずです▼「子育て」が独りよがりの「孤育て」であったり、小さいだけの「小育て」や乞食まがいの「乞育て」であるなどとの指摘にも唸らせられました。「しつけ」が「おしつけ」になってる現状や、子どもたちの言い分を「聞く」という行為が単に耳で聞くだけであって、心や目を使って「聴く」という字のようにはなっていない、との指摘も漢字の持つ奥深さ以上のものを気づかせてくれました。子どもたちの前で学校や先生の悪口を言ったり、家族相互の陰口を言う様では、子どもにとってよくないということも大いにうなづけました。笑い渦巻く楽しい明るい家庭であってこそ、と強調されて皆なるほどと”落ちた”ものです。政治家の話が面白くないのは「落ち」(落選)を嫌うから、といつもは冗談を飛ばす私も、今日は”落ちついて”聴けました。(2015・9・29)