【105】G7広島サミットへの目線いろいろ/❶5-22

 G7広島サミットが三日間の日程を終えて終幕した。今回のこの催しをどう見るか。立場によって自ずから違うことは当たり前だが、あえて5つの視点からその成果を問うてみたい。一つは、議長国日本。二つは、NATO傘下の各国。三つは、今回招待されたいわゆるグローバルサウスを代表する国々。四つは、露中といういわゆる敵対国家群。五つは、日本の一般大衆◆まず、本題に入る前に、テレビや新聞メディアを通じて見えてきた会議に臨む各国首脳の思惑を想像してみる。まず岸田から。彼にとっては地元広島で開く、乾坤一擲ともいうべき晴れ舞台。早ければ7月か今秋と言われる解散総選挙を、圧倒的有利に導けるかどうかの試金石ともいうべき重大な機会だった。バイデンは、ギリギリまでリアル参加が疑問視されたほど、「債務上限引き上げ問題」の行方が気になっていた。〝心ここにあらず〟が本音だったはず。後のG5首脳の面々は、大なり小なり、日本・広島の〝異邦性〟に目を奪われたというところに違いない◆人を上辺だけで判断してはいけないが、かつてのヨーロッパ各国の首脳に比べていかにも小粒との感が否めない。首脳たちを、映像を通して、献花場や「平和記念資料館」周辺で見定めることさえ苦労を要したのは私だけではないだろう。英国やイタリアの首脳━━よくいえば生き生きとして、悪く言うとはしゃいでいるように見えた━━に比べて、むしろ、インドや韓国、インドネシア、ベトナムなどの招待国首脳の方が落ち着いて見えた。各国のトップに据わった時期が大いに関わってくるのだが、自ずと備わった風格の是非も気にならないといえば、嘘になる◆そんな場所に飛び込んできたウクライナのゼレンスキーは誤解を恐れずに表現すると、文字通り〝千両役者〟だった。〝危機に瀕する地球〟の今を象徴する〝危機の主人公〟として、当然ながら際立った存在感があった。こう外見を追っただけで、今回の会議の内容が透けて見えてきたのはいかんともし難い。(5-22  敬称略 以下つづく)

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