【145】大きな転機となったイラク戦争─公明党結党60年と原点(外交編❸)/2-18

第二次世界大戦から5年ほどが経って勃発した朝鮮戦争(1950-53)や、さらに10年後に始まったベトナム戦争(1964-73)は共に、〝赤化阻止戦争〟の趣きがあった。イラクのクゥエート侵攻が契機になった湾岸戦争(1990-91)では、日本の参戦が迫られたものの、〝カネ対応〟で済ませた。世紀末までのほぼ半世紀は、ある意味で従来型の戦争の時代だった。だが、21世紀の幕開けと共に戦争の様相は一変する。2001年9月1日の米同時多発テロに端を発したアフガン戦争、イラク戦争は「対テロ」戦の色彩を帯びたものであり、それまでの戦争観を大きく変えた。「テロは断じて許すな」の呼号の中で、戦争の「後方支援」に引き摺り出されることになった。イラク戦争はサダム・フセイン大統領の悪逆非道ぶりがあったにせよ、「大量破壊兵器の存在」という虚偽のフェイクニュースをもとに米国が仕掛けた側面が強かったことが後に判明する◆これは全貌が未だ白日のもとに明らかになってはいない。しかし、ミルトン・フリードマン氏らを中心としたいわゆるシカゴ学派によるショック・ドクトリン(災難、戦禍につけ込む手法)の展開という色合いが濃いという。ブッシュ(息子)大統領とネオコンのしでかした戦争とみられ、当の米国でも評判が悪く、その過ちを認める発言(コリン・パウエル国務長官)さえ出ている。これは英国でも同様で、未だにその戦争加担の責任について何ら総括をしていないのは日本だけとの見方も強い◆私自身、20年間の国会議員生活の中で、この戦争に「後方支援」にせよ関わった日本の与党勢力の一員として、自ら「戦争肯定の発言」をしたことに後味の悪さを自覚している。ウクライナに侵略をしたロシアの責任を声高に叫ぶ声を聞くたびに、米英のイラク戦争に思いをいたす。日本の参加はあれで良かったのか、と。もちろん、当時を振り返ると、政権の責任者たちは平和憲法の枠組み中で、国際社会における責任を損なわずに、どうすればその役割を真っ当に果たせるかを考え抜いた。その結果、イラク・サマワ地域での道路、河川の補修、整備など非戦闘行為に限定して従事した◆だから、やましいと思う必要はないとの声もある。だが、当時、仏、独などNATO傘下の国家でも独自色を出して、米英に一定の批判の眼差しを持った国があったことを思うと、「イラク戦争」に何も発言しないという現状に、物足りなさを抱かざるを得ないのだ。(2024-2-20  一部修正  この項続く)

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