◆問われるのは「よりマシな選択」
野党や一部新聞論調では、公明党も自民党と〝同じ穴のムジナ〟だとの声があります。衆議院サイドの議論調整の終盤になって、維新の「政策活動費の10年後公開」を自民党が受け入れたことから、ムジナが三頭になったと揶揄(やゆ)する声も聞こえてきます。確かに、あるべき理想論からすれば、中途半端で抜け穴だらけとの見方も否めないかもしれません。ただし、残念ながら今の自民党を構成する多数派がヨシとする考え方(合法的にオカネを集めるのは当然)は、世の中での通常の考え方(オカネをかけずに知恵と工夫で政治を行うべし)よりも支配的です。与野党で合意できるギリギリの妥協点を見出すしかなかったといえるのです。
公明党の後半30年の与党としての戦いぶりを評論する際に、私は「安定」を重んじるあまり「改革」が疎かにされてはならないとの議論を一貫して展開してきました。一昨年の拙著『77年の興亡──価値観の対立をめぐって』でも、昨年の『新たなる77年の興亡』でも、徹して「安定よりも改革を」との主張を続けました。これまでの動きも前回に見たようにいささか問題なしとしません(安定が優先する傾向)でしたが、ここへきて、公明党は結構頑張ってるとの評価も見られるように思われます。
政党の政策選択を判断する場合に、理想を追うあまり現実的な合意をそっちのけにして、空理空論に走る愚を犯してはならないと思ってきました。結論的にいえば、「よりマシな選択」をするしかないというものです。今回の政規法の改革でも、どの党が「よりマシな判断」をしたのかが問われ、次の「改革」「前進」にどう繋げていくかが大事なのです。
◆国家ビジョンを「自公」で戦わすことこそ、
実は自民党の不祥事から湧き起こった今回の政規法改正をめぐる論議については、法改正はもちろん大切ですが、同時に私はもっと大事なことがある、そっちを忘れて、ただ法改正をしてそれでおわりではないと言ってきました。第一幕の政治改革の戦いだった30年前と、今回の第二幕目とで違う点は、自公の関係です。少なくとも以前より関係が深まったといえるはずだからです。つまり、法改正だけでなく、ものの考え方に影響を与えることが大事だということです。政治とカネは、「法改正」というハード面とともにソフト面でも、「発想の転換」が重要なのです。
例えば私は、今回の事件の決着は本当は自民党が旧派閥ごとに分裂して新党を作るのが一番スッキリするという議論もこの欄で展開しました。また、公明党は自民党との間で、常日頃から国家ビジョンを戦わすべきであって、選挙互助会的連立であってはならないとも述べてきました。党創立者である池田大作先生が残された数々の「遺訓」を軸に、「池田思想」を自民党議員との間で議論せずして、何のための連立かとも考えてきました。
過去の党の歴史において、〝心ならずも〟そういった創立者の思いとは裏腹に、核廃絶を曖昧にしたまま温存し、大衆の側に立つといいながら、経済的貧富の差が拡大することを許してきました。これでは、「(心)ならず者」じゃあないか、とさえ。これは背後に、私自身の強い反省もあります。現役時代に、心ならずも出来得なかったことだからです。我が同僚、後輩たちも大なり小なりそういった反省の心を共有しながら、一歩でもニ歩でも改革の道を歩んで、よりマシ選択を続けていくものと信じています。
「60周年」後からの新たなる我々の前途には、「大きな路線の選択」が待ち受けています。それは、どういうものでしょう。私は2つの道があると思います。一つは、これからも自民党という問題含みの巨大政党を、まともな政党にすべく内側からの矯正力を強めるという生き方です。二つ目は、自民党が今回の政治改革の道をまたも踏み外し、世論の指弾を受けることがあったり、公明党と袂を分つ勢力が台頭してきた場合に、政権の座からひとたび離れるという選択です。
もちろん未来予測、仮定の話ですから、憶測を重ねることは避けるべきでしょうが、民主主義とは政権交代が可能な仕組みを意味するものである限り、庶民大衆が望む、よりよき政治選択を求めて自在に融通無碍(ゆうずうむげ)に動く必要があります。私の「77年の興亡」論からすれば、既に第三の「77年の周期」に突入しており、悠長なことをいっている余裕はありません。〝公明党かく戦わん〟との政権構想、国家ビジョンを掲げての新出発を強く望んでやまないのです。(2024-6-11この項終わり)