◆「強弱まだら模様」の自民党との悪戦苦闘
前回の最後に、「個人的な思いや現実は別にして」と書きました。これには複雑な思いが感じられると思います。芝居に例えると、舞台上で、ひいきの役者が反権力で戦ってると思っていたのに、いつの間にか権力に寄り添った役回りをしているのを観せられたようなものです。そんなことが起こると「金返せ」と大騒ぎになります。普通はあり得ないことが起こったので、受け止め方は千差万別のはずとのニュアンスを込めました。
しかし、与党になることで庶民大衆の暮らし向きが良くなる方向へ転換するのなら好ましい、とのスタンスに立って21世紀初頭の連立政治に公明党は対応していきました。政権の中核たる首班の色彩は文字通り〝強弱まだら模様〟(小泉、第二次安倍の強い内閣と、森、第一次安倍、福田、麻生の非力な内閣)で、平均2年に一回は首相が交代する有り様でした。弱い政権時には「安定」におおわらわで、強い内閣時には〝歯止め役〟に必死だったというのが正直なところです。連立政権での「改革のエンジン役」と、過ぎたる右傾化への〝歯止め役〟を演じたと「正史」(『公明党50年の歩み』)にはありますが、少々自画自賛気味といわざるをえません。
一方、外では「米ソ対決」から「米一極支配」を経たうえでの「多極化(米中対決含み)」へと目まぐるしい変化の連続です。今はウクライナとガザでの戦争を前に国連の無力と国際政治の無法化が嘆かれています。「平和の党」公明党の存在感もどこへやら、日本の「安全保障」は窮地に立たされているのが現実なのです。
まさにその混乱時に、自民党の派閥による政治資金集めのパーティー券の処理が裏金作りと重なっていた由々しき問題が起きました。30年経って再発した「政治とカネ」の問題を前に、公明党支持者の心中は穏やかではありません。「なんだ、結局元の木阿弥じゃないか」「金権腐敗の自民党政治を公明党は変えられなかったのか」との嘆きの声が高まりました。「半端な対応は許さない」「何が自公政権だ!」との怒りでした。
◆「後半30年」の最後に見せた決まり技
こうした大衆の怒りを受けて公明党はまさに乾坤一擲(けんこんいってき)の戦いを強いられました。その結果、週末に政規法改正案が通過した衆議院では、公明党が最後までこだわった修正案を岸田首相が丸呑みしたことが話題になっています。当初から主張し続けてきた、いわゆる連座制の強化の導入で、会計責任者だけでなく、議員自身に対する罰則を定めたことを始め、政治資金の透明性を向上するための6項目を反映させたのです。加えて、パーティ券購入者の公開基準額を巡って、現行の「20万円超」から「5万円超」へ引き下げることや、政策活動費の使途公開を明確にすることなど、自民党がずっと渋ってきた課題を修正案に反映させることが出来ました。背後には並々ならぬ粘り強い戦いがあったはずで、精一杯、称賛したいと思います。
尤も、野党やメディアは未だ「ざる法」だといっていますので、今後参議院での論議が注目されます。これでおしまいではなく、更に議論を重ねて一党でも多くの政党が賛同出来る様な中身にする必要があります。
この「公明党60年」の後半30年の最後の年における政規法改正をめぐる戦いでの成果は、大相撲に例えると、土俵際に追い詰められながら、起死回生の投げが見事に功を奏したものといえましょう。相手が突然体調を壊した敵失のおかげだなどとは敢えていわないことにします。「もり・かけ・さくら」と揶揄された安倍政権下の強権的政治手法と経済格差の拡大という庶民生活への圧迫に対して、目に見える抵抗や変革をなしえてこなかった公明党にとって、一矢を報いたといえるでしょう。ですが、これで「終わりよければ全てよし」とはいきません。二の矢、三の矢を期待したいものです。(2024-6-8 つづく)