先日都内で開かれたある研究会(元官僚やメディア関係OBの集い)に初めて参加しましたら、会合の終わり近くなって著名な政治評論家の方から「衆参ダブル選挙は創価学会としては許容出来るのでしょうか」との問いかけを突然に頂きました。安倍首相やその周辺から、その雰囲気がそこはかとなく漂ってきており、メディアでも囁かれているからでしょう。私は、「今は地方に住む最先端の一会員ですから」とお断りしながら、個人的な見解として「(首相の専権事項ですから)やるとなったら、最終的には従うしかないでしょう」と至極当たり前の答え方をしておきました▼もちろん、衆議院と参議院の選挙を同時にやるというのは議会制民主主義、二院制の主旨、基本精神から言って邪道であり、望ましい政治選択ではありません。ただ、「許せない暴挙だ」とかの感情論で済む問題ではないでしょう。一般的な常識に抗して、首相が自らの政治運営にとって最適と判断してその手を打ってきたら、受けて立たざるをえないのが与野党すべての”さだめ”なのです。もちろん公明党は最後のぎりぎりまで、衆議院解散に大義名分がない(今の時点では)ことを訴えるに違いありません。断固反対の立場は当然です▼安倍首相が仮にダブル選挙を仕掛けてくるとしたら、その狙いは何でしょうか。自然に任せて参院選をすれば、自民党が議席を減らし与党で過半数を獲得する可能性が低くなり、かつてのように衆参ねじれ現象が再現するとの見方があります。それを防ぐには、政党勢力の体力が弱いほど一般に勝ち目の少ない(逆にいえば体力のある自民には有利とみられる)ダブルに賭けるということでしょう。衆議院の現有勢力に参議院の結果が引っ張られるに違いないとの見立てです。その背景には、衆議院での3分の2の議席を与党で有しているチャンスをみすみす逃したくない、一気に参議院でも多数議席を得たいという願望が透けて見えるのです▼要するに、憲法改正へのあくなき欲求が安倍・自民党には根強くあります。私は衆議院憲法調査特別委員会に長く身を置き、憲法への関心の高さは人後に落ちないつもりです。憲法を不磨の大典として一切触らないということではならないと思います。我々平成の今に生きる日本人の手で新たに憲法を作るべきだというのが私の持論です。しかし、あくまでそれには国民的合意が背景になければなりません。優先されるべきテーマは「9条」ではありません。現行憲法の中で、制定時には想定されていなかった項目を新たに加えたり(環境権)することが想定されます。それでは安倍首相らに利用されるだけというのは、いわゆる敗北主義ではないでしょうか。後ろ向きの姿勢で課題を先送りすることがあってはなりません。憲法のあるべき姿をめぐっての国民的大論争が待ち望まれているのです。(2016・2・3)