映画『最愛の子』を観て日中相互理解に思いをはせる

3歳児の男の子が誘拐されてしまい、必死で親が探す。その間の心の葛藤と人生模様。垣間見える社会の暗部。世の中の仕組みとの軋轢。ありとあらゆる社会的問題が提起される。3年間の悪戦苦闘の末にやっと取り戻す。しかし、そこからまたもっと深刻で新たな問題が発生し、本格的な苦しみや闇の世界の展開が始まる。はらはらドキドキしながらの二時間余り。いろいろと考えさせられ、少々疲れたが映画の面白さを堪能した。香港映画『最愛の子』を観ての感想だ▼大陸中国の今を映像を通じて知りたいと、観に行った。どこにでもある夫婦の離婚。地方の貧しい生活の実態。零細な個人商店の厳しい生活。年老いた親の面倒をみる子のつらさ。私たちの身のまわりでも日常的に見られる風景と基本的には同じだ。違うのは、基本的には一人しか子どもを持てない中国の国家政策がもたらすひずみ。人身売買などのビジネスやら子を連れ去られた親たち相互の励ましあいの会の存在などは、日本人の目と心を奪う▼親が子どもにかける思いはどんな国でも社会でも不変だなあと観入っていた時に、ふと先年の映画を思い起こした。福山雅治主演で話題を呼んだ『そして父になる』だ。こちらは、誘拐ではなくて病院のミスによるこどもの取り違えだった。そして現代日本での父親のあり方というものが問われていた。共通するのは、実の親と育ての親と子どもとの親近感の差。映画そのものの出来具合は、多少の救いを感じさせたのと救いがないものとの違いだろうか。前者を観て私は自分の父親としての過去を反省させられた。後者を観ての感想は、日本人で良かったとの思いを禁じ得ないこと▼今私は今年から所属することになった一般社団法人「安保政策研究会」のリポート誌に寄稿する文章を書き進めているところだ。テーマは「一中国学徒が見た日中関係の50年」というもの。昭和43年(1968年)創価学会学生部総会で池田大作会長(当時)の講演を聴いて中国問題に開眼していらいの経験をまとめている。かつての日中友好ムードが今はなく、相互に反目の連鎖が目立つ。これをどう解決するかに心を砕いている折にこの映画を観たわけだ。結論は、子を持つ親としての感情の輪の広がりを大切にするところにあろうかと思うに至った。映画芸術がもたらす効用は少なくない。文化交流こそむつかしい国家間の相互理解を進めることを改めて確信した、(2016・2・9)

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