●「組織依存」から議員(政治家)の独り立ちへ
小選挙区が全敗した15年前のこと。近畿比例区の公明党候補者として名簿順位5番だった私は落選しました。ところが一人勝ちだった民主党の名簿登載者が3人分ほど足らず、うち一つが公明党(あとは自民党)に回ってきたのです。公明党の人間が民主党のミスのお陰で〝繰り上げ〟当選することになりました。必死に応援して頂いた支援者がもたらしてくれた「奇跡」として受けとめました。奇妙な選挙制度のせいですが、以来、選挙の当落は、候補者の運不運に関わり、支援者の果報は流した汗に比例するとの思いを持つに至っています。
昭和40年大学入学と同時に公明党員になった私は、卒業と同時に党機関紙局に就職しました。ほぼ結党当時から公明党の盛衰を見てきたことになります。19の歳から79歳の今年まで数多の選挙に関わってきました。いつでもどこでも懸命に応援してくださる創価学会員、支援者の献身的な姿が思い浮かびます。選挙は候補者自身が己が一人の力で、当選に必要な票を稼ぐ決意をし、実際に築いた人脈を掘り起こすことに尽きます。過剰なまでの「組織依存」は、結果的に浮動票層を投票行為から遠ざける側面が強いのではないでしょうか。
公明党の原点は「大衆と共に」の旗印ですが、同時に目指すべき目標は「世界平和、大衆福祉」でした。当時の政治はイデオロギー偏重で、大衆を忘れ金権腐敗にまみれていました。そうした支配的状況を打開するべく立ち上がった公明党大衆は「政界浄化」がゴールで、自前の「政権戦略観」は希薄でした。「政治のプロ」の歪みを糺し、本来の姿を取り戻せば、「政治の素人」は誇りを持って退場するとの筋書きだったのです。
●公明党の前に横たわる3つの選択肢
結党からの前半30年はしゃにむに「自社55年体制打破」に走りました。それをほぼ成し遂げてからの後半30年はひたすら「自公連立政治の安定」に尽力してきました。連立道半ばの15年前の挫折は、自民党は余力を残して病で中途退場した安倍晋三氏の復活で見事に立ち直り、「自公大小分業政治」も持ち直しました。今、15年目の「自公再びの惨敗」は、連立政権に舵取りを切ってほぼ30年間の公明党が迎える〝初めての転機〟ともいえます。さて、これからの公明党にとっての政権選択とは何か。大まかに3つほどが考えられます。
一つ目は、従来通りの「自公政権の存続」です。既に早々と両党首の間で政権合意の確認がなされたのは周知の通りです。これは総選挙後の国会での首相指名選挙結果を待たねばなりませんが、自民、立憲民主による多数派工作の推移が注目されています。公明党は今まで同様に自民党と意気を合わせ、政権安定に寄与する勢力との政策合意(既に国民民主党を加えた三党間で協調確認済み)を軸に進めようというものです。かつての「自公民路線」(自民、公明、民社)を想起させます。現状では最も普通の「安全運転」に見られます。
二つ目は、自公連立から離脱して、〝孤高のひとり旅〟を選択する道です。今の時点でこれを持ち出すことは、一般的に理解不能で、荒唐無稽な選択に取られるかもしれませんが、自公政権への世論の不人気さを鑑みればあながちそうとも言い切れません。政界再編への引き金となり、天下大乱を招きかねず、それはまた、「60年目の転機」に相応しい道かもしれないのです。60年前の党のスタート時に戻る選択と言えます。
三つ目は、野党第一党の立憲民主党と歩調を合わせる路線です。様々なシュミレーションの一つとして、同党からの呼びかけめいた動きが永田町にこだましているようですが、二つ目の選択と同様に理屈の上では十分に成り立ちます。自民党を糺す奥の手です。かつての反自民・社公民路線(社会、公明、民社)を思い出します。
二、三は共に危険で無謀な運転に見えますが、各政党の動き如何という変数によって状況は変化してきます。ここでも大事なことは、公明党大衆だけでなく、多様な価値観を秘めた国民大衆の声なき声に耳を傾けていくことだと思われます。
●〝踊り場での知恵比べ〟に勝つこと
拙著『77年の興亡』で、私は〝みたびの興亡のサイクル〟を前に、国民的大論争を起こそうとの問題提起をしました。政党の単なる数合わせではなく、政党・党派の量的差異を越え、世代間の感性の違いを超えた忌憚なき意見の交換が明日の日本を作るはずです。15年前の問答無用のごとき「政権交代」ではなく、「与野党伯仲」状況という〝踊り場での知恵比べ〟の機会を天が与えてくれました。これをそれぞれの党の建て直しにどう生かすのか。大事な局面です。
何もかもが変わりました。世の中の風景は60年前とは違うし、30年前とも、15年前とも異なっています。見倣うべき前例はありません。ここから先は、既成の、ありきたりの古びた発想をかなぐり捨てて、自らが大胆な転換をするしかないのです。その主体・自身の変化からやがて客体・環境の変革が起こり得るに違いないのです。この党をどうするかの議論をまず国会議員の間から起こして欲しいと思います。(2024-11-3 この項おわり)