壮絶な戦いだった衆院選と兵庫県議選を終えて、久方ぶりに束の間のお休みを得ることが出来た。11月1ヶ月のうちに、あれこれと動き、多くのひとと旧交を温める一方、初めての地での新たな出会いをも経験出来た。ここで時系列を追って、かいつまんで報告したい。
まず、11月9日から一泊2日で南紀・白浜温泉に行ってきた。毎年恒例の関西連合三田会による各県持ち回りの企画である。関西各県から200人近い人が集ったが、姫路慶應倶楽部からも仲間10人ほどが参加した。伊藤公平塾長はドイツでの大学学長会議のため欠席されたが、現役生たちの学問、スポーツ両面での活躍をビデオで印象深く伝えてくれた。またいつもながら、大学への寄付の重要性が例年にも増して強調された。何とか応えねばと思ったしだい。夜は、アドベンチャーワールドのサファリテーマパークへと移動して、サイに餌を与えたり、ライオンや虎などの肉食動物の実態をつぶさに見た。夜間の動物の生態を見るのは珍しく、忘れていた自然の凄みを感じた◆11月16日は、姫路での「諸井学氏の出版を祝う会」に参加してきた。このひとは電器商を営む一方、小説を書く。しかも、日本古典文学(特に和歌文学)と、ヨーロッパ現代文学(特にポストモダン文学)に精通する。いわば〝二足の草鞋を履く二刀流の使い手〟と言ってよい。このたび上梓された『マルクスの場合』は、古代ローマ帝国時代の第16代賢帝マルクス・アウレリウス・アントニウスの名前を拝借したという「犬」にまつわる奇想天外な物語を描いたもの。姫路の著名なドクター石川誠先生の呼びかけで開催が実現した。私もかねてからの友人として世話人に名を連ね、遠くは東京、横浜、広島、徳島など親しい仲間10人に声をかけた。中でも中野時代以来の後輩・林光政君は京都・祇園の舞芸妓とお茶屋の女将を連れて参加してくれ、会場を一段と華やいだものにしてくれた。また、大学以来60年の盟友・尾上晴久君は歌舞伎の名場面を再演する十八番を披露して会場を沸かせてくれた。他にも、『首都感染』で知られる作家・高嶋哲夫さんや神戸学院大の相島淑美教授らも錦上花を添えてくれたことは忘れ難い◆11月22日は、東京三田で、昭和44年卒業の同級生13人が懐かしい慶應仲通りの中華店に集まった。卒業後55年が経ったが、この30年あまり毎年集まってきたメンバーが今年も元気に姿を見せた。私は「欠席」と事前通知していたが、選挙が前倒しとなって無事に参加出来た。「近況報告」では皆身体の不具合を訴えるケースが目立ったが、得意のギター演奏を披露してくれる者がいたり、明治維新での幕臣の隠れた立役者のひとり「小栗忠順との出会い」を語った、歴史好きの仲間もいて、大いに盛り上がった。私は求められるままに昨今の政治情勢を語った。終わって、三田祭の賑わい
さんざめく中を、慶應義塾図書館旧館2階に足を運び、「福沢諭吉と近代日本の歩み」を常設展示する「慶應義塾史展示館」を観に行った。帰りに旧知の福澤諭吉研究センターの都倉武之准教授と久しぶりに会うことが出来た。この人からは姫路で幾たびか福澤先生の人物像を語って貰ったことがある。その日は夕刻に、大隅一興君と、尾上君と3人で宇都宮に移動して、夕食を共にしながら、〝我らが60年の人生〟を語り合った。彼らは拙著『77年の興亡』を読み込んでくれており、行き詰まりを見せる目下の内外の情勢を巡って、むしろ今こそ中道主義の公明党が立ち上がるチャンスだと励ましの言を述べてくれた。「与野党伯仲の再現」は、〝合意創出の公明党の出番〟だというわけである。昭和40年慶應入学以来の公明党員としての私の動きを知ってくれている〝同期の桜〟たちの激励はたまらなく嬉しかった◆翌23日は、宇都宮市内を走るLRTに30分乗ったあと、車で「大谷資料館」に向かった。ここは地下奥底深くに掘り広げられた神秘的空間ともいえる。このような大谷石の歴史を初めて知って、まさにたまげる思いを抱いた。午後は宇都宮名物の餃子入り出し汁のうどんを食べたあと、埼玉県行田市へ。その地に住む中野時代から親しい関係が続く後輩・大塚俊彦君夫婦と再会した。彼らに、埼玉古墳群の二子山古墳やさきたま神社、水城公園周辺を案内して貰ったのち、先の衆院選・埼玉14区での選挙戦の総括と次なる戦いの展望を語り合った。その結論は、一言でいえば、「自前能動」。キャッチコピー風に言えば、「楽しく面白くなければ選挙活動じゃない」というところか。50年来の同志の心温まる歓迎を胸いっぱいに受け止めながらの語り合いは、何よりもの栄養源となった。(2024-11-25)