「当選した君には興味ないが、落ちた君には大いに関心がある」━━そう〝泣かされる〟セリフを口にして、私が最初の選挙で落選した時に物心両面から励ましてくれた外部有力者がいた。もう35年ほど前のことになるのだが、はっきりと覚えている。有り難かった。私の場合は初陣での落選だから、また元の職場に戻ることが出来た。しかし、現職議員で落ちると、様々な面で苦労する。収入源の確保から何やかやと大変である。去年の衆議院選挙は大阪の4小選挙区の公明党現職が全敗だったので、それぞれ再起に向けて(一人は引退だが後の3人は)悪戦苦闘中である。そのうち、伊佐進一・前衆議院議員が主宰する「サブチャンネル」(ユーチューブ)で選挙プランナーの松田馨さんと対談しているものを見た。公明党の選挙戦略に問題を投げかけていたものだが、これからの選挙戦を考えるうえでの課題として取り上げてみたい。
⚫︎選挙プランナーが投げかけた3つの疑問
松田氏は、①公明党はなぜ小選挙区と比例区に重複立候補しないのか。しないことで多くの死票が出てしまうのはもったいない②党代表選挙をなぜ普通の形でやらないのか。結果的に無投票で終わってきてるのは惜しまれる③公明党は創価学会員以外にも党員の門戸を開くべきだ。閉鎖的に感じる━━以上の3点に要約される。
いずれもかねてから関係者の間では議論されてきたが、採用されるには至っていない。結論をいうと、彼の指摘通り導入すべきだろう。やっても期待通りの結果は出ないかもしれないが、やる価値はある。公明党は普通の政党とは〝良いも悪いも違う〟というイメージが付き纏っている。それを払拭出来ると思うからだ。
このうち私がかねて主張してきたのは②である。他の2つは、これまでは賛成できない立場だった。まず①から。これは今の選挙制度そのものが持つ問題点に起因する。重複立候補を認めているのだから、小選挙区で落ちても惜敗率が高ければ救われていいという意見だろう。しかし、基本的に定数1の小選挙区で負けたら「敗者復活」はないと言うのがスジだろうと思ってきた。だが、制度としてあるものを採用しないのはやはり「痩せ我慢」かもしれない。今回のように若くて優秀な議員が惜敗すると、本当にもったいないというのはその通りだ。ただ私のような単独比例区で5回当選してきた人間からすると、複雑な思いにならざるを得ない。「重複あり」なら、皆平等に小選挙区に出て1議席を取る戦いに参画させて欲しい。贅沢言うなと言われそうだが、単独比例区候補は種々の意味で惨めな思いを味わう。これを機に、重複をする方向を考えるべきだろう。
②については、党代表選挙は絶対実施するべきだ。去年の衆院選前に自民党、立憲民主党が党首選挙を行ったのを横目に、公明党はあいも変わらず「無投票」でお茶を濁した。せめて選挙期間中にたとえば国家ビジョン、外交安保政策、社会保障政策などテーマを決めて党内議論をすべきだと主張したが、それさえもなかった。代表選挙をやれば、波風は当然立つが、必ず公明党の支持層は増えるはず。小さい政党が分断されてしまうとか、派閥が出来るからというのが反対論だが、そんな俗論に怯んでいてはならない。やれば公明党へのイメージが変わる。
③については、一番難しい。とっかかりとしては、党員の集まる支部会をもっとオープンにすべきだろう。党費云々の問題やら諸々あるものの、党全体が特殊な人々の集まりであるとのイメージを変えるためには、これこそ第一歩かもしれない。公明党の持つ素晴らしい理念、政策、さらにはその基盤としての日蓮仏法の凄さを国民みんなの前に開けっ広げにすることに躊躇する必要はない、と思う。
⚫︎党の政策を、候補者の人間性をもっとオープンに
この3つに比べると、角度は違えど、すぐに出来そうな選挙戦略が2つある。1つは、候補者をもっと自由にもっと普通の場所に押し出すことである。選挙戦が近づくと、候補者の党員、支持者による争奪戦が始まる。友人たちに会わせようと。それに地方議員の皆さんの企業、団体回りが加わるから、それこそ〝蟻の入る余地〟すらなくなる。だが、そういうことだけをやっていても、例えば兵庫県の場合、とても当選圏内に迫ることは難しい。普通の市民と直接会う機会をどれだけ多く作るかである。端的にいうと、町の真ん中で、コンビニの前で、駅の前で、制限なく有権者と会うことが大事だ。かつて公明党の地方議員たちがあちらこちらでやった「青空市民相談」のイメージである。
もう1つは、党中央、代表への要望になるのだが、参院選が始まっても。決して「政権選択の選挙」だと言わないでほしいということである。それは禁句だ。その一言で、選挙戦の表から「政策展開」が消えて、他党の「非難合戦」に終始してしまう。昨年の衆院選がそうだった。公明党の提示する政策のきめ細かさ、大胆さを言わずして、「あんな党に政権を任せられますか」に代表される他党批判に集中してはならない。そんなセリフは評論家に任せておけばいい。党中央はこの国のビジョンと政策を語りつくすのだ。
ともあれ、伊佐さんを始めとする昨年苦杯を舐めた仲間たちの「苦節4年」(もっと短いはずだが)に期待したい。私も今から35年ほど前の「苦節の時代」(私は足掛け5年)に、一軒一軒、お一人おひとりとの邂逅があったればこそ、のちのちの希望溢れる展望が開けたことを強調しておきたい。(2025-4-12)