参議院選挙が終わってやがて一か月。様々な人と対話をしたことが思い出されます。そのうち最も強烈な印象で蘇ってくるのが神戸のU 氏とのやり取りです。彼は阪神淡路大震災の時に何もかも失いましたが、過酷な運命に負けずに立ち上りました。打ちひしがれている被災者に政治が何をしてくれるのかを問いかけることから始め、やがて何もしようとしないことに全人生を賭けて対決したのです。当時国会議員で彼を知らぬものはいないといわれるほど働きかけ、文字通り荒れ狂う活動をしました。その彼を私は忘却の彼方に置き去りにしていたのです▼伊藤たかえ選挙事務所に突然やってこられたときは、全くどなたか分かりませんでした。心温まる支持者の「陣中見舞い」の合間に、まれに文句を云い、抗議に来る人がいます。さあ、「公明党のどこが気に入らないのだ」「断固分からせるぞ」と、身構えました。震災対応から安保法制にいたるまで、彼は政治の「非力さ」や「庶民感覚とのズレ」をまくしたてました。当然のことながら、私はいちいち反発し、口を挟みました。しかし、その途中でやめました。彼が誰かということに気付いたのです。この20年の彼我の差に思いを致しつつ、申し訳なさも手伝ってひたすら耳を傾けていました▼その主張には賛同できぬことも多々ありました。しかし、震災によって人生を根こそぎ捻じ曲げられながらも立ち向かってきた存在感に圧倒されたのです。「今政治家が立ち上らずして一体いつ立つのか」というフレーズは胸に刺さり、耳をそばだたせました。「失われた20年」の言葉に象徴される政治の惨状は、政治家の「課題解決先送り」体質に起因すると常々思っている私は、歯を食いしばって聞かざるを得ませんでした▼二時間余りの後、「もう時間ですから」の事務員の声に促されて帰っていきました。数日後、私がいないときに彼は再びやってきて、公明党に一票投じたことを明らかにしたといいます。私が彼の話をひたすら聞いたからでしょうか。普通、人間は議論をすると、言い負かそうとしてしまいます。私などはいつも何か自分らしさを込めたお話を一方的に話してしまいがちです。聞いてるだけでは能がないとの思い込みがあるのです。私にしては珍しく聞くことに徹した背景には、彼の生きてきた人生への畏敬の念があったからに相違ないでしょう。ということは、あまりそう思えない人には、相も変わらず云いたいことのみ言って自己満足するだけに終わるということかもしれません。いやはや怖いことです。と、反省させられる貴重な体験ではありました。これは今後あれこれと尾を引きそうな予感がします。(2016・8・5)