なぜ安保論争は先祖帰りしてしまうのかー改憲と加憲のあいだ➁

憲法9条をめぐっては実に様々な意見があります。一切触らずに今の規定のままでいいとするいわゆる護憲の立場から、全てを書き換え、自衛のための軍隊を持つことを明記すべしとの自民党改憲草案にいたるまで、その幅はまことに広いのです。自衛隊の存在をどう考えるかについても同様に色んな意見があります。専守防衛のスタンスが守られているなら、自衛隊の位置づけを改めて書かずとも今のままでいい、寝た子を起こすことはないというのが一般的な考え方です。しかし、一方で自衛隊は憲法違反の存在だとする極めて硬直的な考え方に立つひとも、法律家を中心に多く存在します。今回の安保法制の論議にあっても、ほとんどの憲法学者からは「違憲」との指摘がなされました。それに対して、政権与党側からは、彼らは自衛隊の存在すら認めない立場なのだから、安保法制反対など推して知るべしだとの意見が出され、取り合おうとさえしなかった経緯はご承知の通りでしょう▼このように安全保障に関する考え方に「憲法9条」が入り込むと、事態は一層硬直化するという、戦後一貫して続いてきた流れが再現してしまうのです。非武装中立の立場を誇示した日本社会党の存在が消えてなくなったことで、不毛の論議が避けられ、これからは同じ土俵での議論が出来るのでは、との期待感があえなくつぶれてしまったのです。現在、野党第一党の民進党がどのような野党共闘をするのかが注目されています。これはひとえに日本共産党をどう扱うのかということが焦点でしょう。ここをいい加減にしてしまうと、せっかくの新しい野党の存在が旧態依然とした昔型のものへと、先祖帰りしてしまいかねません▼自民党に対抗するもう一つの勢力を作ろう、政権の新たな受け皿を作るべしということは、あたかも見果てぬ夢のように様々な挑戦がなされてきました。そのうちの一つが1980年代に試みられた「社公民三党」による野党共闘です。この共闘の方向性は曲がりなりにも共産党を除くことで一致していました。いま、歴史の上で社会党、民社党が消えて、いわゆる社会主義イデオロギーに対して、陰に陽にこだわる政党が共産党以外になくなりました。排除の対象となってきた共産党自身の僅かな”お色直し”的対応を前に、社会党的なるものの残滓を抱える民進党が今苦慮し続けているといえるのではないでしょうか。さてどうするのでしょうか▼ここで参考にすべきなのが公明党の過去の振る舞いです。公明党は憲法についての共産党の本質的な態度を問題視してきました。公明党は、「憲法をめぐる公開質問状」を共産党に対して突き付けたのですが、一切これに応えないという態度を同党はとり続けています。このあたりの経緯は『日本共産党批判』や『公明党50年の歩み』に詳細に述べられていますが、ここからは憲法について曖昧な態度のまま、政策協定など交わしてもあまり意味をなさないということがよく分かります。現代日本における二つの組織政党。片や日蓮仏教を背景にした創価学会を最大の支持団体とする公明党。一方は共産主義イデオロギーに依拠することを変えようとしない共産党。この二つの政党が展開した「憲法論争」の姿から得るものは誠に大きいのですが、意外に世の中では知られていません。次回はこの知られざる実態に迫りたいと思います。(2016・10・21)

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