明治憲法を作った先人の力に学べー改憲と加憲のあいだ➀

衆議院議員をしていた頃に私は憲法調査会(後に憲法審査会に衣替え)に長く所属していました。その間にいくつもの忘れえぬ思い出があります。一つは中曽根元首相が出席された会合でのこと。公明党の現況を説明する場面で、私は「公明党は長く護憲政党でしたが、ようやく加憲という立場に変わりました。改憲と加憲は一字違いです。もう一歩です」とジョークとも本音とも思われる言葉を飛ばしました。場内の笑いを誘ったことは言うまでもありません。その時の中曽根さんの苦笑がとても印象に残っています。二つ目は、土井たか子元衆議院議長(故人)と、同調査会が終わった後に、衆議院別館の玄関前で立ち話をした時のこと。まずお互いの意見が一致するところから議論をしましせんか、と私が持ちかけると、「あなた方は今は環境権などといっていても、その後にはすぐ9条を変えようというんでしょ」と、ダメなものはダメとばかりに頑なな姿勢を崩そうとされなかったことです▼三つめは、読売新聞主催の憲法記念日の紙上討論会でのこと。出席した政治家は自民党・保利耕輔、民主党・中野寛成両先輩と私の3人でした。まとめの段階になって、コーディネーター役の北岡伸一東大名誉教授が、「ところで、政治家の皆さんは一体いつになったら憲法を改正するのですか」といささか高飛車な物言いをされたのです。私は直ちに「我々もそれなりに努力してるんですから、そういう云い方はないでしょ」と言い返してしまいました。中野さんが「まあまあ、まあ」と仲裁に入ってくれて事なきを得たのですが、名だたる学者に動かぬ事実を指摘されていながらまともに反応するのだから、政治家らしからぬ己を自省せざるを得ませんでした▼こういう風に思い出話を纏めますと、私の憲法に対するスタンスはお分かりいただけるでしょう。そう、私は憲法を今の時代に相応しいものに変えるということに賛成の立場なのです。憲法3原理(基本的人権、国民主権主義、恒久平和主義)を堅持することは当然ですが、それを重視するあまり未来永劫にわたって憲法を触らないというのではなりません。今の時代に呼応したものに、変えていくべきだということを衆議院憲法調査会の場でもしばしば主張してきました。しかも、加憲の対象から9条を外すことには疑問を持っていました。党内は憲法9条については厳守が大勢であったのに、恒久平和主義と矛盾しない形でならと、少し違ったスタンスをとっていたのです▼ところで、私はこのところ「明治維新」なるものをあまり肯定する立場には立っていません。近代日本の誤りは150年前の江戸幕府から明治新政権への「クーデター」にあり、その後の薩長政権の在り方が70年前のあの戦争の敗北につながったとの認識に与しています。尤もそれは全否定ではありません。「明治維新」の方向性については時代のなせる業ということもあって、評価するところも多々あります。とりわけ明治憲法を作るに至った伊藤博文を始めとする政治家たちの努力は大いに宣揚するのにやぶさかではありません。彼をして長州テロリストの一翼であり、かなりの跳ね上がりものだったとの見方があることも理解します。しかし、それを補ってあまりあるのは、欧米列強に後れをとらないように、憲法を作るために獅子奮迅の活躍をしたことです▼そういう明治の先人の努力に鑑みて、何もせずに、ただ今の憲法が立派だから堅持するというのでは、あまりにも寂しいという気がするのです。今の日本の憲法でいいのか。どこをどう変えるか、あるいはどこは変えなくともいいのかーこういった大論争を今の日本人の力でやった方がいいのではないか。これこそ遠回りのようで近道ではないのかということをいいたいのです。これより数回にわたって憲法について考えていきます。(2016・10・18)

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