東南アジア地域一帯で食品輸出に携わる友人と共に、インドネシア・ジャカルタに3泊4日の旅をしてきました。ジャカルタを漢字で「雅加達」と書くことも、「尼」と略称することも知りませんでした。昨夏の香港、シンガポール、今冬のタイ・バンコクに続いてこの地域への三たびの機会です。中国、インド、アメリカに続き、2億を超える人口は世界第4位。しかも人口の比率は若年が圧倒的に多くて若々しい、未来溢れ、活気漲る国家です。バンコクと同様に道路事情は悪く、渋滞の連続。お蔭でトヨタをはじめとする日本車のバックナンバーに取り囲まれ、この国の持つ一面が良く分かりました。加えて電車の車両仕様も日本のものがそのまま輸入されているとのこと。親近感はただならざるものがあります▼今回インドネシア行きを決めたのは、故中嶋嶺雄先生のご縁のたまものです。昨秋東京・四谷で開かれた先生の選集全8巻の出版記念の懇親会の席で、元日経ジャカルタ支局長の小牧利寿さんと隣席になったことが機縁となりました。今はジャカルタを中心に政府コンサルタントのような仕事をされており、しばしばこの地を訪れているとのこと。「是非、一度」ということになり、かねてインドネシア進出を考えていた友人を誘って実現しました。「縁は異なもの味なもの」です。共に、中嶋門下の一員であるうえ、元ジャーナリスト同士のよしみもあって、あっという間に気が合いました▼加えて、インドネシア大使の谷崎泰明氏(元欧州局長)とのご縁もあります。久しぶりに会ってインドネシアと日本をめぐる話を聴こうと思い立ちました。偶々私たちが行く数日前に、後任の大使決定(ベルギーの石井正文大使)を新聞発表で知りました。このために彼とは「ご苦労さん会」になってしまいました。オランダ統治の時代から先の大戦を経て独立、スカルノ、スハルトと、この地での傑出したリーダーたちの政治力の由来から話は始まりました。いらい今日に及ぶ「多様性の中の統一力」を誇るこの国に秘められたパワーの源泉を教えて頂いた次第です▼私たちの短い滞在中に、日本とインドネシアの漁業関係者を中心とするフォーラムが開催されることになり、そこにスシ漁業担当大臣が出席されるというので、予定を変更して急遽私も覗きに行くことにしました。JBICなど政府金融関係機関者はじめ少なからざるインドネシ人や日本人が出席し、大変な盛況ぶり。この大臣は女性ながら、刺青をしていたり、「気風の良さに加えて妖艶さも漂う」との評価で知られる猛者。それだけに出席者の本心は怖いもの見たさが本心だったのかも。想定と期待にたがわぬチャーミングな顔立ちと迫力ある声。なかなかの風貌でした。失礼ながら講演の中身はともかくとして、まずは洋の東西を問わぬ今風の女性政治家の抬頭ぶりに改めて感心を強めた次第です。(2017・3・12)
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大災害時に発電設備が作動しない恐怖をどうする
あの東日本の大震災からこの11日で6年が経ちます。阪神淡路の大震災を経験した兵庫県民のひとりとして思うことの多さに比べ、被災民に寄り添う実行動の乏しさに苛立つばかりです。大災害の時代と言われる今日の状況の中で、せめて間接的にでも被災の影響を少なくする、いわゆる減災に役立つことをしてみたいとの思いが募ってきました。自分にも何かできることはないかと考え続けていたところに、私が顧問を務めるAKRの河田専務理事(ビジネスファーム研究所所長)から話があっったのは昨年の今頃のことでした。それは非常用電源設備の実態をめぐって法定点検が確かにおこなわれているかどうか疑問だということでした▼大きな非常事態が発生した際には、しばしば外部電源が遮断されてしまいます。となると、それぞれの建物が自前の設備内に保有する設備が作動して被害拡大を食い止めることが求められるわけです。スクリンクラー、非常用消火栓、非常用電源、非常灯など人命にかかわる設備に電気を供給する防災の要になるものがそれで、全国での設置数は100万台にも及ぶと見られています。しかし、阪神・淡路の大震災においては23%が始動しなかったことが確認されており、東日本大震災でも同じような数値で動かなかったと見られています。これは点検が十分に行われていなかったためにいざという時に役に立たなかったということなのです▼一般社団法人「全国非常用発電機等保安協会」の調査によると、負荷をかけずにお座なりな点検めいたものだけーたとえば、エンジン始動だけといったようにーなのが、95%にものぼっているとといいます。実は、非常用電源設備の点検については電気事業法、建築基準法、消防法などで明確に実施が定められており、違反すると罰則が適用されているのです。平成14年6月には消防庁の予防課長通知「点検要領」で、30%以上の負荷をかけて必要な時間の連続運転を行い確認することが求められているのです。しかし、現実には、いちいち負荷点検をしていると、停電が起こるため難しいとか、時間がない、費用が高い、業者がいないなどの理由で正しい点検がおこなわれていないのが実態だというのです▼こうしたことを関係者から聴き、消防庁にも足を運び、予防課長からいろいろと話を聴いたり、非常用発電機保安調査士の資格を持ってるひとや関係業者からも話を聴きました。特に驚いたのは、こうした非常時に備えての対応について、肝心の公的建築物の管理者でさえあまりわかっていないということです。およそ、そんなことはおこらないだろうとの安易な気持ちがあったら、文字通りすべては壊れてしまいます。兵庫県や神戸市など私の身近な地方自治体こそ率先してこの点検を行ってるはずだと信じているのですが……。このあたり、大いなる関心を持って今着々と調査の機を窺っているところです。せめてこうしたことで、私は大災害時代への対応に貢献したいものだと考えています。(2017・3・6)
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「憲法改革」を探りつつ「予備的国民投票」へー「改憲と加憲のあいだ」➅
私が国会に籍を置いている時代の憲法をめぐる議論での最大の成果は「国民投票法」の制定であった。2007年5月に実現した時は、それまで欠落していたものが遂に補われたということでのそれなりの高揚感があった。当時の衆議院憲法調査会長の中山太郎氏、自民党の「議案提出」メンバーだった保岡興治、船田元、加藤勝信氏らと手を取り合って喜んだことが懐かしく思い出される。あれからもう10年が経つ。その間に民主党政権の誕生から破綻、「東日本大震災」による福島原発事故の大混乱などが起こったこともあって、その後に出来た憲法審査会における動きも殆ど見るべきものはない。10年一日のごとき議論の停滞はいかんともしがたい。今年は憲法制定70年、国民投票法制定10年の節目だけに一歩前進の足跡を期待したいものだ▼公明党はこれまで「環境権」の加憲を主張してきたことは周知のとおりだ。だが、一般的には「3・11」以降、まず急がれるべきは、緊急事態に対処する規定を憲法上に書き加えるべしとの主張が展開されている。主に自民党サイドからで、公明党はさほど関心を持ってきていない。そうした規定を置かずとも現行の法律で十分に対処できるとの判断を持っていたからである。この点に関連して私がかつて強く主張したのは、憲法の条文のどこを変えるか、あるいはどこは変えなくともいいかについて、徹底した議論が必要だということであった。予め「改憲ありき」や、あるいは「護憲ありき」の立場にこだわるのではなく、ニュートラルな(中立的な)立場から一つひとつ検証していくことが大事だというものであった。日経新聞による「憲法改革」(同名の著作あり)という立場がそれなりに共感できた。憲法の条文改正を必要とするマターと法律対応で済むものなら法律改正で、それも必要ないものは行政施行の対応ぶりでと、一つひとつ吟味し選別をしようという考え方であった。私は公明党がその作業をするのに最もふさわしい政党だと信じていたが、それをせぬまま引退をしたことは悔やまれる▼そういう意味もあって、私は国民投票のやり方として、いきなり憲法改正のための国民投票のときを迎えるよりも、予備投票の意味合いを込めて事前に実施してはどうかと提案をしたものであった。つまり、どの条項を変えるべきかについて、国民の考え方を予め問うておけば、唐突感は回避できるし、また初の国民投票のもたらす混乱をも免れるのではないかという思惑である。たとえば、緊急事態対応についての国民の考えや、環境権、教育の在り方などについて国民投票を実施して世論の動向を先に知っておけば、立法府の発議と国民の対応の双方の兼ね合いからもいいに違いないと思われる。当時はあまり賛意を得られなかったが、国民投票法制定10年を期して今の時点で世論を推しはかるためにも、やる価値はあるはずだ▼ところで、安倍自民党がこの3月に、同党の党規約を改正し、総裁任期を延長したら、憲法問題の推移はどうなることが予測されるか。憲法改正の発議から国民投票に至る時間ーすなわち2017年から4年間ーが生みだされることによる見通しが成り立つ。憲法論議に詳しい筋に取材をしたところ、憲法改正発議までには、以下の三段階を経ていく流れが想定されるとのことであった。1)衆参憲法審査会の再始動から、個別の改正項目の抽出・検討を経て具体的な改正項目の絞り込み2)絞り込んだ改正項目の検討から憲法改正原案の作成3)憲法改正原案の提出を受けて両院での審査を経て、3分の2以上の賛成で議決ーとの流れである。調査・論点整理の段階→憲法改正原案の立案の段階→憲法改正原案の審査の段階といった順序立てである。第一段階が2017年暮れから2018年初頭。第二段階が2018年いっぱい。第三段階が2019年いっぱいで、2020年から発議を経て国民投票の実施へと流れていったうえで、2021年の投票に向かうという次第である。これまでの悠長な流れからすると、とてもこのようにはいかないと見るのが普通だろう。私としてはそのように一足飛びに急ぐ「憲法改正」よりも、先に述べたような「憲法改革」ともいうべき点検をじっくりしながら、「予備的国民投票」などを実施して、加憲への機運を醸成することが大事であると思う。急がば回れである。(2017・2・21=この項終わり)
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新築か改築か増築か。それとも庭にプレハブか……「改憲と加憲のあいだ」➄
現役時代の憲法議論で忘れられないもう一つのテーマがある。それは増補型改正(アメンズメント)という問題である。これは今ある憲法はどの部分も一切削除しないで、必要な部分を足していくという改正のやり方である。つまり、1946年憲法は手つかずでそのまま残しておき、新たに付加した部分で、20XX年憲法として成立させるというものである。加憲と似てはいるが、原型を留めたままにしておくというところがいささか違う。これは家の建築に例えていうと分かりやすい。新たな憲法を作るー例えば、昭和憲法のようにーのが新築だとすれば、改憲は改築、加憲は増築といえ、この増補型改正というのは今ある家の庭に小さなプレハブのようなものを作るケースといえようか。古い家も使いながらこのプレハブへも行き来するといった使い方だ▼この改正方式については、法政大学の江橋崇教授を招いての勉強会の場でご本人から直接聴いた。今ではこれはすっかり忘れられているが、憲法制定当時は話題にのぼったという。建国直後の雰囲気を今に伝えるアメリカ合衆国憲法は、その方式を採用しているし、フランスの人権宣言も200年前を彷彿とさせる。またイギリスでは1215年のマグナカルタや1689年の権利章典がついこの間まで、この国の現行法の一部であったことも明記する必要がある。そういう各国と同様に、世界に冠たる「平和憲法」をそのまま残しておき、それに新たな条項を付け加えていこうというものだ。加憲が今ある憲法の中に書き加えていくのと違って、新たに補っていくものである▼実はこの辺りのことについては今からちょうど10年前の2007年3月22日の憲法調査特別委員会公聴会の場で、公述人として招かれた江橋崇さんに私があれこれと訊いている。その二人のやりとりのポイントは、江橋さんが加憲と増補型改正はあまり違わないといってるのに対して、私が二つは結構違うのではないかと主張しているところだ。ここで面白いのは、江橋さんが「日本は、法律を改正したりすると、それまであったすべての法律を新しい法律の中に吸収合併したものにしなければいけないという思いが強く」て、なかなか立法作業が追いつかないと言ってる。つまりそういった整合性を求めるために官僚主導の作業になってしまうのが日本の特徴だというわけだ▼アメリカやイギリスは前のものと後のものの矛盾など気にしない。「まあ、何とかなるだろう。その辺のいい加減さがあるから議員立法で行ける」という。江橋さんは「加憲でも増補型改憲でも、官僚主導の立法というものに対する風穴があくことになるかな」と述べ、あまり細かなことを気にせず政治主導でやって見ろとけしかけていたかのように思われる。結局は官僚主導に取り込まれてなんとも思わず、がんじがらめにされた日本の政治の姿ではないか。10年一日のごとくどころか、70年一日のごとく憲法の呪縛に陥ってるのは、官僚に負けている日本の政治家の惨状だと彼は言いたかったのだろう。引退して4年経った今頃になって、私はそれが一段と身に染みて分かる思いがしてくるのだから、悲劇を通り越してお笑いだといえよう。(2017・2・17)
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9条に新たな規定を書き加えるとー「改憲と加憲のあいだ」➃
憲法9条をめぐっては長きにわたって正反対の立場からのぶつかり合いがある。ごく簡単に言えば、現実との大きな乖離があるから、現実に合わせて条文を変えていくのか、条文はあるべき理想を示しているのだからそれは触らずに、現実を一歩でも近づけていくべきだ、という改憲論と護憲論の二つだ。それに加えてもう一つの主張がある。それが9条にも新たな項目を加えていこうという加憲論だ。1項と2項はなにはともあれ日本社会に深く定着しているのだから、あえてそれは変えたりせずに、現実との乖離をそれなりに埋めるべく、足らざるを補おうという考え方である。公明党内の憲法調査会で、私もそういう提案をしたことがある▼これは、国際社会におけるPKO(国連平和維持活動)など、すでに多くの実績を残している国際貢献活動の根拠となる規定を設けることが具体例として挙げられる。もう10年近い歳月が経っているが、党内で主張した当時は寄ってたかって反対されたり、無視されたとの記憶がある。3項にわざわざ付け加えずとも、今ある法律の解釈で済むし、それで追いつかぬなら、新たに法律を作って対応すればいいとの考え方が支配的であった。だが、それでは私は満足できなかった。外交安全保障分野の責任者としての私の脳裏には、防衛研究所での「政党研修」の際に自衛隊中堅幹部から質問された場面が思い浮かんだからである。「憲法における自衛隊の位置づけを一日も早くしてほしい」との切なる要求だ。それをせぬまま新たな任務を課すことは更なる矛盾を追加することに思えた▼昨年実現した「安保法制」において「駆けつけ警護」という活動が新たに付与された。私が在職していたほぼ20年間というもの封印されてきていたPKOの本来任務のひとつが遂に陽の目を見たものである。これには忘れがたい思い出がある。中嶋嶺雄先生(東京外語大元学長、秋田国際教養大学元学長)が、かつて「赤松君、日本の参加するPKOには、駆けつけ警護の任務を付与させるべきだよ。でないと国際社会の一員として恥ずかしい」と懇願するようにいわれたものだった。もはや鬼籍に入っておられるので詮無いことだが、生きておられたらどんなに喜ばれたことか。これなど解釈改憲だとの批判があったが、私たちはそうは思わない。駆けつけ警護に伴って発生する「戦闘」は、憲法が禁ずるものとは異質のものだとの認識である▼いま安保法制論議を経て、憲法9条を加憲の対象にすべきかどうかがあらためて注目されている。公明党の現在の担当者は、議論の対象とすることはやぶさかではないとのニュアンスの発言をしている。これには、端からやる気がないのに様子見をしているだけとの見方が専らである。他方、9条に3項を加えるなどという矛盾の上に矛盾を上塗りするのは全く無駄だとの本質的な批判もある。そういう意味では、むしろ3項に「自衛のために自衛隊を保持する」などの規定をおき、それを受けて4項に国際貢献などの任務を書き加えるということも考えられる。これなら、自衛隊員の長年の念願も解決する。だが現実的には9条加憲は9条護憲と9条改憲の間を彷徨うだけかもしれない。ただ、この問題提起は打ち続く「不毛の対立」の壁を乗り越える糸口になる可能性は少なくないものと思われる。(2017・2・9)
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公明党の折り合いのつけ方の上手さを褒められて
先日、仲間内で「カジノ」をめぐってあれこれと話す機会がありました。この際に淡路島なんかに誘致してははどうかと積極的に賛同するひと、いやそれは御免蒙る、絶対反対だというひとの間で論争になりました。結局は日本にあってもいいが、兵庫よりも大阪辺りが相応しいのではないかというところに大筋落ち着きました。昨年夏にシンガポールに行った際にカジノの現場を見てきた私としては、どちらかといえばカジノ賛成の立場です。ですが、ギャンブル依存症などへの十分な対応が用意されることが必要だろうと思っています。既にパチンコを筆頭に「ギャンブル大国」と言われる日本ですが、その陰で人生の破綻を経験し、悪戦苦闘しているひとが多いことは決して見逃せません▼先の国会ではカジノ導入をめぐる法案の採決で一波乱ありました。とりわけ、公明党が採決にあたって党議拘束を外して議員個人の自主的判断に任せたことが話題になりました。口の悪い向きは、政党として一つのまとまった決断を下せないのはおかしい、政党の体をなしていないとまで言う向きもありました。一方、こういう風に公明党を追い込んだのは自民党政権で、公明党は精一杯抵抗姿勢を示したともいえ、立派だったとの考えもありました。私自身は、後者に近い意見でしたが、もう少し自民党に文句を云ってもよかったのではないかとの思いも否定できませんでした▼ところが、そういう状況の直後の世論調査(共同通信)では面白い結果がでていました。政党支持率において公明党だけが支持率を伸ばしたのです。なぜでしょうか。親しい記者と意見交換をした結果、世論は公明党がひとつにまとまらず、議員個人の自主判断にゆだねたことに新鮮さを感じたのではないか。賛否のバランスがほぼ二対一で賛成派が多く、しかも、山口、井上のツートップが反対したことにも意外性があって、評価する向きが多かったのではないかとの見立てで一致しました。後輩の衆議院議員に訊くと、あらかじめ打合せもせずああいう結果が出たことには党内もみな驚いていたといいます▼この間私の親友が姫路に来て久しぶりに懇談をしました。談たまたま政治の今に話題が及びましたところ、何かとうるさい彼が「俺は創価学会員でも、公明党員でもないけれど、近ごろの公明党は素晴らしい。それは政治課題についての折り合いのつけ方が実に上手いからだ」というのです。つまり妥協の仕方がいいというのです。彼は哲学者の永井均氏の『倫理学』なる著書の一節にある「中庸とは何か」とのくだりを引用してまで、公明党代表の山口氏が中庸の本義をみごとなまで実践している、と力説するのです。公明党が時々の政治課題に対して上手く折り合いをつける手法は、何も今に始まったわけじゃあないと言いたかったのですが、折角褒めてくれるのだからと、有難くお褒めの言葉をおし戴いた次第です。(2017・1・29)
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「死に姿で生き方が分る」ことの大事さー「生死の研究」(2)
「死期を悟って、死を受け入れたと思える人の遺体は、みな枯れ木のようで、そして柔らかな笑顔をしています」-映画「おくりびと」の基になった「納棺夫日記」の著者である青木新門さんの「死を語る」(読売新聞1・22付け)は非常に読み応えがありました。いつの頃かぶよぶよした遺体が増えており、それが延命治療を受けてきた人に多く、それは「死を受け入れず、自然に逆らった結果のようにも感じられます」と述べた後に、冒頭の言葉が続くのです。そして「体や心が死ぬ時を知り、食べ物や水分を取らなくなり、そして死ぬ。それが自然な姿なのではないか」と続けています▼志村勝之氏も彼の母上の延命治療が極めて不本意だったことを述べていて印象深いものがあります。ご本人がそれを望まなかったにも関わらず、結局は最後の段階でそうなってしまったことを悔いているのです。私の親しかった従姉は70代半ばで倒れて、もう意識不明のまま3年近く病床に横たわっています。これはもうむごいとしか言いようがありません。本を読むことが大好きで、あれこれと本の読後感を交わしていた彼女が今のような事態になるなんて。しかし、延命治療を放棄せよなどとはとても言えません。ひたすら耐えるしかないのです。青木さんのいうような死に方をしたくても出来ない。辛いことです▼生きてきたようにしか死ねない、っていいます。しかし、これも残酷な云い方です。意識不明のままで寝たきり状態が続くという、死への道程を誰が元気な時に想像できるでしょうか。私の従姉の生き方にどんな咎があったというのでしょうか。この状態を目の当たりにし、じっと看病を続ける夫の義従兄を思う時に、本当に辛いのは本人ではなく彼だなと思います。そういう老妻を持ち、悩み苦しむ宿命を実感するということで。仏法では「宿命を使命に変える」、と教えています。「悩むより挑む」のだとも。愛するひとが死もままならぬ事態にじっと堪えて寄り添う姿に、多くのひとが感銘すると捉えるしかないと思っています▼私は小学校へ入学する少し前、5歳くらいの時に、祖母と一緒に叔母(祖母にとっては娘)の家に行き、そこで祖母の死に直面した経験があります。初めてひとの死を目の当たりにしました。いらい65年余り。あの時にみた祖母の遺体から流れ落ちた一筋の液体が目に焼き付いて離れません。今私には6歳と3歳の孫がいますが、この子たちに感動を与えるような死に方をしなければ、と思います。勿論、どのように生きてきたかを知ってもらいたいとは思いますが、それを直接分からせるのは、今の歳では無理だろうから、取りあえずは死に方を通じてでしかない、と決意しています。(2017・1・25)
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奥深き国・タイのとば口に立ってみて……
先週明けの17日からタイのバンコクに三泊四日で行ってきました。今なぜタイなんでしょうか?これまでの人生で行く機会がなかったのでここらでなどというありきたりの理由やら、仕事絡みということもありました。しかし、行ってみると色々と考えさせられることが多く大変に貴重な旅となり、私が今行くべき必然性があったような気さえします。タイにしばしば趣味と実益を兼ねて行っている友人にあらかじめタイの印象を聞くと、「とっても優しいひとが多いけど、『暑い、汚い、臭い』ところだ」というのが答えでした。私としては、「爽やか、賑やか、したたか」な印象が率直なところです▼タイの一月は暑すぎることもなく、もちろん寒くもなく、ちょうどいい感じでした。亡くなられたプーミポン国の喪明けと重なり、どこもかしこも観光客と喪服姿の人々や旧正月を祝う地元民とでごった返していました。そしてツクツクという三輪車風の乗り物の若い運転手は、暴走族さながらで乗客の私たちの肝を冷やさせたうえ、ぼったくりの運賃請求をしてきたのです。タイ式マッサージ師の女性の豪快そのものの揉み方と共に、優しさよりもしたたかさが上回る印象は否めませんでした。建設ラッシュで超高層ビルが林立、真新しいビルには欧米の専門店が軒並みオープンしており、よほど注意していないと、ここがアジアの一角だということを見紛いかねないぐらいです▼今回のタイ訪問での私の密かな狙いは、西欧風民主主義の黄昏に直面して、仏教の哲人政治の伝統を持つタイから学ぶことがあるのかという問題意識でした。軍政と市民政治をクーデターを挟んで交互に繰り返すこの国の政治の歴史的伝統は、単なる民主主義の遅れということだけで切り捨ててはならないとの指摘があります。故岡崎久彦氏が駐タイ大使時代に書いた著作で力説しているところです。また、大乗仏教の王たる法華経を身の内に取り入れて50年の私としては、三島由紀夫が自決の直前に書いた豊饒の海第三巻『暁の寺』における輪廻転生の生死観は長い間の判じ物的課題でもありました。小説の中に描かれた寺院とメナム川(チャオプラヤ川)の風景に身を置いて、その辺りのことをじっくり考えてみたいと思ったのです▼かの地では、佐渡島志郎大使と大使公邸で2時間足らず、ランチを頂きながら歓談した際に意見交換しました。また帰国直後に偶々姫路にやってきた外交評論家の宮家邦彦氏と、夕食を食べながら2時間余り話し込みました。共に濃度の差はあれ、私が現職時代にお世話になった間柄の外交官です。ひとの身体のことは医師に訊いたら分かるように、国と国の間のことについては外交官に訊くと疑問が解けることが多い。専門家らしいいい意見を聞くことが出来ました。これらは追々明らかにしていきたいと思いますが、結論はそう簡単には出ません。当然でしょう。言えることはただ一つ。タイは奥深いということでしょうか。(2017・1・22)
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好きな生き方50年。そろそろ死に方をー「生死の研究」(1)
昨年10月と11月の二か月にわたって、私の友人で”浪花のカリスマ・臨床心理士”志村勝之氏のブログ『こんな死に方がしてみたい!』を通しての感想めいたものを『忙中本あり』で取り上げて、12回ほど書いた。12月は休んでしまったので、新年からは舞台を『後の祭り回想記』(これも回走記ではなく、回想記に改める)に移して、再挑戦してみたい。どうしてかくも彼のブログにこだわるかというと、いかに忙しくても生死にまつわることは避けて通ってはならず、真正面から向き合っておかないと後悔するとの強迫観念めいたものがある。加えて、約60年もの長きにわたって友人関係を持つ男の思索の道あとが気になってならないからだ▼タイトルも改めて『生死の研究』とでも仮にしておく。体裁としては、やはり志村氏の一昨年から昨年にかけて延々と続いたブログを下敷きにして、私の捉え方を述べていきたい。ご興味のある向きは、彼のブログにぜひアクセスされることをお勧めする。かれは私の見るところ当代随一の心理学徒であり、彼の書いたものは実にためになるからだ。今月は彼の続き物のうち、三回目の「死の物語」から。14回にも及ぶブログで志村氏は田沼靖一『ヒトはどうして老いるのか』、品川嘉也、松田裕之『死の科学』などからの引用を繰り返しながら「死」を考えていく。彼の「死」についての捉え方は、つづめて言うと、「好き勝手」に死にたいということに尽きる。今の時代は「自分の死の基準」及び「死生観」が求められており、自分自身の「死の物語」が要求されてくる時代が必ず訪れるとしたうえで、そう結論づける▼これはいうまでもなく彼は「好き勝手」に生きてきたから、死ぬ時も「好き勝手」にしたいということに他ならない。そこには、巨大な宗教集団に所属し、その組織の枠の中で生きることを「義務付けられ」てきた、私などの生き方を「嫌い」だと言っていることからもはっきりしている。中学時代からほぼ60年の時間の推移をものともせず、二人の間のこの自由さと不自由さの平行線は、表面上全く縮まらない。私は若き日より、先達の生き方をまずは学び、死に方もそこから学ぼうとし続けてきて、未だに学びきっていない。彼のように、自分の考えを突き詰めたあげく「自由に好き勝手に生き、そして死ぬ」というものとは対極にあるのだ▼私の場合、若き日の直観で、これしかないと決めた日蓮仏教、創価思想の道筋を懸命に学んできた。その途次で窮屈さを感じなかったといえば嘘くさくなるが、実際には気づいたらこの歳になっていたというのが正直なところである。「日蓮」、「池田大作」という巨大な存在が放つものを、必死に受け止めることの知的面白さ、感性的愉快さを上回るものなどなかったからこそ、この道一筋で、きた。しかもその方法論で、誤解を恐れずにいえば私も結構「好き勝手」に生きてきた。「好きこそものの上手なれ」という。だれが嫌いなものに取り込まれたりしようか。(2017・1・16)
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本を読むよりも異業種との語り合いを、との提案
新年明けましておめでとうございます。正月三が日が過ぎようとしています。箱根駅伝をテレビで観たり、年賀状の返事を書いているうちに、です。それにしても青山学院大は強かったですね。そして創価大学も。常連の中に新規参入してきた大学として、二年ぶり二回目で12位というのは見事という他ない。シード校入りは来年のためにとっておこうということでしょう。私にとって印象に残るのは、創価大の主将が追い抜くときにポンと背を叩いた場面です。余裕があるというか。古い世代としては、いささか驚きでした▼箱根駅伝を観るとき、いつも思うのは、関西にも大学駅伝があればいいなあ、ということです。大阪をスタートして六甲山・有馬温泉まで走るというコースは考えられないのかどうか。関係者の皆さんに考えてほしいものです。今に実現していないのですから、やはり高さやら距離的に問題があるのだろうなあ、と思うのですが。ともあれ、世はランニングブームです。尤も、私は姫路城周辺ジョギングがやっとということになってしまいました。つい3年ほど前は塩田温泉まで15キロほどを走ったものですが▼この三日の新聞各紙を全部読んでみて(実際は二日分)、あまり読み応えがあるものはなかったというのが結論ですが、それでも光ったものは僅かながらありました。特に三日付けの産経新聞の正論『年頭にあたり』の外山滋比古さんの「若い世代に求めたい新しい知性」は面白かったです。外山さんのいう「本を読むより、違ったことをしている仲間たちと語り合う方がどれくらいためになるか。今の個人主義者、孤立派には分かっていないようだが、ひとりで考えることには限界がある。ほかの人と雑談をすると、ひとりでは思いつかないようなことが飛び出してくる」っていうのは、同感です▼知的会話のクラブをつくることを提案されているが、面白いと思いますね。私など戦後世代の先頭の人間ですが、どうしても古い先輩世代の物まねばかりをしてきた傾向が否めない。最近は異業種交流会と称して毎月の集いを開催しているものの、ワインに没入しがち。今年はひとつとことん語り合う機会にと思ったりもします。それにしても外山さんは若いですね。考えることが。(2017・1・3)
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