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「明治150年」に待ち受けるものにどう立ち向かうか

先日、我が地域の公明党支部会に呼ばれてお話をさせていただく機会がありました。20分ほどでしたが、明年が「明治維新から150年」となることに事寄せて、そこに予測される事態とそれへの立ち向かい方について私の考えを述べてみました。ここではそこでの話を基本にして若干整理したものを記してみます。
 明治は1868年に始まりましたから、明年2018年でちょうど150年が経つことになります。この期間の大まかな捉え方は、世に「40年日本社会変換説」というべきものがあり、わたし的には中々穿った見方であると同調しています。維新からおよそ40年後に日清戦争を経て、日露戦争の勝利があり、日本はアジアの大国にのし上がりました。しかし、その後も「富国強兵」の国家的膨張政策を取り続けた結果、更に40年後の1945年には、あの太平洋戦争の敗北という事態を招き、一国滅亡の危機に瀕することになりました。そして、荒廃した国土を旧に復すための臥薪嘗胆の壮絶な経済至上主義の努力の結果、40年後には世界で米国と争う経済大国に昇りつめ、やがてバブル絶頂から崩壊へと歩みます。そして今、失われた20年、30年と呼ばれる時期を経て、40年後の2025年には少子高齢化のどん底に転がりこもうとしています▼これは極めて概括的な時代仕分けですが、見方によっては、80年のサイクルで日本は国家的危機に直面するとの予測に直結します。明治維新では江戸時代の鎖国状況が打ち破られ、欧米列強の侵略のもとに植民地にされかねない事態でした。それは先賢たちの必死の闘いで何とか乗り切りましたが、80年後に結局米国に叩きのめされ、占領されてしまいます。いらい現在に至るまでの73年程はうわべ上は独立国家ですが、実質的には未だ米国の占領下にあるのと大差ないとの見方さえあります。このままいくとあと7年ぐらい後には、再び日本は滅亡してしまうのではないかとの危機意識です。「三度の開国」ならぬ「三度の亡国」といえましょうか▼そういう時代背景を考えるときに思い起こされるのは、「尊王攘夷思想」の台頭という問題です。これは、ごく最近、加藤典洋さんが指摘していますが、それによると、明治維新の前夜に、「尊王」か「佐幕」か、あるいは「開国」か「攘夷」かなどと、欧米列強の侵略の前に、日本の思想状況は千々に乱れました。そして明治維新の前と同様にかの大戦の直前にも昭和維新の名のもとに、「尊王攘夷」思想が台頭してきたというわけです。今80年のサイクル通りに、我々の周りにみたびの「尊王攘夷」思想が跋扈する兆しがうかがえるというのが加藤さんの見立てです。ヘイトスピーチなどに見られる中国、韓国など近隣アジア蔑視やら日本会議の膨張がそれだといいます▼確かにそのような傾向は否定できません。しかし、以前の二回と明らかに違うのは創価学会、公明党の存在ではないでしょうか。日本だけではなく、世界にいま広く深く浸透しつつある創価学会SGIの存在は過去二回と全く違う要素です。また政権に公明党が入っておりその運営の一翼を担っていることは、大いなる希望でないわけがありません。自然に任せていると二度あることは三度あるとのたとえ話のように、日本が三度目の閉鎖的な一国主義に陥りかねないのですが、それを断じて跳ね除けるべき主体に、我々こそなっていかなければならないのです。しかしこれとて唯々諾々と構えていてはいけません、虎視眈々と我々のいくすえを邪魔しようと狙っている動きがあります。このことをしっかり銘記したうえで、元気に明るく新しい年に立ち向かっていきたいと思います。(2017・12・24)

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感性、優秀さ、見目麗しさー現代女性に纏わる三つのポイント

慌ただしい年末の会合で聴いたり、交わした話から気になるものを紹介したいと思います。相変わらず西に東に飛び回っていますが、その内の三つの忘年会でのものを。一つ目は、骨粗鬆ネットワーク(代表・高石佳知歯科医)の定例会が終わった後での打ち上げの会でのこと。Tさんという、手相観を始め、血液型や星占いを通じて人の運勢をみるのがもはや達人の域に達しているひとと久しぶりに話しました。このひとは、左脳派のひとは音楽や絵画など芸術に興味を持ちなさいと常日頃から強調しており、私も会うたびに言われます。つまり、理屈や議論が好きな理性タイプ(左脳派)は、感性重視の生き方を生活に取り入れることで、若さを取り戻せるというのです。しかもそれは女性と付き合うことが最も手っ取り早い方法だ、と。このひと、今年初めに奥様を失くされたとのことですが、未だ喪も明けぬうちから、ある女性と付き合い始め、今や毎日会うことを心がけているというのだからただごとではありません。この世では、妻以外の女性と一定の線を越えて付き合うなどご法度と決めている私など、とても真似ができることではありませんが、せいぜい芸術もどきのものに関心を持つことで代替させようと思っているしだいです▶二つ目は現役の頃に付き合った番記者の会でのこと。男女取り混ぜて5人の脂の乗り切った幹部記者(50歳代ばかり)たちが異口同音に言っていたのは女性記者の優秀さについてです。それはいわゆる学校の勉強が良くできるというだけではなく、取材力でも度胸ぶりも、とても普通の男では太刀打ちできないというのです。新入社員の試験となると、筆記はもとより、面接においても、合格者の7割から8割は女性が占めてしまうようです。男性にはあらかじめ下駄を履かせないと、自然に任せておくと、女性ばっかりになりかねないとさえ。先般某新聞社の女性記者が安倍首相への記者会見での質問で大向こうを唸らせましたが、そのうち彼女のような記者がどんどん増えるだろう、と。某テレビ局の女性記者が過労死をされましたが、これも仕事っぷりがいわゆる女性の域を超えた過酷なものに挑戦した結果ではないかと云います。女性はひ弱だとのイメージにいつまでも拘っている場合ではないのかもしれません▼三つ目は、姫路出身の各界で活躍するメンバーで作っている姫人会でのこと。官僚出身、大学の元副学長、元大手大企業幹部ら4人に加えて、久方ぶりに参加した早稲田大学理工学研究所研究院の福岡秀興教授(産婦人科医)の話は興味深いものがありました。このひとは、かねてより妊婦の栄養不足の行き過ぎに懸念を表明し、社会全体で対応を急がないと、こどもから大人へと成長するなかでの影響が深刻であると警鐘を乱打してきています(朝日新聞3・21付けオピニオン・フォーラム欄=「小さくなる赤ちゃん」という大型インタビュー記事)。実は現役時代に公明党の政調の会合に来てもらいスピーチをしてもらったこともあります。胎児期の栄養・環境が疾病のリスク、健康寿命の約70%を決定することが、遺伝子のレベルで明らかになってきており、母子保健の重要性がますます痛感されるというのです。これは今の若い女性が痩せることに熱心なあまり、栄養を摂らない傾向が強いことが最大の原因なのです。小さく生んで大きく育てるなどと高をくくっていては、とんでもないことになるかもしれません▼以上、何れも女性に纏わるお話三題です。「21世紀は女性の世紀」と言われてきましたが、20世紀までの男優位の社会の本質に基本的には変化がない状態が続いています。21世紀になってもう20年近くが経ちますが、掛け声だけで、依然として女性の社会的地位は低く、活躍場面はそう多くなっていないのです。さて、これをどうするか。稿を改めて意見を述べてみたいと思います。(2017・12・14)

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憲法9条をめぐる国民の声を訊こうー総選挙結果から連立政権のこれからに迫る⑤

それは、自民党や維新の会のように、最初に改憲ありきであったり、共産党や社民党のように断固触らせないという、まず護憲ありきという立場ではないということである。つまり、国民の意思動向が奈辺にあるかを探ったうえで、どこまでも行動を共にするスタンスである。言葉を換えると、国民の間に憲法9条を改正しようとする意見(加憲も含めて)が大勢を占めていないうちは慎重だが、それが変化してくれば、何時でも前向きになるということだ。これこそ国民世論と共にある中道主義の本旨だと言えよう▼そこで、私がかつて衆議院憲法調査会や同憲法審査会の場で提案したように、国民世論の動向を見極めるために、憲法改正国民投票の前に、先行的に憲法9条をめぐっての意見をひろく国民に問うことが必要だと思われる。これから憲法をめぐっての各党の意見調整が今後の政治課題になると思われるが、その際に是非とも国民世論の在り様を探ることが必要になってこよう。さらにもうひとつ大事な作業が残されている。それは政党間の協議で憲法のどこを変えるか、また、どこは変えずともいいのか、との視点からの総点検である。何を今さらという気がする向きが多いかもしれないが、それは違う。これまで一度も丹念にはなされていない▼私が現役時代に、日経新聞の唱えていた「憲法改革」の切り口に賛同して、今ある法律でことたれるものはそれでまかない、足らざるを補えるものについては、今ある仕組みを最大限に活用して、なお足らざるものに限って改正するということでどうかという提案を行った。これは私自身が取り組み原案を示すべきであったが、非力ゆえにかなわず、党内での議論に任せるのが精いっぱいだった。尤も、公明党にはその時の議論の積み重ねがある。今こそそこにこだわって行くべきではないか。改憲に熱心な政党も、護憲に執着する勢力も、つぶさにどこを変えるか、どこは変えずともいいのかの議論を政党の壁を越えてなすべきときである▼まず「改憲」ありきの安倍自民党は、いよいよいよいよ具体的日程に憲法9条を載せようとする構えである。恐らく上記のような提案をしても時間がないと一蹴してこよう。それに負けてはならない。ただ「慎重に」を口にするだけではならず、具体的な提案を次々と繰り出すべきだ。自民党の言いなりにならず、護憲ありきの自称、他称のリベラル政党の戦略にも乗せられてはならない。ひたすら憲法をめぐる国民の声に耳を傾け、幅広い合意を求めることに、中道主義の公明党の真骨頂が問われてくるものと、肝に銘じたい。(2017・11・16)

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憲法9条3項加憲の大胆な提案ー総選挙結果から連立政権のこれからに迫る➃

これからの公明党で最も注目されるのは、憲法改正に向かう立ち位置であろう。これまで、公明党は加憲を主張し、主に環境権やプライバシー権など現行憲法制定時に想定されていなかったものについて、国民的合意を得られるものから加えていくとのスタンスを取ってきている。優先順位が高いものものから手を付けるということでは一貫している。私が現役の頃に、9条3項に、自衛隊の存在を明記したうえで、国際貢献のためのPKO(国連平和維持活動)などに従事することもその役割として位置付けることを提案したことがある。しかし、時期尚早として党内で受け入れられなかった。これは2項については触れずにそのままにしておき、新たに加えるという文字通り加憲の対象として提起したのであった。その際に、2項で戦力不保持、交戦権の否定が明記されていることとの整合性をどうするかが大きな課題となる▶これについては、戦力とは、領土、領海、領空の領域保全を侵すものに対抗する自衛力とは違うと位置づけ、否定される交戦権とは、他国侵略のための戦争行為だとすることで、一応解決されよう。現行憲法9条1項、2項は、自衛のための戦力保持を否定などしておらず、領域保全のための戦闘まで否定してはいないとの解釈に立つことで、その行動主体としての自衛隊の存在を明記することが求められる。併せて国際貢献としてのPKOにも取り組むとの役割の明記も必要であろう。勿論、その際、自国防衛のためであっても、国際貢献のためであっても、いわゆる個別的自衛権の範囲内であり、集団的自衛権の全面展開にまで踏み込むものであってはならないとの自己規制は意味を持つ。先の「安保法制」においても、既に述べたように、その点はギリギリ踏襲されているとの観点に公明党は立っている▼ただ、これだと依然として不透明感は残るので、より明確にするために、2項の書きぶりを変え、整理するべきだとの主張は当然のことながら起きて来る。公明党の中では、そうすることよりも、自衛隊の位置づけも、その役割も特に明記せず、現状のままでいいとの判断が大筋であった。私のような立場に立つものはごく少なかったと記憶する。今回総選挙前に、安倍首相が3項に自衛隊を位置付けるとの提案をしたことについては、私の主張と同じに見えながらも、正直言って首相の大胆さに驚きを禁じえなかった。議論のたたき台を出しただけとのこちらの底意が透けて見えるだけに、いかにも能天気なことだと我ながら苦笑したものである。それよりも、この首相の繰り出した”くせ球”への公明党の対応が注目された▶党の立場は私の現役の頃からと同じで、ある意味微動だにしていない。現在の国民世論にあっては、9条に3項を加えるという加憲を求める声は決して大きくないとの認識である。尤も、それはまた国民の間に、自衛隊明記を9条に書き加え、その役割にきちっと一定の歯止めがなされてあれば、、それを認めるのはやぶさかでないというものであるはずだ。したがって、これから憲法9条をめぐる国民世論がどう推移していくのかが、公明党の決断に深く関わって来るといえよう。(2017・11・13)

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相互に影響を及ぼしあう関係ー総選挙結果から連立政権のこれからに迫る➂

自民党と公明党の連立が実現してほぼ20年。この二つの党はそれなりに影響し合ってきた。それはお互いをどう変えたか。自民党はかつて55年体制下にあって、野党第一党であった日本社会党と付き合う中で相手方の繰り出す政策をパクるかのように先取りしてきたとされる。本質的には富裕層の側に立ちながら、時に応じテーマに応じて、結果的に社会的弱者救済の道を、微々たるものであったにせよ、取り入れてきたと言えなくもなかった。日本社会党がその歴史的役割を終えて後方に退いた時に、代わって表舞台に躍り出たのが公明党であった。最初は”自公民三党”と呼ばれた野党の要役として、その後には与党の一翼を担って。世間の見方はどうあれ、この立ち位置の変化は、あくまで自民党政治を変革するための手段であった。外から変えるのが無理なら、内側から変えるしかないとの論理で。その戦いの具体的手だては、社会的弱者の側に手を差し伸べることに尽きた。かつて日本社会党からの政策提案を巧みに取り入れた自民党は一転、今度は政権与党のパートナーとしての公明党の主張に耳を傾けることに切り替えていったのである▼一方、公明党も永年の政権与党生活にあって、自民党的政策を種々取り入れてきた。二年前の「安保法制」をめぐっての政策合意はその最たるものであろう。それは、同盟国に対する攻撃がきっかけであったとしても、それが日本に対する攻撃と同様に日本の国民に深刻で重大な被害をもたらすようなものであれば、日本は武力行使をしてこれに反撃することまで憲法9条は禁じていないという解釈である。これは公明党からすれば、個別的自衛権の延長線上にあるとの認識に立つもので、集団的自衛権の行使を全面的に容認するものではないとの立場を主張した。この点における両党の捉え方は、玉虫色的側面があると認めざるをえないものの、集団的自衛権のフル展開を認めさせなかったという点で、公明党はより安倍首相側に譲歩をさせた結果といえる。これについては、当時の自民党内におけるさや当てが思い起こされる。石破茂氏があの事案の直後に防衛相就任を断ったことだ。彼は首相とのスタンスの違い(安保法制と公明党との関係)をその理由にしたことは我々の記憶に新しい。また、いわゆる「共謀罪法案」の成立過程にあっても、当初は膨大な数にのぼった犯罪要件をかなりの数絞ったことは注目される。これとて一般世論の反発を十分に抑えるには至っていないとはいうものの、この分野の特殊性に鑑みて、もっと評価されていいものと思われる▼こうした経緯を踏まえたうえで、自民党と公明党両党のイメージの変遷は興味深い。例えば、19歳から28歳までの若者にとって、最も「保守」に位置付けられるのが公明党で、自民党は「中道」だという調査結果(読売新聞社と早稲田大学現代政治経済研究所の共同調査)には驚いた。かつての「保守対革新」という枠組みに色濃く反瑛していた左右両翼の存立基盤であったイデオロギーは、今の若者には無縁である。「保革論争」の最中に、公明党は中道主義の旗を掲げて、イデオロギー抜きの国民生活優先の政治を生み出す新時代の担い手として登場した。しかし、それが気が付いたら、いつの間にか「保守」のレッテルを張られているとは感慨深い。何をもって「保守」といい、「リベラル」「中道」とするかはいささか見方が分かれるところだが、ここは公明党に政権担当能力があることが十分世間に認められたものとして、「保守」の名に甘んじておこう。だが、新たな風を送り込む気運に満ちているとは言い難いとの、古いイメージで公明党が捉えられているとするなら、要注意である▶今回の総選挙結果を受けて、これからしばらくまた安倍自民党権が続くことになるが、「一強」をどこの誰がが封じ、どう日本政治を進展させるかに、世の関心が集中している。小選挙区比例代表並立制のもとでは、かつてのような自民党内の反主流派の台頭は望むべくもないとの見方がもっぱらである。だとするならば、連立のパートナーであり、選挙協力という生殺与奪のカギを握る公明党の出番であろう。連立政権内野党として、自民党を揺さぶり、時にブレーキ役を果たし、またある時には覚醒させることが公明党の存在価値を高めることになるに違いない。(2017・11・10)

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50年前と本質的に変わらない政治ー総選挙結果から連立政権のこれからに迫る➁

 選挙協力に厳しい側面があるからといって、止めることはできるだろうか。20年にもわたって続いてきた自公の関係はそう簡単にくずれることはないものとみられる。だが、意外にもろいともいえる。一度ガチンコ勝負をしてみたらいいという意見も当方にないではないが、現実には相当な困難を伴う。それよりも公明党は小選挙区から撤退して、比例政党に特化したらどうかとの意見は内外を問わずにある。あるいは衆議院から撤退して、参議院にのみ議席を持つ政党になってはどうかとの問題提起もないではない。善意からにせよ、悪意からのものにせよ、聞き逃すわけにはいかない▼こうした主張に接するたびに、私は公明党の原点に思いを致す。それは政治の世界の浄化を掲げ、政治家改革、政党改革を目指して出来た政党であるということである。そこには既成政党が、国民、大衆から遊離してイデオロギー論争にうつつをぬかし、観念の遊戯に走っているとの認識があった。大衆福祉と平和な国際環境構築に向けて闘うことがその使命であった。「大衆と共に」を旗印にした政党の誕生は、出発においてどの政党とも違う原点を持つ。どこまでも素人の集団が公明党の”売り”であった▼昭和39年の結党以来、50年有余。日本経済は高度経済成長を成し遂げたものの、バブル崩壊を経て長期不況に低迷。今はアベノミクスの効用でいささかの景気浮揚は感じられるものの、経済格差は覆うべくもない。一方、国際社会にあっては米ソ冷戦は終結したのだが、ISの台頭、北朝鮮の核ミサイル攻撃への懸念、中国の軍事的大国化など新たな危機要因がひしめき、寸時の油断もならない。結局は、国内政治的には社会的弱者の中身が変化しただけで、救済を求める声は一段と高まっているし、国際社会では新たな不安定要因が高まり危機感は募る一方である。結局は50年前と政治が解決を迫られる課題は本質的には大きくは違わないのだ▼結党直後に党員になり、5年後に機関紙記者になって、衆議院議員秘書から代議士を経て今に至るまで、公明党を見守り、時に主体者として党を動かす一員であり続けてきた。その私にとって、与党・公明党の役割が今ほど重要視されるときはないものと思われる。今そこに横たわる内外の危機的状況にどう対応するのか。50年前に結党された時の思いに今再びの思いで立ち返らねばならない。党も個人も政治のプロになってしまって、シロウトだった昔の思いを忘れているのではないか。素朴な疑問が胸をよぎる。安倍一強といわれる自民党に寄り添うだけで、公明党らしさを発揮できずに大衆に満足を与え得ていないのなら、何のための公明党なのかと言われかねない。(2017・11・6)

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自公選挙協力の実態ー総選挙結果から連立政権のこれからに迫る➀

今回の衆議院総選挙の結果で、公明党が6議席減らして29議席になったことをどう見るか。与党として3分の2を得るために、引き続き大事な位置を占めるのだから、一喜一憂することはないとの捉え方が専らであろう。一方で、この10数年の総選挙における比例区票が伸び悩んでいることは座視できない。この際に、長きに渡る連立政権の在り様を、点検する良い機会ではないか。このままで良いのか、正すべき歪みがあるならそれを正して新たな出発をすべきだというのは正論だと思われる▼選挙戦の度に聞こえてくるのは小選挙区比例代表並立制における選挙協力の難しさである。大阪で4選挙区、兵庫で2選挙区にあって、公明党の候補が自民党の支援を受けている。それ以外のほぼすべての選挙区(北海道、東京、神奈川の3区を除く)では、公明党が自民党の候補を応援しているが、それらの地域では自前の候補を擁立するのがより厳しいために、歳月の推移と共に自民党支援が定着してきたと言えよう。勿論、私の元の選挙区(中選挙区時代)たる西播磨地域(兵庫11区、同12区)のように、つい先ごろまで旧民主党の幹部であった二人の大物が、自民党にスルリと鞍替えしてきたために、俄かに支援をしてほしいと言われても感情的に収まり難いところも否定できない。それぞれに元自民党代議士で勇退者の家族や支援者の存在も無視できないからだ。小選挙区は自民党に投じる代りに比例区は公明党に、ということは中々簡単ではない。▼逆に公明党の支援を受ける自民党の側ではどうか。兵庫の2小選挙区(2区と8区)では、20年を過ぎて自前の候補を出せない神戸市や尼崎の市議団や県議団から焦りの声が出ては消え、消えてはまた表面化するというのが実情である。戦って負けたのなら諦めもつくが、戦わずして不戦敗を強いられるというのは一体どういうことかとの不満の声が引きも切らない。組織の弱体化は覆いようもないとのうめき声である。昨年の参議院選挙では、24年ぶりに公明党が兵庫選挙区に候補者を出したものだからなおいけなかった。それまで我慢していたものが一気に爆発寸前までいった。その矛先は公明党にではなく、自民党中央に向けられているのだからご了解をとの自民党県連幹部からの弁明が私のところにも寄せられた▶今回の総選挙でも、私が大阪5区に支援に行った際に切実な話を聞いた。古くからの自民党の党員であるという税理士さんだった。彼曰く「前の公明党代議士から今の方に至るまで、支援する流れが20年この方ずっと続いており、もはや諦めてはいるが、そういう我々の”悲哀”を分って欲しい」との切なる声であった。真摯な姿勢の主張に多くのものを感じざるを得なかったのである。(2017・10・31/11・6に一部修正)
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「自公圧勝」報道に偽りあり、公明議席減の意味を探る

嵐の中での衆議院総選挙が終わって早くも三日が経つ。私が議員を辞めてからもうすぐ5年だが、支援して頂く側から、する側に回って3回目の選挙だった。選挙にあって候補者を当選させるための司令塔役はまことに大変だが、純粋に支援をお願いすることだけに絞ると実に楽しいことが多い。高校卒業から50余年になる私は、福岡と横浜に住む二人の同級生と初めて連絡が出来て、半世紀ぶりの出会いを近くすることになった。心弾む。また1年半前に顧問先が主催する工業デザインにまつわる会合で知り合った多摩美術大学の女子学生たちに電話をした。その結果、来月3日から始まる大学祭に行くことになった。これまた心弾むことだ。更に、不義理をしていた歯科医を演説会に誘い関係を戻したり、同じく足が遠ざかっていた鰻屋に実に久方ぶりに行き、美味くて安い鰻丼に舌鼓をうったりもした。そのきっかけは大阪の公明候補者の選挙事務所が鰻屋の二階にあったから(行きたくても高そうだったし、場所柄もあって行けなかった)というのも、我ながら笑ってしまう。食い物続きでいえば、支援依頼先の社長に紹介してもらった鮨屋では、偶々出くわしたお客を交えその店の大将や女将と政治談義が盛り上がったことも痛快だった▶楽しい語らいを織り込んでの激しい闘いの結果、選挙結果でも勝利すれば言うことなしなのだが、そうはいかない。今回の選挙では「自公圧勝」と報じられたように、確かに自民党は解散前と全く同じの284議席を獲得して、選挙戦当初の予想を覆す大勝利だった。しかし、現状維持を信じていた(少なくとも私は)公明党は35議席から6議席減(小選挙区1、比例区5)に終わったのである。「自公圧勝」報道に偽りありだ。比例区で落選したのはいずれも前回初当選組だった。前回勝ち取った尊い議席を失った意味をどう考えるか。これからの慎重な分析を待たねばならないが、敢えて私的な捉え方を述べれば、自公政権対希望・維新対立憲・共産という三極対立の中で、公明党の立ち位置が埋没してしまったということに尽きよう。希望の党が負けたということに世間の関心は集中しているが、それでも50議席を獲っている。「立憲民主」が3倍増になったことや、「希望」への当初の期待値が大きかったことなどからして、一方的に批判されがちだが、ここは安易な決めつけはよした方がいいと考える▶今回の民主党の3分裂騒ぎについて、ひたすら小池東京都知事の「排除」発言を始めとする責任論(ご本人が認めているものの)に目が行きがちだが、私はそうは思わない。確かに野党結集を殺いでしまった彼女の罪はあるが、その「分断」的行為は、日本の政治を分りやすいものにして余りある。ご本人の思いとは別に(本心ははかり知らぬが)日本政治史上の功績は大きいと言わねばならない。結果的に立憲民主党が得をした風に見えるが、旧民主党内の勝負はこれからだろう。参議院に残る民主党の行方を含め、これから第二陣の争いが始まる。注目したい。その際の視点は、日本に二大政党は育つかどうかに絞られる。旧社会党のような世界観において与党とは真逆のものを持つ政党が野党第一党に位置し続けることはご免蒙りたい。少なくとも安全保障分野での合意をベースにした政党同士の争いでないと、かつての55年体制下のように再び不毛の対立となってしまう。今回の小池氏主導のもとの希望の党の設立も、細野氏らの言動を聴いている限り、安保法制に反対するひとたちとは組めないということになる。そうした意味では立憲民主党がこれからかつての社会党のようにならないかどうかを見極める必要があろう▶自民党はかねて自社対立時代に身につけた知恵として幅広い政策選択をほしいままにしてきたことが指摘される。富裕層の側に立つ政党だとの批判を受けるなかで、少しづつ社会的弱者の視点も取り入れてきたのである。これは自公政権になって公明党に気を配る中でさらに一層定着してきた。選挙が終わった直後のテレビ朝日系の討論番組では、自民党はリベラル政党の側面が強いとの指摘が専らだったが、これなど公明党がじっくりと吟味する必要がある。かつて社会党から学んだ自民党は今や公明党から学んでいると言えなくもない。このあたりをしっかり受け止め、もっともっと宣揚する必要がある。尤も公明党は安全保障分野で自民党の安定かつ責任性を学んできているのだからお互い様ではあるが。この辺りはあまり注目されないというか、報じられることがない。公明党は東京都政や大阪府政での行動と国政での振る舞いが相違しているのが分かり辛いとされたり、「憲法改正」をめぐる主張が今いち曖昧だとされてきている。不本意なことだ。これこそ自公政権下における是々非々の対応で、注目されるべき極めて大事なスタンスなのだが、一般的に受け入れられるには苦労している。比例議席減もこの辺りと無縁とは言えないだろう。どう公明党の立場・主張を説明し、独自性をアピールするか、等身大の政党の在り様がこれから問われてこよう。(2017・10・25)

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「分断」選挙での一騎打ちに問われる共闘力

郵便ポストに「しんぶん赤旗」の号外なるチラシが入っていた。自治会長の看板と公明党のイメージポスターを掲げている我が家に堂々とポスティングして頂くとは……。オモテ面では安倍政権批判、ウラ面には希望の党批判などが掲載されているものを見ながら、変わらざるこの党のしたたかさと共に、違った側面にも思いをはせた。これまでの衆議院総選挙と趣きを変え、この党は全ての選挙区に自前の候補者を立てているわけではない(67選挙区で候補者を下ろしている)。野党共闘のために、去年の参議院選挙と同様にわが身を捨てているのだ。今回の総選挙は、いうまでもなく三極がぶつかり合う構図となっている。自公の与党組と、維新、希望という東西の両知事に率いられた新興グループと、立憲民主、共産の新たな左翼勢力の三つである。公明党はこのなかで捨て身の共産党の底力を思い知らされている。最終盤の選挙戦での世論調査では、公明党の小選挙区の当選予測は7議席。2選挙区で大苦戦を知られており、このいづれもが背後に共産党が支援する立憲民主党候補者との一騎打ちなのだ。▶9つの小選挙区では自民党はもとより、希望の党や日本維新の党が公明党との勝負を避けて候補者を立てていないことから、かえって票が分散せずに厳しい状況を生み出している。共産党と立憲民主党それぞれの表裏の役回りがうまくいっているところは、先に挙げた2選挙区だけでなく、きわめて厳しい情勢となっている。こうした闘いにあって我々は、ややもすると、共産党を旧態依然とした視点から攻撃しがちだ。例えば、「実績横取りのハイエナ政党」だとか、「オウムと同じく公安調査庁の調査対象だ」などといった観点である。そうした十年一日のごとき観点で批判していると、間違ってはいなくても、相手にとってはあまり痛みを感じないばかりか、いわゆる無党派層が公明党から引いてしまう可能性がある。立憲民主党に対しても共産党との類似性をあげつらうことはあまり効果的な批判になっていないように思われる▼今月発売の『文藝春秋』11月号で作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が、巻頭で面白い論文を発表している。そこでは保守、リベラル、中道といった政治的立場の腑分けが世代的にかなり違うことを論じていて興味深い。それによると、20代、30代の若い年齢層では公明も共産も保守であり、自民がリベラルだというのである。ここでいう保守、リベラルは、恐らくは伝統的な価値観を踏襲するのが保守で、新たな価値を創造しゆくのがリベラルだということであろう。今の若い世代から見ると、宗教的価値やイデオロギー的価値にとらわれている政党は保守と見え、次々と新しいことに挑戦するかに見える自民党はリベラルということなのかもしれない。つまり、これまでの常識があまり通用していないのである。ここではその論考が正しいかどうかということではなく、我々が常識だと思い込んでいることは意外に的外れかもしれないことに気づくべきだろう。ちなみに旧民主党的な立ち位置は中道という位置付けのようだが、公明=中道を揺るがぬ信念として持つ私など、若者からすれば古めかしい人間として要注意の存在に違いない▼今回の選挙では、世界的な「分断」の傾向が日本にも見られるといえなくもない。欧米では移民政策をめぐって国家の在り様が分断され、かつての統合の影は薄い。日本の場合はテーマは安保政策(安保法制への賛否)であり、憲法9条をめぐる立ち位置だ。言い換えれば、自国第一(日米同盟優先)か、国際協調優先かの選択でもあろう。小池氏が意図的か不用意であったかは別にして、旧民主党のメンバーの希望の党への合流に際して、この二つへのスタンスを「踏み絵」に使ったとされるのはその表れだと思われる。選挙が終わってからの混乱を避けるべく事前にこれを行ったために、その勢いが削がれてしまったことを一部メディアは嘆く。しかし、結論はまだ出ていない。我々が立憲民主党が選挙前に急拵えでできた政党だなどと舐めてかかるととんでもないことになりかねない。共産党が裏に回ったときの力は侮れない。一方、公明党が表に出ている場合に、自民党や非立共グループ(希望、維新)の支持者たちがどう動くかが注目されるし、公明党の支持者自身が自民党との一体化をどうとらえているかも微妙な影響をもたらしかねない。すなわち、公明党だけの力ではなく、友好勢力との共闘力が問われていることを明記する必要がある。(2017・10・19)

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自民党小選挙区候補の演説会に参加し、この30年の政治を俯瞰する

姫路市の船場小での演説会(10・12)の冒頭にあいさつに立った連合自治会の幹部は、やおらタオルを広げて聴衆に見せた。そこには「祝就任 松本十郎防衛庁長官」と書かれてあった。松本十郎氏の長官就任は平成元年暮れのことだったかと記憶する。いきなり30年ほど前に引き戻された。平成2年(1990年)に私が初めて衆議院選挙の旧兵庫4区(中選挙区制)に立候補した直前のこと。戸井田三郎氏が初の厚生大臣になり、それに遅れまいとする松本氏が時の派閥の領袖や首相にねじ込んでその大臣の席を得た、と当時もっぱらの噂だった。河本敏夫元経企庁長官と併せ、自民党の3候補が大臣経験者の列に名を連ね、全くの新人候補である私をブロックする構えが明白となった。私がその後を継いだ新井彬之氏も、当時の社会党の候補だった後藤茂氏も含め、皆さん鬼籍入りしてしまったこともあり、今やそんな昔のことを覚えているひともごく少なかろう。しかし、私にとっては忘れようにも忘れられない。2年前に旧民主党を離党し、無所属を経てこのたび自民党の公認を得た十郎氏の息子・松本たけあき氏(元外相)の演説会に参加して、思いがけずに特別の感慨に浸る羽目になった▼中選挙区から小選挙区比例代表並立制の選挙制度になって約20年が経つ。その制度に様々な弊害が目立ってきてはいるが、その後の推移がもたらした政治的所産の是非は充分な検討を要する。元をただせば、中選挙区制は巨大政党・自民党内での熾烈な内輪の争いを防ぐ一方、穏健な二大政党制確立に導こうとする狙いがあった。長期にわたる自民党政権下の金権腐敗政治の根を断ち、一党独裁に終止符を打つことも目的とされた。今日までの流れで政治はどう変わったか。確かに自民党一党支配はなくなり、連立政権が常態になった。民主党政権が樹立した時には二大政党制が日本にも根付くかと思われた。しかし、その民主党政治は散々な結果をもたらした。今日のように、民進党に衣替えしたのちに、希望の党と立憲民主党、無所属などと三分裂する事態になろうとは、殆ど誰もが予測し得なかった。「安倍一強政治」とか言われるが、これは「権力批判」が生業であるメディアの本質がもたらすもので、ある程度は割引してみる必要があろう。確かに「森友・加計」問題に見られる首相自身の脇の甘さや傲岸さゆえの失政もあるが、一方で経済運営の包括的在り様や外交安全保障政策の堅実さなど評価できるものも少なくない。社会保障政策でも着実な前進は見られる。そうした実態の背景には、陰に陽に自民党政治を矯正してきた公明党の果たしてきた役割があるのではないか▶この日の演説会で、自民党に鞍替えをしたことをどういう風に松本氏が弁明をするかと注目していたが、「公認を頂いた」「これでやりたい仕事ができる」とさらりと言うにとどめていた。2年前の離党に際して、共産党との共闘を主張する岡田民主党にはついていけないという意味のことを口にしていた。今日の民進党の分裂騒ぎにあって「希望」との合流や立憲民主党の結党などを見るにつけ、その先見性を誇っていいものと思われる。かつて、公明党も新進党合流騒ぎがあった。衆議院サイドは合流し、参議院や地方議員は残留し、後に新進党が分裂した時に、公明党に戻らず小沢自由党に行く者もあった。こうしたことを思うにつけても、他党や他党に所属するひとたちの動きは同情こそすれ余計な批判をするつもりはない。大事なことは政党、政治家としての初心を忘れず、何のために政治を志したのかに立ち返ることだろう▼公明党は大衆のために政治を取り戻すということがその行動の原点にある。かつて自民党が経済的に恵まれた層の代表であることに固執し、共産、社会という左翼勢力がイデオロギーに偏重し、共に大衆から遊離していると見るしかなかった。それだからこそ公明党は立ち上がった。立党当初から20世紀の最後の辺りまでは、外からの自民党改革に執念を燃やした。この20年程は政権内部から、連立相手の自民党を内側から変える戦いに取り組んでいる。政権に入ることで、現実政治のプレイヤーとして働くことができ、庶民大衆の願望をたとえわずかではあっても手にすることができている。いくらきれいごとを言っても、何一つ具現化できぬ万年野党ではどうしようもない。また、巨大与党の欠陥部分について、観客席から幾ら詰ってみても詮無いことが多い。連立与党チーム内で、公明党は自民党の良きところを伸ばし、悪しきところを失くすといった役割がある。ただ、表面上を見ているだけで、大事なところを見落としてはならない。公明党の動きをじっと見るならその本質的行動に全くブレはない。どう動くことが庶民大衆の利益になるかが、どこまでも主たる関心事だと確信する。政治はあるべき理想に向けて、相対的によりましな選択を積み重ねていくしかないのである。(2017・10・14)

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