人間の出会いって面白いものです。代議士を引退して普通の人間に戻ってこの暮れでちょうど4年。様々な出会いが今年もありました。中でも年末近くになって知り合った大和泰隆氏は底知れぬパワーを秘めた人物と私には思われます。彼は大阪大工学部建築工学科を40年程前に出た後、家業の建設請負業を経て、様々なコンサルタントとして活躍してきたひとです。この1年大手建設コンサルタント業界に身を置くようになった私と接点が出来ました。しかもその共通点は歯科医院をめぐる経営というのですから、我ながら笑ってしまいます▼私のブログをご覧いただいている方は、既にご存じのように、私は歯科医とのご縁が少なからずあります。国会でも歯と骨粗鬆症との関係を取り上げ、懸命に両者の改善に取り組む高石佳知歯科医師の闘いを紹介したり、昨年末には、姫路の河田克之歯科医との対談本『ニッポンの歯の常識は?だらけ』を出版したりもしました。そこへ新たな歯科医師を、大和氏からに教えていただくことになったのです。このひとは高橋伸治さんといい、香川県高松市で歯科医院(しん治歯科医院)を開業しています。早速に淡路島を経て四国路を車で飛ばして、その経営の一端を見学に行ってきました。勿論診察していただくことも兼ねて▼その気になったのはどうしてでしょうか。それは、ひとえにその経営の在り方が徹底した予防治療に貫かれており、地域住民と深い信頼関係で結ばれていることにあります。高橋伸治編著『「いいかげん」が好い加減ーヘルスプロモーション型予防歯科の楽しさを伝える』という変な題名の本をよんでひらめいたこともありますが、惹きつけられたのは、ネットで見た歯科医師8人、歯科衛生士12人というスタッフの充実ぶりと年間1万人近くもの人が定期健診に訪れるということでした。そして患者さんたちの素晴らしい笑顔にも。百聞は一見に如かずです。まことに綺麗で広々とした医院。待合室がこれまで私が関わった歯科医院の診察室ぐらいあります。受付に待機するロボットに始まり、4か月先までの予約がぎっしりと詰まった一覧表にいたるまで、IT機器が駆使されていることで解りました▼蛇足ながら、人間らしさに貫かれた治療の実態は、歯の磨き方指導(いゃあ、気持ちが良かった)に代表される歯科衛生士さんの優しい人となりにあります。そして院長の懇切丁寧なパソコン画面を使っての患者の歯の病状説明にも。院長とは診て頂いたあと、場所を移して長い時間をかけてありとあらゆる口腔医療のこれまでとこれからを語り合いました。その中身はおいおい紹介しますが、従来の歯科治療との発想の違いを痛烈に感じました。これからの健康都市構想(私の目下最大の関心事です)の基盤には、こういったヘルスプロモーション型予防歯科が据えられる必要があると強く確信したしだいです。 (2016.12.29)
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死の宣告、地獄の沙汰から蘇った二人の友人
肝臓がんのステージ4の宣告を医師よりされた友人が死の底から蘇りました。また、もう一人の友人は、奇病や事故でこの一年半ほど、歩くこともままならぬ状態から見事に回復しました。その体験を聴く機会がありましたのでかいつまんで報告します。前者の友人は毎日新聞大阪本社記者を経て、大阪毎日ビル社長を最後にリタイアしたN氏。私とは大学で4年間同クラスでした。彼は先年暮れに大阪駅で転倒して後頭部を強打、北野病院に担ぎ込まれ一か月余り意識不明の状態が続きました。しかし、主治医の名治療の甲斐あって命冥加な彼は蘇りました。ところが、喜びもつかの間、今度は冒頭に記したような末期がんが発見されたのです▼肝臓の三分の一ほどが腫瘍に冒されている状態、その事態の深刻さを医師から告げられ、流石に剛毅な彼も驚き、覚悟をしたといいます。しばらくして身辺の整理をしました。本を片付け、おカネの出入りを仕切ったり、遺言も当然ながら書いた、と。ところが、医師から兵庫県の西播磨科学公園都市での陽子線治療を受けてみたらどうだ、といわれ、一縷の希望を抱いて入院加療に踏み切りました。巨額の費用(500万円ほど)が掛かったものの、ピンポイントで陽子線をあてる手術は成功、死の淵より蘇ったのです▼転移もなくてすっかり元通りの体に戻った彼は、もう一人の友人O氏と一緒に私と三人で先日、奈良へ元気にハイキングに行くまでになりました。実際に元気な姿を目の当たりにして心底から感激しました。巨額の費用もこのところの株価の上昇で、なんら痛手とならずにあてがうことが出来たといいます。まったく「地獄の沙汰も金次第」とはこのことかとばかりに、大笑いしたものです。おカネがなく工面できずに命を諦めるひとのことが思いやられました▼加えてO氏もこのところ、病に次々と冒されたり、思わぬ事故の連続で、大変だったのが見事に立ち直ることが出来たといいます。前立腺がんに始まり、心臓病で苦しみ、女性化乳房肥大症という奇病に悩まされたといいます。なにしろ男なのにおっぱいが大きくなり、乳房が痛むというのだから笑うにも笑えません。おまけに高いところから飛び降りた際に着地に失敗して、足首を複雑骨折してしまったのです。猛烈な痛みが手術のおかげでなくなった後も、一年余りも腫れあがった状態が引かず、松葉杖生活が続いたようです。複数の病気の上に、まともに歩けぬ不便さたるや言語に絶する苦労があったといいます。その彼もようやく治って、無事普通に歩けるようになり、3人で久方ぶりに会うことが出来ました。私も無傷、無病息災とは言えませんが、二人に比べれば未だしもましです。お互いに健康であることの大切さを痛切に感じた年の暮れでした。(2016・12・23)
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逝きて3年余。中嶋嶺雄門下生が選集8巻を出版
中国問題の泰斗であり、大学改革の旗頭であった故中嶋嶺雄先生(元東京外国語大学長、元国際教養大学学長)が逝かれて3年余。お弟子さんたちがこのほど、力を合わせて先生の著作選集を完成され、全8巻が出版されました。その出版を記念する会がさる11月26日に東京四谷のホテルで開かれましたので、私も参加しました。若き日の同先生が慶応大学へ非常勤の講師として出向されていた時に、教えて頂いた者にとっても感慨深い集いでした▼出版元は桜美林大学北東アジア総合研究所。佐藤東洋士同大学長はじめ川西重忠北東アジア研究所長ら出版元関係者や、中嶋ゼミのOBたち、さらにはドストエフスキー研究で有名な亀山郁夫名古屋外国語大学学長、ロシア問題の権威の袴田茂樹氏など多彩な人々が集まってこられていました。記念の集会では、選集出版の編集に携わられた面々の苦労談やら、先生の思い出を語るシンポジウムで幕開け。責任者だった国際教養大の勝又美智雄名誉教授や拓殖大学の名越健郎教授、そして先生の次男で早稲田大の中嶋聖雄准教授らが次つぎとマイクを握り、秘話を披露してくれたのには十分満足できました▼中嶋先生の書かれたものはほぼ全て読んできたと自負している私だけど、そこはやはり直接のお弟子さんたちにはとてもかないません。「知的バイタリティーの凄さ」(曽根康雄氏)「透徹した人間観察に基づくリアリスト」(渡邊啓貴氏)「凄い筆力に圧倒されるばかり」(濱本良一氏)「偉大な国際教養人」(中嶋聖雄氏)といった、中嶋先生を賞賛される言葉もいたってすんなりと耳と心に飛び込んできました▼懇談の場では、先生ゆかりの方々がそれこそ滅多に聞けない話を紹介してくれ、大いに盛り上がりました。たとえば、先生の自動車の運転は非常に危なっかしいものだったとか、得意のヴァイオリンは音程が結構狂うことがあったとか、しばし場内に笑いの渦が起こりました。尤もそれは中嶋先生のヴァイオリンの師であった「鈴木メソッド」の後継者である豊田耕児さん(国際スズキ協会会長)のお話だっただけに、先生のお人柄を彷彿とさせこそすれ決して変な暴露談では全くありません。最後に登壇された奥様の洋子さんが「まるで私は怪物と一緒に暮らしていたみたい」と述べられたのには、大いなるユーモアを感じました。集合写真の撮影時に、先生のご長男黎雄さん(大阪大学准教授)が遠慮されて後方に立っておられたので、空席のままだった私のお隣の椅子にお誘いした次第です。(2016・12・7)
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若さの凄みを感慨深く味わった ピアノ&ヴァイオリン リサイタル
若いってホントにいいなあーこの当たり前の感慨を改めてしっかりと味わう機会を得ました。知人のお孫さんー大学三年生ーが開いたピアノ&ヴァイオリンのリサイタル(12/3) に行って、その会場である姫路キャスパホールで感じたものです。ピアノ4曲を弾き終え、その都度のトークや、ヴァイオリンの演奏3曲を弾き終えてのお話など、なかなか普段には聞くことが出来ない、若さに満ち溢れた初々しい凄みさえある中身でした。▼水本日菜子さんと、安田陽彦さん。二人とも兵庫県出身で、桐朋学園大学在学中という若さ。水本さんのおばあ様が姫路在住で著名な作家の柳谷郁子さん。ご主人が元姫路市議ということもあって、私とは旧知の間柄です。数か月前にご夫婦とご一緒する機会があり、その際にこのリサイタルのことを聞き、楽しみにしていたものです。というのも、私の家内が桐朋学園ピアノ科の出身でもあり、遥かに後輩ではあるものの、同窓の誼もあって滅多に行くことのなくなった音楽演奏会に二人して出かけたしだいです▼とりわけ水本日菜子さんの弾いたラフマニノフ『音の絵』、リスト『超絶技巧練習曲10番』ブラームス『パガニーニの主題による変奏曲』ラヴェル『夜のガスパールより「スカルポ」』については、いずれも大変に難しい曲ばかりとのこと。彼女自身が「超絶技巧の曲を4曲も続けて弾くって自殺行為だと周りから言われました」と、ケラケラと笑いながら話すのには思わずこちらも「貰い笑い」をしてしまう始末。姫路で生まれ、神戸でピアノの学びに徹して磨きをかけた彼女が、生まれて初めての東京生活での”さわり”をあれこれと惜しげもなく語ってくれたのには興味深いものがありました。というのも、我々夫婦にとって東京は限りなく懐かしい空間です。半世紀前の学生生活をそれぞれに想い出させてくれるかけがえのないひとときでもあったのです▼休憩時間に会場の最後列に坐っておられた柳谷郁子さんにお祝いの声を掛けました。「将来がとっても楽しみな豊かな才能をお持ちですね。赤穂が生み出した若き天才ヴァイオリニストの樫本大進さんー彼は毎年故郷でのコンサートを実施ーのようになるといいですね」と。気品溢れるムードをお持ちの郁子さんは、美しい微笑みを一段と称えながら「明年はウクライナでフィルハーモニー楽団との協演にお招きいただいているようです」と嬉しそうに述べられた。その直後に「テロが心配で」と付け加えられたことに、孫娘さんのピアノ演奏へのそこはかとない自信を感じたしだいです。(2016・12・4)
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「解散総選挙は明年末の公算大」ー田崎史郎氏の分析から
前国会議員の会合が16日に開かれました。毎回様々な分野の専門家を呼び講演を聴くのですが、今回は今売れっ子のジャーナリストである田崎史郎時事通信社特別解説委員の登場でした。安倍総理や菅官房長官とも近く、その政局分析には定評のある人と言うことで参加しました。聞き終えて期待にたがわぬ面白い話でした。ここではこれからの日本政治を考えるうえで参考になるくだりに限ってご紹介します▼まずは天皇の御退位問題。今回の天皇のご発言を注意深く読めば、明らかに平成30年までは責任を持たれるが、それ以降はないということが暗示されていることが分かるという点でした。現在、皇室典範の改正をして摂政を置くか、特別措置法で今上天皇に限ってご退位の道を開くかが焦点になっているが、自分は後者にすべきだとの意見を表明していました。日本最後の安全装置ともいうべき天皇の存在はやはり軽々しく扱うべきではなく、人生の終末まで在位頂くのが筋だとの考え方です。また、メディアの報道での「生前退位」について、皇后が驚かれた(生前とは亡くなったときに使われる表現のため)というエピソードや、ある識者がテレビで「平成天皇」と発言して、抗議が殺到したとか(今上天皇と呼ぶべき)、次の元号は頭文字がMTSH以外のものになるはずとか、興味を強く引く話ばかりでした▼次に安倍総理が何をしようとしているかについて。経済再生、憲法改正、日露関係の打開の三つだとしたうえで、経済は結局道半ばで終わるとの悲観的見方を断定。ただ、TPPは政権の命運をかけて日本が主導して実現に取り組み、経済の「明治維新」をもたらしたいと考えている、と。憲法については、9条改正は考えていず、国民が納得する緊急事態対応などについてやりたいと考えてると明言。日露では、4島一括返還でなければ、というかねてからの国民世論が大きく今では変化してきていることに言及。今年末の山口での首脳対談では、歯舞、色丹の返還には何らかの合意をもたらし、国後、択捉などは自由往来などに触れ、更なる詰めは2017年7月のウラジオストク東方フォーラムに委ねることになろうと予測していました。両国の友好条約交渉はそこから数年かけて進むはず、とまで▼安倍政権のこれからは大胆にも、2021年9月まであと5年続くと予測。自民党の総裁任期の延長について、大平首相が「40日間闘争」に懲りて、期数制限を試みたことを取り上げ、暗に今は対抗馬がいない(石破氏がいかに人と会わない政治家であるかを披露)との党内情勢を吟味してみせていました。さらに公明党はじめ各党には党首の任期に期数などの制限がないこともその要因である、とも。次の総選挙については、「来年11月解散12月総選挙の公算が大」であると強調していました。来年1月、再来年1月の可能性も2割づつはあるものの、前者は衆議院の選挙制度改革が間に合わないこと、再来年では追い込まれ感が強いことなどを理由にしていました。尤も、最後に、「政治は川の流れのようなもの」との信条で取材してきた身としては、「当たらなかった」と後に言われても、「それは状況が変わったという他ありません」と笑いを誘う「逃げ」を打つことも忘れなかったことが印象的でした。(2016・11・17)
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はったりから妥協へー”トランプ手品”にどう対応するか
米大統領選挙結果に世界中が驚き、ショックを受けています。トランプ氏の「まさかの大勝利」の選挙の結果が出た翌日に、たまたまヨーロッパ議会の女性議員(コリン・ランゲン元ドイツ・ビンゲン市長)を姫路にお迎えしたので、個人的に様々な意見交換をしました。彼女も世界の前途に暗雲が垂れ込めたと、大いに深刻な表情をされていたのが印象に残っています。殆どのメディアが報じているように、確かにトランプ氏が選挙戦中に発言したことをそのまま実行に移すなら、たちどころに世界は大混乱に陥るものと思われます。不透明な国際政治・経済の先行きを予測することは困難ですが、トランプ氏は”大化け”ならずとも変質するとの期待感を持ちたい思いに駆られます。ゲームとしてのトランプに「神経衰弱」なる遊びがありますが、個人も国家社会も本当に衰弱せぬうちに、「トランプ手品」の如く、問題解決といきたいものです。選挙最終盤にあたかも冗談のように喧伝されていたのにまともに降りかかってきた「トランプ・リスク」を、三つの視点から考えたいと思います▼一つは、ここでいう”大化け”とは、彼が急に掌を返して、今まで言ってきたことは撤回するなどということでは勿論ありません。そんなことをすると支持者たちが彼を許さず、さらにいっそう滅茶苦茶な政治状況になってしまいます。ここは、本人に過去二回会ったという寺島実郎日本総合研究所会長の「(トランプ氏の)人生を貫く価値はディール(取引)だけでしょう。思想も哲学もなく、いくらでも妥協する。はったりから落としどころに持ち込む手法です」(朝日新聞11・12付け)との言葉が気になります。寺島氏は、就任後にトランプ氏の内外における”大いなる妥協”が始まるとの見立てを持っているのではないかと思われます。トランプ氏のはったりに期待をした支持者たちが「落としどころに持ち込む妥協の手法」に満足してくれることに期待するしかないといえましょう▼次に、アメリカという国の政治にあえて内政干渉してしまえば、「二大政党制」と「大統領選挙の在り方」という問題、つまりはアメリカ民主主義が孕む課題です。共和党と民主党という巨大政党が、政権交代を賭けて4年に一度大勝負をするということは、その都度本来は今までも国家を二分する政争が行われてきたわけです。中国やロシアのような共産主義、もしくは疑似資本主義国家と違って、国家社会が常に分断されかねない危険性を持ってるのです。今までは民主主義国家における自由な競争、同じ価値観を持ったもの同士の内輪もめ程度で済んでいたのですが、トランプ氏はそれを根底からひっくりかえすかのごとき発言を一貫して繰り返してきました。民主主義のモデル国家であるかの如く見られてきたアメリカがこれから大統領自らがしでかす「民主主義への挑戦」ともいうべき難題解決に、どう取り組むか。固唾を吞んで見守る絶好の機会です▼随分と脳天気な、対岸の火事みたいなことを言ってきましたが、異常事態ゆえご容赦を。次に、日本はどう対応すべきか、という課題が三つ目です。安全保障の分野でトランプ氏は日本が応分の負担をしないなら、米軍は撤退するとか、北朝鮮が核を持つのなら日本も持つべきだといったような、事実誤認や国際政治の常識を弁えない論法を弄んでいます。これに対応する答えはただ一つ。日本が自立する気構えを持つことだといえます。今まで自らを「半独立国家」だとか、「対米従属国家」だとかいう風に規定してきていながら、日米同盟関係に漫然と安住してきた感がなしとしない日本が本気で米国と対峙する時だといえましょう。勿論、それは直ちに「安保条約破棄」だとか「核保持」などということではありません。自らは自らで守るという気概を持たぬ限り、二国間関係は本当の関係ではないのです。トランプ氏の「対日はったり」に、どう日本が真面目に”かます”か、大いに腕と知恵の発揮しどころだといえましょう。(2016・11・13)
しかし、天邪鬼な私は正直に言ってあまりショックを受けていません。むしろこれを契機に新たな世界が開けていくことへの期待感があります。もはや現役ではないので、直接様々な課題に直面することからくる責任がありませんから、脳天気に構えているのかもしれませんが……。ここでは彼が最悪の行動に出ることは思いとどまる(つまり、勝利後の演説に見るような融和路線を歩むとして)という前提の下で、楽観的でかつ異質の受け止め方を示してみたいと思います▼そもそも米国のような二大政党制のもとでは、政権交代が前提とされていますので、大なり小なり国論世論が二分されがちです。中国やロシアのように強権的な共産主義国家、疑似資本主義国家ではないところでは、民主主義のもと自由な政治言論が保障されていますから、ある意味当然でしょう。しかし、事態はかなり変化の様相を示してきました。これまでは資本主義がまっとうに発動し、民主主義が伸長する基盤が強固だと見られていたのに、米国ではかの2008年のリーマンショック以来急速な形で貧富の差が拡大してきました。貧困層と富裕層の二分化こそ今回のトランプ大統領誕生の根本的原因だと見られています。
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秋祭りに地域発展のカギをみる―駆け出し自治会長の素直な実感
今年も我が姫路市では秋祭りが一部を除いてほぼ終わりました。私の自治会でも既に10月半ばに終わっており、肩の荷を下ろした気分です。自治会の役員の皆さんに助けられて、自治会長としては特に何をするということもないのですが、一年の行事の中で最大のイベントであるだけに、達成感はそれなりにあるといえましょう。私は地方議員はおろか、自治会役員も何も経験したことがありません。いわゆる隣保長なども順番が回ってきても妻任せ。勿論、自慢じゃありませんが、溝の掃除、粗大ゴミ捨てすらしたことがなかったのです。そんな人間が、衆議院議員を20年やったあと、引退していきなり自治会長をやってるのですから。なにもかも初体験ばかりでもうすぐ2年が経ちます▼かつて私は、町内会組織というものは自民党の集票マシンだと決めつけ、蔑視しないまでも無視していました。無知もいいところ。今となっては恥ずかしい限りです。自治会と政治家との関係はそんな簡単なものではありません。政治家にとって信頼を得るには、いかにお世話をするかが大事です。私の町内には若手のホープともいうべき市議(元民主党所属)が相談役として存在しているので、地域住民の方々からの相談ごとは出来るだけ彼に振っています。本当は公明党の我が地域を担当する市議に頼めばいいのですが、彼はいささか離れた地域に住んでいますし、地元のことは地元に住む議員にお世話してもらうのが筋だろう、と党派にこだわらずに、我慢しているところです▼それにつけても”祭りの花”といえば、屋台巡行であり、他町内会との屋台の練り合わせです。大変に重い屋台を40数人で必死に担ぐ姿。それを皆で煽り立て、しで棒を振り、声援を送る光景。これは慣れ親しんだ人にとっては、いつもながらのことでしょうが、私のような”新参者”にとってはなかなかのものです。熱いものさえこみ上げてきます。文字通り、祭りならではの爽快感を味わえます。地域の団結を形成するのには良い機会ですが、残念ながら未だまだ参加者は少なく、課題は山積しています▼先ごろ私が感動した『人生の約束』という映画があります。竹野内豊が主演で江口洋介、西田敏行、小池栄子、ビートたけしらが脇を固めた渋い映画でした。石橋冠監督で、筋立ては色々とあるのですが、わたし的には祭りを通じて地域住民が郷土愛、地域愛に目覚めるというところに関心が向き、惹きつけられました。自治会長で苦労してるからでしょう。映画を見る自らの視点が変わってきてるということを実感するのも面白いものです。こういう映画を自治会の皆で観る機会があればいいなあと思うことしきりでした。(2016・11・10)
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的を射た公明党の「日共批判」-「改憲と加憲のあいだ」➂
日本共産党と公明党の間でのいわゆる「公共憲法論争」から40数年が経った。当時私は、公明新聞記者をしていた。編集の最高責任者だった市川雄一編集主幹(当時。元党書記長)のもと、先輩たちが懸命に「公開質問状」に対応していた姿を思い出す。ことの発端は、1973年(昭和48年)12月17日に、日本共産党中央委員会が公明党中央委員会に宛て、25項目の質問を含む「公開質問状」を送り付けてきたことだ。これに対して公明党は、翌74年2月8日に、全ての質問に答えた回答状を共産党に返した。これをきっかけに、公明党は逆に74年6月18日、7月4日の二回に分けて、「憲法3原理をめぐる日本共産党への公開質問状」を提起した。全文22万字に及ぶ、70項目200余問の質問を含むものだった▼入社4年目の30歳前の新米記者だった私など、当時は到底預かり知らないやりとりだった。およそ半年余りの期間に、高揚する社内の気分だけは今なお鮮明に覚えている。以来、共産党からいつ返事が届くのか、心待ちにし続けた。しかし、呼べど叫べど回答はこない。まさになしのつぶてとはこのこと、今となっては、論争から逃げてしまった共産党という政党には呆れるばかりという他ない▼では、この「質問状」で公明党は何を問題としたか。一つは、共産党が平和・人権・民主を柱とする現行憲法を破棄するとの方針を堅持していること。二つは、複数政党制や三権分立など現行政治制度の全面的改廃を狙っていること。三つは、共産党の路線、マルクス・レーニン主義(科学的社会主義)には、自由・民主主義などの市民的社会の持つ諸価値と対立する重大な要素が含まれてること。四つは、共産党の統一戦線論は、政権交代なき共産党一党独裁政権を目指す革命路線(武力革命を含む)であることなどを明らかにした。いずれも今なおなんら解決されていない古くて新しい課題ばかりである▼これらに対して、共産党は例によって「反共」呼ばわりをしつつ、回答不能状態を続けるだけ。その一方で極めて欺瞞的な態度をとるという怪しげな態度に終始している。それは、一般社会では信じがたいことだが、憲法論争における公明党の主張を表面的、皮相的にせよそっくり取り入れて、いつのまにやら自説として押し出すという姑息きわまりない手法である。具体的な例を挙げよう。マルクス・レーニン主義を官許哲学、国定イデオロギーとして国民に押し付けないということや、信教の自由をいかなる体制のもとでも無条件に擁護するといった「新見解」を打ち出したことなどがそれである。また、「プロレタリアート独裁」を「執権」に変えたうえ、「労働者階級の権力」へと用語を入れ替えたり、「マルクス・レーニン主義」という呼称を「科学的社会主義」へと言い換えことなどがそれにあたる。ともあれ、「自由と民主主義の宣言(76年7月)などともっともらしく打ち出してみせざるをえなくなったのは、『公明党の日共批判』がまさしく的を射ていたことを証明しており」、「公共論争における日共の事実上の敗北宣言にほかならない」(佐藤昇元岐阜経済大学教授)。結局、共産党は正面切って回答できないものだから、指摘を受けた方向で見かけだけでも何食わぬ顔で、修正を施すというやり方をとったのである。(2016・11・6)
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なぜ安保論争は先祖帰りしてしまうのかー改憲と加憲のあいだ➁
憲法9条をめぐっては実に様々な意見があります。一切触らずに今の規定のままでいいとするいわゆる護憲の立場から、全てを書き換え、自衛のための軍隊を持つことを明記すべしとの自民党改憲草案にいたるまで、その幅はまことに広いのです。自衛隊の存在をどう考えるかについても同様に色んな意見があります。専守防衛のスタンスが守られているなら、自衛隊の位置づけを改めて書かずとも今のままでいい、寝た子を起こすことはないというのが一般的な考え方です。しかし、一方で自衛隊は憲法違反の存在だとする極めて硬直的な考え方に立つひとも、法律家を中心に多く存在します。今回の安保法制の論議にあっても、ほとんどの憲法学者からは「違憲」との指摘がなされました。それに対して、政権与党側からは、彼らは自衛隊の存在すら認めない立場なのだから、安保法制反対など推して知るべしだとの意見が出され、取り合おうとさえしなかった経緯はご承知の通りでしょう▼このように安全保障に関する考え方に「憲法9条」が入り込むと、事態は一層硬直化するという、戦後一貫して続いてきた流れが再現してしまうのです。非武装中立の立場を誇示した日本社会党の存在が消えてなくなったことで、不毛の論議が避けられ、これからは同じ土俵での議論が出来るのでは、との期待感があえなくつぶれてしまったのです。現在、野党第一党の民進党がどのような野党共闘をするのかが注目されています。これはひとえに日本共産党をどう扱うのかということが焦点でしょう。ここをいい加減にしてしまうと、せっかくの新しい野党の存在が旧態依然とした昔型のものへと、先祖帰りしてしまいかねません▼自民党に対抗するもう一つの勢力を作ろう、政権の新たな受け皿を作るべしということは、あたかも見果てぬ夢のように様々な挑戦がなされてきました。そのうちの一つが1980年代に試みられた「社公民三党」による野党共闘です。この共闘の方向性は曲がりなりにも共産党を除くことで一致していました。いま、歴史の上で社会党、民社党が消えて、いわゆる社会主義イデオロギーに対して、陰に陽にこだわる政党が共産党以外になくなりました。排除の対象となってきた共産党自身の僅かな”お色直し”的対応を前に、社会党的なるものの残滓を抱える民進党が今苦慮し続けているといえるのではないでしょうか。さてどうするのでしょうか▼ここで参考にすべきなのが公明党の過去の振る舞いです。公明党は憲法についての共産党の本質的な態度を問題視してきました。公明党は、「憲法をめぐる公開質問状」を共産党に対して突き付けたのですが、一切これに応えないという態度を同党はとり続けています。このあたりの経緯は『日本共産党批判』や『公明党50年の歩み』に詳細に述べられていますが、ここからは憲法について曖昧な態度のまま、政策協定など交わしてもあまり意味をなさないということがよく分かります。現代日本における二つの組織政党。片や日蓮仏教を背景にした創価学会を最大の支持団体とする公明党。一方は共産主義イデオロギーに依拠することを変えようとしない共産党。この二つの政党が展開した「憲法論争」の姿から得るものは誠に大きいのですが、意外に世の中では知られていません。次回はこの知られざる実態に迫りたいと思います。(2016・10・21)
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明治憲法を作った先人の力に学べー改憲と加憲のあいだ➀
衆議院議員をしていた頃に私は憲法調査会(後に憲法審査会に衣替え)に長く所属していました。その間にいくつもの忘れえぬ思い出があります。一つは中曽根元首相が出席された会合でのこと。公明党の現況を説明する場面で、私は「公明党は長く護憲政党でしたが、ようやく加憲という立場に変わりました。改憲と加憲は一字違いです。もう一歩です」とジョークとも本音とも思われる言葉を飛ばしました。場内の笑いを誘ったことは言うまでもありません。その時の中曽根さんの苦笑がとても印象に残っています。二つ目は、土井たか子元衆議院議長(故人)と、同調査会が終わった後に、衆議院別館の玄関前で立ち話をした時のこと。まずお互いの意見が一致するところから議論をしましせんか、と私が持ちかけると、「あなた方は今は環境権などといっていても、その後にはすぐ9条を変えようというんでしょ」と、ダメなものはダメとばかりに頑なな姿勢を崩そうとされなかったことです▼三つめは、読売新聞主催の憲法記念日の紙上討論会でのこと。出席した政治家は自民党・保利耕輔、民主党・中野寛成両先輩と私の3人でした。まとめの段階になって、コーディネーター役の北岡伸一東大名誉教授が、「ところで、政治家の皆さんは一体いつになったら憲法を改正するのですか」といささか高飛車な物言いをされたのです。私は直ちに「我々もそれなりに努力してるんですから、そういう云い方はないでしょ」と言い返してしまいました。中野さんが「まあまあ、まあ」と仲裁に入ってくれて事なきを得たのですが、名だたる学者に動かぬ事実を指摘されていながらまともに反応するのだから、政治家らしからぬ己を自省せざるを得ませんでした▼こういう風に思い出話を纏めますと、私の憲法に対するスタンスはお分かりいただけるでしょう。そう、私は憲法を今の時代に相応しいものに変えるということに賛成の立場なのです。憲法3原理(基本的人権、国民主権主義、恒久平和主義)を堅持することは当然ですが、それを重視するあまり未来永劫にわたって憲法を触らないというのではなりません。今の時代に呼応したものに、変えていくべきだということを衆議院憲法調査会の場でもしばしば主張してきました。しかも、加憲の対象から9条を外すことには疑問を持っていました。党内は憲法9条については厳守が大勢であったのに、恒久平和主義と矛盾しない形でならと、少し違ったスタンスをとっていたのです▼ところで、私はこのところ「明治維新」なるものをあまり肯定する立場には立っていません。近代日本の誤りは150年前の江戸幕府から明治新政権への「クーデター」にあり、その後の薩長政権の在り方が70年前のあの戦争の敗北につながったとの認識に与しています。尤もそれは全否定ではありません。「明治維新」の方向性については時代のなせる業ということもあって、評価するところも多々あります。とりわけ明治憲法を作るに至った伊藤博文を始めとする政治家たちの努力は大いに宣揚するのにやぶさかではありません。彼をして長州テロリストの一翼であり、かなりの跳ね上がりものだったとの見方があることも理解します。しかし、それを補ってあまりあるのは、欧米列強に後れをとらないように、憲法を作るために獅子奮迅の活躍をしたことです▼そういう明治の先人の努力に鑑みて、何もせずに、ただ今の憲法が立派だから堅持するというのでは、あまりにも寂しいという気がするのです。今の日本の憲法でいいのか。どこをどう変えるか、あるいはどこは変えなくともいいのかーこういった大論争を今の日本人の力でやった方がいいのではないか。これこそ遠回りのようで近道ではないのかということをいいたいのです。これより数回にわたって憲法について考えていきます。(2016・10・18)
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