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「核兵器廃絶」への遠すぎる道➄ー注目されるSGIの地道な闘い

先日、アメリカの首都ワシントンで、米SGI(創価学会インターナショナル)が「核兵器政策の根本的な変革を目指して」と題する会合を開いたとの報道に接した。その会議では、国連で核兵器禁止条約制定に向けた交渉が進んでいることを受け、学者や専門家、市民団体の代表らが活発な意見を交換したという。四つのセッションでは、1)深まる核戦争の危機について2)核兵器の人道上の影響について3)宗教間の協力や青年の役割をめぐって4)核兵器政策の根本的変革に向けてーなどがテーマとなった。プリンストン大学・科学と地球安全保障プログラム共同ディレクター、グローバルゼロ共同創設者、軍備管理協会事務局長らの基調報告や広島の被爆者の体験談などを聴いたうえで、参加者相互の活発な議論が展開された。こうした地道な実践が持つ意味を考えるにつけても、この団体の「核廃絶」に向けての歴史的な経緯に思いを致さざるをえない▼創価学会の戸田城聖第二代会長が1957年に行った「原水爆禁止宣言」がその活動の原点をなす。「(生存の)権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」との発言を受けて、その弟子として第三代の池田大作会長(現SGI 会長)が60年後の今日に至るまで、営々と「核廃絶」に向けての闘いを展開してきた。これは生命の尊厳を説く仏法を基調とした、草の根の平和運動として遍く知られている。核廃絶のための展示の開催から始まって、被爆者の証言を収録した反戦出版物の刊行、各種の講演会、セミナーの開催や意識調査や署名活動など、日本から世界に向けての民衆に根差した運動としてうねりを高めている。一方で、毎年1月に発表される池田会長によるSGI提言は、微に入り細にわたって、ありとあらゆる角度からの「核廃絶」に向けての具体的な提案をしてきている。一例を挙げると、2006年8月に同会長は核兵器廃絶に向けた民衆の力を結集する目的で、「核廃絶に向けての世界の民衆行動の10年」を国連で制定しようと提言をした。一般民衆や市民社会が主役になって政策責任者に核兵器廃絶を強く求める活発な世論のうねりを起こすことを狙いとしたものであった。この提言を受けて、SGIは2007年9月に「民衆行動の10年」のキャンペーンを開始。これは、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN) などの様々な国際的な運動と連携しながら、核兵器禁止条約の実現に向けて行動してきた。本年9月でちょうど10年、区切りを迎える▼先日、国連での交渉会議を前に英字紙「ジャパンタイムス」のオピニオン欄に池田SGI会長の寄稿文(本年3月1日付け)が掲載された。そこでは、唯一の核被爆国日本が国連での交渉会議で積極的なとりまとめに貢献すると共に、交渉会議を力強く支持する市民社会の声を届け、核兵器禁止条約を”民衆の主導による国際法”として確立する流れを作り出すべきだと呼びかけている。この主張に多くの点で賛同している黒澤満大阪大学名誉教授(元日本軍縮学会会長)が、核なき世界を築くための方途として、様々な国々やNGO(非政府組織)が提起している具体的な道筋を挙げており、興味深い。それは、1)核兵器国が中心になって核兵器禁止条約を締結し、段階的な廃絶と検証を目指す2)核兵器国の参加がなくても、まず核兵器の使用と保有を禁止する条約を締結する3)地球温暖化防止のための「気候変動枠組み条約」のような形で、まず条約の枠組みをつくり、詳細は議定書で規定する4)実際的な措置を積み上げていく漸進的なアプローチ5)可能なものから、一つずつ取り組みを進めるステップ・バイ・ステップ方式の五つだ▼当面は1)は到底無理で、2)がうまくいくかどうかが焦点だろう。そのためには、やはり日本の八面六臂の活躍が必要となってくる。小泉純一郎元総理や細川護煕元総理が「原発ゼロ」に向けた活動を展開し話題を呼んでいることは周知のとおりだが、核廃絶に向けても共同行動を起こしてほしい。この問題についてすべての団体が党派を超えて一致団結して立ち上がることが切に望まれる。「愚行の葬列」に切れ目を作り、大きく希望を持たせるのは唯一つ世界各地で広まる「賢者の陣列」だと思いたい。(この項終わり=2017・6・3)

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「核廃絶」への遠すぎる道➃-今こそ「持たせず、作らせず、使わせず」の”新非核3原則”を

北朝鮮の核実験や弾道弾ミサイルの発射をめぐって日本周辺に危機感が高りかけたちょうどその頃の5月2日に、NPT(核不拡散条約)再検討会議に向けた準備会議がオーストリアのウイーンで開かれた。核不拡散体制の基盤をなすNPTは、5年ごとに運用を検討する会議が開かれており、次回は2020年に予定されている。この日の会合は、それに向けての第一回目の準備のためのものであった。今、核兵器を弄ぶ北朝鮮のような怪しげな国家の存在が、地球を蝕む癌のように危惧されている。そんな中で、世界の良心ともいうべき動きが遅々としたものではあるが展開されてきていることは注目されねばならない。”一歩前進、二歩後退”といった従来の歩みを一変させ、数段跳びに換えたと思わせたのはオバマ米大統領の2009年のプラハでの演説であった。「核兵器のない世界」を真面目に模索しようとするこの演説は、近年にない核兵器禁止への議論の進展をもたらしたかに見えた。翌2010年には、NPT再検討会議における最終文書において、核兵器の使用がもたらす壊滅的影響を認識すると共に、核兵器禁止に向かっての枠組みを創設するための努力の必要性が盛り込まれたのである。今更という感がするのだが、多国間の核軍縮交渉の長きにわたる停滞や、その一方での核兵器の近代化の進展という事態を鑑みるとき、無視しえない希望の兆しとも言えた■それから5年。次のNPT再検討会議が開かれた2015年には、核兵器の廃絶こそが人類の生存にとって欠かせないとする共同声明を支持する国が159か国にまで及ぶことになった。この間に、2012年にスイスなど16か国が音頭を取っての核兵器廃絶へのアピールや、2013年以降、ノルウエー・オスロ、メキシコ・ナヤリット、オーストリア・ウイーンの三回にわたる会議で核兵器の非人道的影響を科学的に検証する試みなども行われた。こうした動きがあったうえで、いま2年を経て次の2020年の再検討会議に臨む段階にある。「人道優先」の観点から今の事態をどう乗り越えて進むかについては、おおむね3つのアプローチがあるとされている。一つは、文字通り真正面から核兵器を廃絶せよと主張する立場である。これに賛同する国家は、非同盟諸国を中心とした159か国が挙げられる。二つ目は、核兵器国と同盟関係にある国家群で、人道性は勿論だが、安全保障面も考慮すべきだというもので、日本をはじめオーストラリア、ドイツ、オランダ、カナダなどの中堅国家群が位置する。そして三番目が、アメリカ、イギリス、フランス、中国やロシアといった核兵器の廃絶は安全保障が確保されなければ意味がないとする核兵器保有国家である。こうして改めて三つのアプローチの主張と分布をみると、まさに50年一日の如く変わらぬ人類の性(さが)とでもいうべきものを感じざるを得ない■そのなかで、日本は唯一の被爆国だけに常に注目を浴びるはずの立場である。しかし、アメリカの核の傘に入っているがゆえのジレンマから抜け出せない。戦後70年余の歴史を追う時に、時に核廃絶への希求が高まった時はあったが、結局は現実的安全保障論の前に潰えてきたことは否めない。「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という佐藤栄作首相の頃に掲げられた「非核3原則」にしても、三原則目は公然たる事実としての「核持ち込み」が話題となってきた。そんな中、私は公明党の安全保障分野の責任者として、この原則の生ぬるさに問題の根源があると主張した。つまり、日本が核を持たない、作らないというのは、自分を律する縛りを公表しているだけであって、他国に対する働きかけをする必要があるとしたのである。すなわち、「核兵器を持たせず、作らせず、使わせず」との新しい原則を作るべきだというものであった。「新非核3原則」の名のもとにその時の党大会での政策に採用された。しかし、世の中へのインパクトは弱く、僅かに朝日新聞一社だけが反応を示し、三段記事で扱ってくれたことを鮮明に覚えている。実は、後になって秋葉忠利氏が市長の時代に広島市がほぼ同じ趣旨のものをかかげたが、これは明らかに私の提案のパクリである。あれから10数年が経ち一歩も状況に変化がないことを憂えるとともに、自らの非力を恥じる■たとえ、いかに非現実的に見えようとも、あくなき挑戦をしていくことが大切であることを今にして強く感じる。現実政治は確かに核兵器の抑止力なるものを肯定せざるを得ない。核兵器大国が持つ理由をそのまま認めて、非核兵器国に持つなと、押し付けることにはご都合主義を否定できない。しかし、これを言いだすと堂々巡りになるのが関の山だ。一方で、現実論を戦わし、もう一方で理想に向けての不断の努力を続けることが大事であるとつくづく思う。日本こそ被ばく国として、核兵器保有国のアメリカ以下の国々に強く訴えていく必要がある。そのことと、アメリカと軍事同盟を結んでいることとは決して矛盾しない。心ならずもの核の傘入りであることを堂々と言っていくというのはどうか。まずは核兵器は廃絶するしかないという強い主張に日本が立たねば、こっかとして恥ずかしい。自民党と連立政権を組んでやがて20年を迎えようとする今だからこそ、公明党は「新非核3原則」に立ち返るべきだと訴えたい。(2017・5・27)

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「核廃絶」への遠すぎる道③-切れ目なき 「愚行の葬列」

全体主義国家による分割統治での未来社会の恐怖を描いたジョージ・オーウェルの小説『1984年』が書かれたのは1948年のこと。それからほぼ70年が経つ。小説のゴールとされた1984年に刊行され、その当時アメリカでベストセラーになったバーバラ・タックマンの『愚行の葬列』なる本の存在を知ったのは、永井陽之助の名著『現代と戦略』による。『平和の代償』を書いて、政治意識論や政治行動論の研究から国際政治学の世界に転じた永井先生。私は大学時代に講師として来られていた同氏の謦咳に接した。映画の名場面や小説の名表現などをしばしば引用し、巧みな比喩を織り交ぜた講義に、若き日の私は大いに魅了されたものだ。タックマン女史はその著作の中で、「トロイの木馬」から「ベトナム」にいたるまで、人類の歴史は、まさしく「愚行の葬列」だと言い切る。30年余が更に経って、延々と続くその列の長さたるや霞がかかって前も後ろも全く見えない。永井氏は、核兵器を水晶玉(クリスタル・ボール)に譬え、アメリカがベトナムからの遅すぎた撤兵を決断し、フルシチョフのソ連がキューバ危機でミサイル撤去という屈辱の道を選ばざるを得なかったのは、水晶玉に写った「核戦争の地獄図」を見たからだという。現代世界の指導者たちの目が曇っていないかどうか。心もとなさが募ることはいかんともし難い■「核抑止論」ーこれこそ第二次大戦後の世界を貫く「平和」への迂回の道とされてきた。相手国が核戦争の脅威を感じ、戦いに手を染めることを思いとどまるだけの脅威を与える力を持たねば、戦争を回避できない。結局は抑止するに足る力を持つために際限なき競争に陥る。かつての米ソ間のほぼ同等と見えた核開発競争から一転、非対称的な関係における核の脅威が今や最大の問題となってきている。北朝鮮は金体制の存亡の危機を賭けて、アメリカの一都市を標的にしようとしているのだ。文字通りの「弱者の恐喝」を前に、「強者の傲慢」は色褪せて見えかねない。「外交とは、文化を異にする相手国の発する『予兆的警告』のサインを正しく読みとるわざ」(永井陽之助)だというものの、「新冷戦後」の”テロ戦争の時代”におけるその「わざ」はしばしば後方に追いやられかねない。「わざ」を駆使するよりも力で一気に圧し潰す誘惑に駆られがちである。元防衛省の高官であり内閣官房副長官補であった柳澤協二氏は、野に下ってほぼ10年近く、手を変え品を換え『抑止力を問う』作業を続ける。その彼が『安保研リポートVOL12』の「北朝鮮の核開発とどう向き合うか?」という論考で「北朝鮮が核を持ったという不愉快な現実を前にして」、我々に問われているのは「戦争に勝つように備えるのか、それとも様々な問題を解決しようと行動するのか、という選択だ」と結論付けているのは今更ながら興味深い■安倍政権は、「安保法制」を成立、施行させてより、戦争に備えようとする側面ばかりが強調されてきている。「勝負をするのなら、勝たねばならない」は世の常識だが、万が一に備えることがいつの日か主客転倒し、戦争に勝つことが前面に押し出されてきかねない。どこまでも相手の「予兆的警告」に全神経を研ぎ澄ませ、外交の手練手管を駆使することが先決だろう。安倍政権は公明党が連立を組んでいることを忘れてはならない。集団的自衛権をめぐっての定義、解釈において微妙な食い違いを見せ、同床異夢の結果としての「安保法制」だけに、不断の応用展開の場面で、公明党は”らしさ”を見せねば、「平和の党」の看板が泣く。ここは、「様々な問題を解決しようと行動する」ように動かねばならないときだ■今年の憲法記念日当日、安倍首相は読売新聞のインタビューに答える形で、憲法改正の期限を「2020年施行」と区切り、9条改正に取り組むべきだとの考えを示した。その改正の在り様として、9条1項、2項をそのままにして3項を付け加え、自衛隊の存在を明記してはどうかと呼びかけた。これは率直に言って驚く。前号の『安保研リポート』で、私はかねてからの9条3項に自衛隊の存在を明記するとの”自前の加憲論”に触れたうえで、今後の改正へのスケジュールを予測していたからだ。安倍首相は、高等教育の無償化問題は別にして、ほぼ私と同じことを提起してきたのだ。この辺り、首相が加憲を主張する公明党や改正を目指す維新の党を見据えたうえでの”意匠を凝らした投球”に違いない。前号に書いたように、公明党内には私の意見に賛同するひとはかつては殆どいなかった。今はどうか正確には分からないが、恐らくはごく少数意見に留まろう。勿論私とて、2項をそのままにして3項に自衛隊の存在を明記することが、世にそのまま通用するとは思っていない。そのことを提起することこそ重要な「改正への導火線」になるはずとの見立てであった。この「改正」についても安倍首相の周辺には、公明党のスタンスと正反対の面々がいることには要注意である。日本の未来に向けてかつての「保守対革新」の対立軸から、今は「保守対進歩」と呼称されるようである。左右の二極対立の呼び名がどう変わろうとも、中道の旗印にはいささかの変化はなく、日本の進むべき道を誤らせないバランサーの役割を果たすことが強く期待される。(2017・5・20)

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高田屋嘉兵衛に学ぶ「北前船フォーラムin淡路島」での出会い

高田屋嘉兵衛ー司馬遼太郎の小説が好きな人なら誰しも知っているに違いないでしょう。『菜の花の沖』の主人公で、江戸時代後期に廻船業を営み、北前船航路で活躍した人物です。日本海沿岸の港を結びながら大坂(大阪)と蝦夷地(北海道)の間を行きかい、様々な物資を売りさばき大をなしました。この北前船が運んだものは単なる地域の名産だけではなく、各地の文化の相互交流にも大いなる貢献をしたことは想像に難くありません。この偉大な業績に刺激を受け、往事を偲びつつ、現代の地域おこしに活用しようという試みが、ほぼ10年前から秋田の地で始まりました。「北前船フォーラム」というタイトルのもと、これまで18回にわたって北前船の寄港地で開かれ(第一回は山形県酒田市)て、各地の振興発展に寄与してきたのですが、それがついに兵庫県淡路島にやってきました▼第19回「北前船フォーラムin淡路島」は、高田屋嘉兵衛の生誕の地(現・洲本市五色町)にほど近いホテルで11日、12日と行われ、私も出席してきました。このフォーラムの存在は実は発足当時から良く知っていました。というのも、立ち上げに尽力した発起人複数が以前からの友人だったからです。一人は代表の石川好(作家)さん、もう一人は相談役の浅見茂(創価学会元男子部長)さんです。この二人は石川さんが秋田県のある大学の学長に就任した時に知り合い、意気投合したと聞きます。私は『ストロベリーロード』で世に華々しく登場した若き日の石川さんを、雑誌『公明』誌上で取り上げるために取材して以来の付き合い。浅見さんとはかつて創価学会第一次青年部訪中団のメンバーとして一緒に訪中した仲間です。加えて慶大時代の同級生・梶明彦氏(元日航取締役)が副会長として名を連ねているということもあって、注目せざるを得ない団体でした。しかも「瀬戸内海島めぐり協会」の一員として、私はこの地の観光振興に役立とうと立ち上がってるときだから、不思議と云えば不思議です▼前夜祭は実に楽しいものでした。圧巻は淡路島の人形浄瑠璃公演と徳島阿波踊りの協演でした。単なる踊りだけではなく、人形浄瑠璃の人形を押し立てての阿波踊りには居並ぶもの皆が感動しました。また当日のフォーラムは二部形式で、前半は「航路としての瀬戸内海」と題して、田辺眞人(園田学園女子大名誉教授)氏が基調講演。その後、三好正文(神戸新聞パートセンター長)氏や木下学(淡路島観光協会副会長)氏らのパネルディスカッション「観光振興と地域創生~高田屋嘉兵衛のフロンティア精神に学ぶ」。これまで、淡路島の地域おこしには少し悲観的になっていた私ですが、木下氏の意欲満々の発言にいささか胸をなでおろした次第です。また、高田屋嘉兵衛に心酔する佐々木吉夫という博多の84歳の経営者のひたぶるな生き様には深い敬意を抱いた次第です。また二部は、瀬戸内観光とクルーズについて、国交省の水嶋智さん(鉄道局次長)のコーディネートによるディスカッションで、JTB、ベネッセ、JR西日本、ANA、JALといった観光に関わる大企業経営体の専門家の発信力は見事という他ありませんでした。以前に国交省に太田国交相を訪ね、淡路島海域問題で要請した際に港湾関係の部署の課長だった水嶋さんとは初めて会いました。別れ際にいかに「北前船フォーラム」が地域創生に意欲的な団体かを熱心に語っていました。あれから5年近い歳月を経ても、彼は微動だにせずこのグループを支援しています。その役人魂のブレのなさに感動を新たにしました▼私が今密かに仲間たちと構想を温めている「大阪湾周遊クルーズ」は、この「北前船」の入口であり、出口に位置するものです。ほぼ200年前に高田屋嘉兵衛が壮大な交易に身を捧げたこの海域に、今度はインバウンドの海外の客たちを送り込もうという試み。世界の人々との文化交流にどう役立てるか、あれこれと構想を思い描くうえにうってつけの機会を得ることが出来ました。昔懐かしい仲間たちとの旧交を温めながらの楽しい語らいと学びの時間の短かったこと。持つべきは過去から未来へと続く友だと心から思い知りました。(2017・5・13)

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「核廃絶」への遠すぎる道➁-はみ出し者の脅しに打つ手なし

北朝鮮が核実験の遂行など核開発を着々と進めてきたことを罵ることは容易にできる。およそ地上に生存する生き物を根絶やしにしてしまう非人道的兵器を、国家間の交渉ごとにおいて弄ぶなどという事は許されることではない。しかし、現実には人類はキューバ危機以来の核危機に直面していながら解決への決定打を見出しえていない。このところ、メディアで展開されている北朝鮮の核開発をめぐっての議論は、堂々巡りを繰り返すのみと言ってもいい。先日NHK総合テレビでの専門家6人による議論を聴いていても、北朝鮮の核開発を止めさせるための打つ手なしという他ない中身に終始していた。人類は極悪非道の道具を作り出したうえ、それを拡散させた。ヒロシマ、ナガサキに始まった悲劇の歴史は70年余りの歳月を経て、一段と深刻な状況を生み出してしまった。今や核兵器を逆手にとって国際間のゲームを自己に有利にすべく使おうという存在を否定することは極めて厄介な問題になっているである▼北朝鮮の主張は煎じ詰めれば、大国だけが保有を認められ、そうでない国々が持てないというのはおかしいということに尽きる。国際社会における弱者が大国と対等に渡り合える唯一のカギを握っているものが核兵器であるとの現実は益々重要になってきている。米ソという東西の両大国が核開発競争をし、他のすべての国々が固唾を吞んでその推移を見守った時代はまだしも「平和」な時代だったかもしれない。ヤクザのにらみ合いに似て、堅気には迷惑をかけないという不文律のルールめいたものがあったなどという不適切な譬えを持ち出すつもりはない。だが、少なくとも「暴発」は起こりえぬはずとの妙な確信はあった。しかし、今日では北朝鮮にそうしたことをしないとの保証を求めることは容易ではない。核兵器を放棄することが、かつてのリビアのように国際社会で抹殺されることに繋がると見ている可能性は高い。さらに、少しでも気を抜けば現体制転覆の危機を招きかねないだけに、座して死を待つよりも、との不吉な予測すら現実味を帯びてくるのだ▼近過去における核開発競争で見た風景で生々しい記憶は、米ソ対決におけるソ連の後退である。宇宙開発で後手に回ったうえ、過剰なる経済・財政負担に耐えられなくなったソ連が対米競争の座から降り、体制変換のきっかけとなったことは、この問題における楽観的見通しが存在する土台を形成している。やがては北朝鮮も競争に耐えられず、内部的要因から必ず崩壊の兆しが見えてくるはずとの希望的観測である。私自身もかつてその議論に与しつつ、北東アジアにおける近代化の相違を論じたものである。つまり、北朝鮮はプレ近代の国家であるがゆえに、今まさに近代をいく中国や韓国、そしていち早くポスト近代に入った日本やアメリカなどが同じ地域で生きていくためには、早急にその文化レベルを上げるしかない、と。しかし、これも机上の空論の域を出ず、簡単にことは運ばない。米ソのように、ほぼ対等な力関係の中での競争はある意味で決着がつきやすかった。だが、非対称的な関係におけるゲリラ的喧嘩での勝敗はなかなか時間がかかるように思われる▼通常の社会常識、国際常識が通用しない、価値観を異にする者が暴れ出したら、いわゆる普通の感覚に立つ側としては、その対応は困難を極める。加えて、北朝鮮の核開発をめぐる動きは、トランプ米国大統領の登場という予測困難な要素がその危険性を増長させた側面が無視できない。シリア攻撃の劇的展開に見るように、”北朝鮮潰し”にかかる大国のエゴという危険性である。双方のリーダーの特殊性といった従来にない要素も絡んで、今回の核危機は大いなる”チキンレース”との見方もなされている。今のところ、それは寸止めとなって回避される公算が高いようだが、核兵器廃絶の道の遠さだけは確実に実感させられたといえよう。(2017・5・7 )

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「熊森協会」と一緒に歩んだ20年

一般財団法人「日本熊森協会」の設立20周年記念の全国大会が22日に開かれました。この協会の顧問を務める私は午前中の一部のみ(午後は所要のために欠席)参加しました。思えばこの会とのつながりは長いものになります。ほぼ結成以来と言ってもいいかもしれません。私の街頭演説と彼らの宣伝活動が鉢合わせしたのがきっかけ。「くまもりって、一体なんの団体?」「一度森の実態を見に行きませんか。見て頂ければわかりますから」ーこうしたやりとりから始まって、後に衆議院の環境、農水委員会などで、くまと森の側に立った質問をしたり、議員連盟発足に動いたり、奥山保全トラストの公益財団法人化にも精一杯尽力しました。しかし、決して私は真面目なサポーターではありませんでした。「熊森」の運営の展開の仕方にあれこれ批判してきたからです。森山まり子会長が冒頭の挨拶で「この20年、一切ぶれずにやってきました」との述べたことをわが身に当てはめながら感慨深く聴いたしだいです▼森山まり子さんというひとは、本当に凄い情熱家であり、芯の通った教育者であり、妥協を知らぬ信念のひとです。25年程前の1992年1月に朝日新聞紙上に載った一つの記事がすべての始まりでした。それは、「ツキノワグマ 環境破壊に悲鳴」という見出しで、森が荒廃することでそこに棲めなくなったクマが人里に降りるようになり、人間に捕獲されたり殺され、やがて絶滅してしまうので、との内容でした。それを見た兵庫県尼崎市立武庫東中学校の理科の教師だった彼女は、教え子たちと一緒に「クマを守れ」という運動を起こして行ったのです。いらい5年の助走期間を経たのちに、実践自然保護団体としての「日本熊森協会」が設立されるにいたったのは1997年4月のことでした。まさに山あり谷ありのこれまでの歳月でしたが、この間の活動を要約すると、1)全国各地に足を運び、奥山に実のなる木を植樹 2)鳥獣保護法などの改悪との闘い3)外来生物の根絶殺害に反対する運動の展開4)ナショナルトラスト運動の展開5)兵庫県クマ狩猟再会反対運動の展開などが挙げられます▼こうした活動ぶりを振り返った時に、本当に会長をはじめとする中心者たちの献身的な努力に頭が下がる思いです。が同時にもう少しやり方を変えた方が良かったのでは、との思いも禁じえません。その最大のものはクマと森を一緒にしないで、運動を分けた方がいいのではないのかとの思いでした。これはことの根幹に触れる問題提起です。一般的には、どうしても森の荒廃の予兆がくまに表れるとの主張は受け入れられない向きが多いのです。その一方、森の方は、比較的荒廃が進む現状を認識しており、行動を起こすことに共感しています。幾たびか私はこのことを指摘しましたが、結局は無駄に終わりました。ある意味、これは譲れぬ生命線だからでしょう。単に森を守れ、ではそこらに存在する自然保護団体と全く変わりません。この団体が目指す根源は、生きとし生けるものの共存にあり、ひとと大型動物との共存共栄にあるのです。「ひととクマとどっちが大事なんや」との質問には「どっちも大事や」とのこたえしかないのです▼動物の命は大事だけれど、人間の生活も守らねばならないーこの二律背反に見える課題を解決することは極めて大事です。先日、ある政治家と話していて、熊森は熊を殺すなというが、それはオーストラリアのクジラを殺すなという運動をしている人たちとダブって見えてしまう。クマを守れは、あまりにピュアな主張過ぎて、賛同しがたいというのです。また、リニアモーターカーの反対運動も、自然保護の度が過ぎるという意見も強いものがあります。政治は妥協の世界ゆえ、なかなかこうした意見が素直に受け入れられず、この団体が誤解されている源になっています。つまり極端な原理主義の団体ではないか、と。また、あの東日本を襲った震災と津波による東電福島原発の事故いらい、巨大事故による自然破壊に目が向きがちで、くまと森の相関関係から自然環境保護を守る運動が遠ざけられがちの傾向が出てきています。かつて2万人を超えた会員も、今減少気味なのはそういったことの影響かもしれないと見られます。今回の大会のスローガンであった「日本にも欧米並みの大自然保護団体を!」との叫びは深く心に響いてきました。私は、いま『熊森協会をめぐる10問10答』という電子書籍を準備中です。少しでもこの運動のお役に立てればとの思いからです。(2017・4・25)

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「在宅医療」の罪深い現実を見せられて

、先日テレビを観ていて大きな衝撃を受けました。それは著名な医師・早川一光さんの『こんなはずじゃなかった 在宅医療 ベッドからの問いかけ』というNHKのETV特集です。昨年に放送された分の再々放送のようなものでしたので、ご覧になった方も多いと思います。何にショックを受けたかというと、信じていた人に裏切られたということでしょうか。早川さんという人を私は深く尊敬していました。それは一度だけ聴いたラジオ番組に起因しています。ご自身の病院を訪れる高齢の男女の患者の姿の観察を通じて、人間はひとと繋がっていることが大事であることを説き、そして笑いがひとの健康にもたらす効用について語った含蓄ある中身のものでした▼この人は、現在93歳。戦後京都市西陣で住民の手による堀川病院を作り、「在宅医療」という言葉も制度も未だなかった時期から、積極的に地域にでて往診医療活動を展開して、病院ではないところでも安心して医療を受けられる仕組みを整えることの大事さを訴え続けてきたのです。今回私が観た番組では、その偉大な医師自身が「多発性骨髄腫」というがんを患われ、いたって気弱になられている姿を描いていました。早川さんが信じてきた「在宅医療」が結局は砂上の楼閣だったのではないか、という風にご自分が思っておられるように受け止められました。ご自分の病んだ姿を赤裸々に放映されるということに大変な勇気を感じますが、一方でここまでさらけ出さずともいいのではないかとの思いが禁じえませんでした。医療の現状と人間の弱さが同時に映し出されて、信じていたものが同時に崩れ去る危うさを実感してしまったのです。どこまでも先生には孤高の姿を貫いてほしかったのに▼後輩の主治医が訪問して「早川先生が死を怖がっているのを見るのは最高です」と言っている場面や、早川先生に究極の選択を迫ったる場面が極めて印象的でした。それは、主治医が「痛みや苦しみを感じた際に、自宅から病院に行くと、それから解放されるが、それだと、自宅で死を迎えるという(早川さんの)年来の願望を果たすことができないかもしれません。また、ずっと自宅にいると、痛みや苦しみから逃れられないかもしれません。さあ、どっちを選びますか。先生ご自身の判断ですよ」という風に早川さんに迫ってるところです。結局、早川さんは決断を先送りしてしまうのです▼「自分ががんを患うとは思わなかった」とか「枯れたくない。熟れるのならいいが」とか、極めて人間的な発言も口にされるのは聴きたくないとの思いが強くします。テレビ放映の狙いは、在宅治療の制度的問題点に早川さん自身が気づいたことを「こんなはずではなかった」とするところにあったと思います。しかし、実際には人間の生き方をして早川さんに「こんなはずではなかった」と言わせているように思われます。人生の晩年にあたって、ひとを根底から救うのは医療だけではない、宗教、哲学、芸術といった分野も含む「総合人間学」だということに、早川さんは早い段階からひとに訴えていたはずなのに。それにつけてもこの番組は罪深いと思います。できれば早川さんには、強がりであっても、たとえ幻想であっても、強い人のままの姿を見せてほしかった。かつては患者の急な容態の変化に対応するために枕元に置いてあった携帯電話。それが今ではご自身が夜中に寂しくなって安心を得るために掛ける役割へと180度変わったというのではあまりに残酷という他ないのです。(2017・4・18)

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地域おこしの担い手を養成する講座に参加して

榎田竜路(えのきだりゅうじ)という人物を知っていますか?音楽家にしてメディアプロデューサーであり、アースボイスプロジェクト代表社員というのが一般的な肩書ですが、そういってもあまり分かりませんね。「情報は資産」を核に、映画技術を応用した認知開発手法を用いて、地域や中小企業の活性化、人材育成などを各地で実施しているといえばかなり彼の実像に迫ることができるかもしれません。昨年らい、淡路島の地域おこしに取り組む中で私は彼と知り合いました。何しろ、北京電影学院客員教授、内閣府地域活性伝導師やら公益社団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会経済・テクノロジー専門委員なども務めるというマルチタレントの持ち主です。北京電影学院で教鞭を取る日本人は彼だけ。以前に高倉健さんがその立場にいたといいいますが、中国で圧倒的な実力と人気を誇る映像分野の殿堂にかかわる人物です▼その彼が私の地元にある神崎郡市川町にやって来るというので、先日出かけました。市川町の地域振興課が企画した「町づくりスペッシャル講演会」を聴くためです。講演のタイトルは、「地域の価値を開発する力とは」というもの。実はこれが皮切りで、このあと、6回にわたって「グローカルメディア・プロデューサー育成講座」が年内いっぱい開かれるのです。講座の全貌を総論の形で知れるとあって、町内を中心に30人ほどの皆さんが集まってきておられました。冒頭私が挨拶をさせていただくというハプニングがありました。榎田さんを引っ張ってきた市川町を褒め称えたあと、観光を軸にして地域活性化にいま力を注ぐ私として、この講演にいかに胸ときめかせているかを述べました。稀代の脚本家・橋本忍生誕の地である市川町こそ、メディアプロデューサーを生み出す地に相応しいということも付け加えました▼講座は、実に斬新で魅力的な内容でした。冒頭、彼が審査委員を務めるミス・インターナショナル日本大会での美女に囲まれたスナップ写真を見せるという衝撃から始まって、次々とユニークなトライアングル解説(三分割手法)を加えて、聴衆を巻き込んでいくのです。なかでも途中にアメリカの人気テレビ番組「メンタリスト」のワンシーンを織り込んでの話には圧倒されました。突然、妻が銃で夫を射殺する場面が出てくるのですから、驚かないわけにはいきません。理屈で解るというよりも、あれよあれよというまに講師の術中にはまってしまったというのが正直なところでしょうか。最終盤のところで、福島支援の狙いを持った「横山飾りや」の2分間の映像を見せられて、「なるほど、こういう風に地域の価値を見せる映像手法なら、どんな田舎の地域でもみんな誇りを持って元気になるぞ」と納得するに至りました▼現在、榎田さんは、鹿児島、沖縄、徳島、津山の各地で、高校生を相手にいわゆる人材育成のための講座も開いています。高校生×認知開発力×6次産業化=地方の未来といった図式が示すようなアプローチの仕方で日本の地方が抱える課題克服に立ち向かっています。彼の時代認識は、日本という国は(1)新卒の3割が3年以内に退職する(2)失敗に対して極度に不寛容である(3)大きな潜在力を秘めながらそれを生かせないーつまり、マッチング力がないというものです。地域においては、高校生が地域社会、地域経済の担い手でありながら、マッチングがうまくいかず、人口流出や地域経済の縮小に大きな影響を与えているということは周知の事実でしょう。そこに目をつけた榎田さんは、能力云々ではなく、物語とマッチングすることを狙いにした独特の教育展開を施しているのです。彼の認知開発力養成講座は、高校生に地域企業を取材させ、情報を整理させる。それを元に「画像」「文字」「音声」の三種類の情報として組み合わさせ、2分間の映像に編集させるというやり方です。この取材→整理→編集という過程で高校生は、苦しみながらも地域企業の持つ力や可能性に深く共感するというのです。この方式に絶対の自信を持つ彼は、私に対してぜひ一度高校生たちの成長した姿を実際に見てほしいと強く迫っています。(2017・4・13)

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「核廃絶」への遠すぎる道➀ー「原発是非」と入り乱れての論争

小泉純一郎首相が登場したのは、季節外れの大雪現象のようなものだ。今はあたり一面が雪景色で、古い自民党政治の汚いものを全部覆い隠してきれいな風景に見える。しかし、雪は必ず溶ける。溶けたら今まで以上に汚いものが露呈して来るーこういう意味のことを私が衆議院の委員会で、直接首相に問いかけを始めたのは、彼が総理に就任したほぼ一年後の2002年の5月9日のことだった。私はそのあと、こう続けた。その汚いものを自民党政府のトップとして、川に全て押し流す大水現象を起こしてほしい。そういう決意ならば、私共はしっかり支えたい、と。何かと派手な小泉首相に対して、比喩を使いつつ皮肉もそれなりに織り交ぜての質問だった。導入部としては傑作の部類であり、自民党と公明党の関係の核心を突いてこれ以上のものはないと自画自賛したものだ。その後、同じ質問のなかで、私は、国際社会における日米関係は、あたかも国内政治における自公関係に似ている、と。それは、対米関係で日本があまり言いたいことをいえずに苦慮しているように、国内政治で公明党は自民党に大いに気を遣い苦労していることが類似しているからだ。公明党が自民党との連立でどれだけ苦心惨憺しているかは、米国との関係で苦労する自民党政府ならよくわかるはず、との思いもあった。「そんなことないよ。公明党はあれこれ言ってくれるよ」と首相席から彼が野次ったことは20年近い歳月が流れた今もなお妙に耳に残っている▼こうした古い話をいきなり持ち出したのは、昨今の核兵器禁止条約をめぐる政府自民党の対応ぶりを見ていて、対米忖度の典型例として思い出したからである。岸田外相は昨秋にはこの条約に賛成する意向を示し核保有国と非核保有国の橋渡し役を果たしたいと述べていた。これは広島県はじめ多くの関係者をして喜ばせたものだ。ところが、当の外相はこの3月末に一転して、日本が条約交渉の場に参加することは両陣営の対立を深め、逆効果になるかもしれないとして、後退する態度に変わってしまった。対米関係への悪化など始めからわかっているにも関わらず、格好いいことを言っておきながら結局は元の木阿弥に終わるのでは全くだらしがない。かねて私どもが日米、自公の関係が似ていることにことよせて、自民党政府に対米自立を追求する姿勢を求めたのだが、結局は十年一日のごとくその体質は変わっていないかに見える▲「核廃絶」という課題は、公明党議員にとってどの党よりも大きく重い問題である。最大の支持団体・創価学会がいかにこのテーマに真剣に取り組んでいるかは改めてここで触れるまでもない。「核廃絶」は、生命の尊厳に強い関心を持ち、平和確立を至上命題とする公明党にとって、まさに存立基盤が問われるほどの意味を持つ。一方、国際政治の現場では長く「核抑止力」が”市民権”を有してきており、”必要悪”としての位置を確保してきたことも否めない。理想としての「核廃絶」を叫ぶことは政治の現場では、意外に簡単なことではないのである。20年の議員生活の中でほぼ同期間を外交・安全保障の議論の場に置いてきた私としては、しばしば両論並び立たぬジレンマに悩んできた▼かつての同僚代議士・斎藤鉄夫元幹事長代行(党選対委員長)は、広島県を主な地盤とする。このひとと私は歳こそかなり違うものの”同期の桜”ということもあって親しい関係だが、その政治的主張ではしばしばぶつかることがあった。それは時に「核廃絶」であり、「原発是非」であった。被爆地・広島を背景に核兵器の絶対悪を颯爽と掲げる斎藤氏。それに対して、私は「核抑止」の立場を慮らざるを得ない安保・外交畑の人間だった。一方、テーマが「原発是非」になると、彼は工学博士として元大手建設会社の宇宙工学研究部門で鳴らしただけあって、原発を低減させやがては廃止するという主張には与しない。ゴールをゼロにおき、原発は順次減らすべきという私の立場とは折り合わなかった。かつて、「3・11」前には安全対策を最大限に凝らしたうえで、原発に依存することに疑問を抱かなかった私だけに、偉そうに言うべき立場ではないと分かっていながら、である。今となっては、政調の現場で大勢の後輩たちを前に激しく論争したことが懐かしく思い出される。これから数回にわたって「核廃絶」への道がいかに遠く険しくとも、それを乗り越えねばならないことについて考えていきたい。(2017・4・5)

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「文際的世界」という大沼ワールドの面白さ

「文際的世界の国際法」シンポジウム実行委員会なるところから、東大名誉教授の「大沼保昭さんの出版記念シンポジウムと懇親会」のご案内を頂いたのは去年の9月。大沼さんとはかねて懇意にして頂いており、その学問上のお仕事ぶりには深い敬意を抱いています。加えて、娘さんのみずほさんが参議院議員選挙に出馬した(現在、自民党所属の一期生)際に、いささかのご支援をしたことなどもあり、単なる学者と政治家の関係を超えた親しみをも感じている次第です。ここで言われる「文際的」とはいわゆる「学際的」よりももっと幅広い概念をさすものと思われます。文明間の壁を乗り越えるという意味で、そこに共通する国際法を求める試みだと私は解釈し、ぜひとも参加したいと思っていました▼しかし、当日( 3月19日)は、同じ東京ではあるものの、大事な会合とぶつかってしまいました。私が青年期に過ごした中野区の仲間たちによる「中野兄弟会」の会です。創価学会の池田大作先生によって作られた人材育成グループの44年目の総会です。何をおいても参加せねばなりません。残念ながら大沼さんの方のシンポジウムは欠席し、終わってからのミニコンサートと懇親会にのみ参加してきました。このためシンポジウムの深いところは何も語ることはできません。ただ、案内状にあるように、大沼さんが営々として築き上げてきた学問や実践活動は、「『欧米中心主義的世界から文際的世界へ』、日本社会の文脈では『脱亜入欧信仰からの脱却』という理念に立脚している」というところにあります。したがって、私が関心を持ち続けている「西欧文明から、東洋の思想へ」という若き日からの大いなる問題意識と全く一致する方向です。今回のシンポジウムの成果に強い関心を持って、その所産に期待し、また私なりの解釈をこのブログにおいて報告するつもりです▼錚々たる実行委員会のメンバーのなかで、私の友人と言えるのは、読売新聞の特別編集委員の橋本五郎氏と論説主幹の小田尚さんの二人ぐらい。後は知ってはいても少々距離のある人たちでしたので、懇親会への出席は若干気が引けていました。ところが、さにあらず、同じテーブルには大沼さん(彼は1946年3月生まれ)と同世代の人間を中心に配席される(ただし女性は別。ご本人の好みが基準=笑)という気の配り方。お蔭で阿部信泰氏(元外務省幹部で軍縮の専門家、今は原子力委員)、コーディネーターの加藤タキさんらと楽しい会話をすることができました。登壇する方々のお話はいずれもウイットに富んだ暖かいものばかりでしたが、共通していたのは大沼さんが「いかにひとに犠牲を強いる」人であるか、という点。これは恐らく「目的追求に熱心なあまり、つい周りのひとに多くを求めてしまう」ことをさすものと思われます。たとえば、この日の会合はトータル11時間に及ぶもので、巻き込まれた参加者は大変だった、というわけです▼大沼さんは、学者でありながら単に象牙の塔に留まることをよしとせずにあらゆることに挑戦してきました。勿論政治、政治家に対しても多くの要求をされてきたのです。そんな彼のメガネにかなったのは、原文兵衛氏と五十嵐広三氏(共に故人)であることは良く知られています。これはまた、慰安婦問題や人権問題で、彼が政党、政治家に頼ろうとしたが「不愉快な思いをした」ことが多かったことと裏表の関係です。彼は著作の中でしばしばこのお二人を礼賛していますが、この日も「最後は自分が責任をとる、抜群の行動力のひとだった」と終わりの挨拶で繰り返し強調していました。列席していた人間の中で、代議士経験者はわたしだけ(ただし、大沼瑞穂参議院議員も参加)だったので、いささか恥ずかしい思いがしたことは禁じえません。つまり、他の政治家はロクなものじゃなかったと言外に匂わせておられたからです。ともあれ、近日中に読売新聞紙上で橋本五郎氏や小田尚氏がコラム『五郎ワールド』や『補助線』でこの日の模様を活字にする(橋本氏には「書いてね」=笑、と伝えておきました)はずです。それを楽しみにしています。皆さんもどうぞ。
                                             (2017・3・22)

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