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自転車をめぐるほろ苦くも珍しい体験について

最近のラジオで傾聴に値するのは自動車事故防止キャンペーンです。毎日ジョギングの最中に聞ききながらにやにやしています。NHKにしてはまことにユニークな工夫を凝らした番組です。私の住む地域でも先日、自転車にまつわる道路交通法改正についてのポイントを学ぶ講習会がありました。例年この時期に行われる防災訓練に付随して、今年は自転車の運転マナーについて学ぶことになったのです。老いも若きも警察の関係者やホンダ技研からの派遣社員による講演をしっかり聞き、いい勉強をしました▼自転車にまつわる私の思い出はちょっと珍しい。幼年期を小高い丘の上で暮らしたことから自転車に乗る機会を失ったために、実は私は40歳を超えるまで自転車に乗れませんでした。まあ、正直言うと、丘の上暮らしは理由になりません。恥ずかしながら自転車に乗る勇気をガキの頃に持ち合わせなかったのです。そのまんま自転車に乗れぬ状態で歳をとってしまいました。そういう私にとって42歳で選挙に出馬するという機会は複雑な心境をもたらしました。選挙には自転車が欠かせません。自動車の免許の方は慌てて取ったものの、自転車は今更練習するにも気恥しくズルズルと日が経ってしまいました▼東京から姫路に転居して間もないころ、家の横にあった広場で思い切って練習を始めました。あいさつ回りが本格化する前に自転車を乗りこなす必要があったからです。自転車のタイヤと地面の間に摩擦があったほうが滑らずにいいのではないかと、砂利のあるところを選んでひとり練習を始めました。すると、妙な物音に気付いた当時中学一年生の娘が二階から乗り出して「お父さん!背筋をもっとまっすぐ伸ばさなきゃ」「曲がるときは体を傾けて」と大きな声でアドバイス。一度にまわりに知られるところとなりました。で、あとは一度バタンと倒れたものの、なんとか免許皆伝”となったしだいです▼娘のお陰で乗れるようになったものの、覚束ないハンドル捌きで市内を回ったことは懐かしい思い出ですが、思えば命がけの選挙活動だったとも言えます。選挙活動のさなかに交通事故で亡くなったり、大けがをしたという先輩や同業他者の話は数多あるからです。言ってみれば、私も危ない橋を渡ったというか、危ない道路を走ったものです。自動車も、自転車も”免許取り立て”てで、播磨路を縦横無尽に走り、無事に大した事故(小さな事故はいっぱい)もなく終えて当選することができました。それからはおかげさまで運転をしてくれる秘書さんができて、20余年。今や完全なペーパードライバーです。自動車は仕方ないにせよ、自転車は乗らないわけにはいかず、このところまた乗るようになりました。そこへ今回の道路交通法改正です。真剣に講義を聞いたことは言うまでもありません。お互い自転車をなめずにしっかりとルールを守って無事故を目指しましょう。そんな私が今や、自転車のシェア化を目指す仕組み作り事業の顧問を引き受けています。その辺りの苦労談はまたの機会に(2015.10・30)

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山口訪中が殆ど新聞報道されなかったのはなぜか

先日の山口公明党代表の訪中、訪韓のニュースはタイムリーな出来事でした。とくに訪中については、国際政治の動向に関心を持つ多くの真面目な人たちを爽快な気分にさせました。安保法制に対する「戦争法案」などというためにするレッテル張りを覆す、きわめて大事な外交攻勢だったからです。中国を一方的に敵視するのではなく、外交関係を円満に培っていくためにも。ところが、公明新聞などの報道ぶりは別にして、一般紙ではほとんど取り上げられませんでした▼なぜなのか。どうしてメディアは山口訪中をもっと大々的に取り上げないのか。習近平国家主席と会談をしたのに、との疑問や不満の声を私も幾つか聴きました。公明党が軽視されているからではないか、と懸念する向きもありました。安倍首相の不人気もあり、その親書を携えていくこと自体に、あえてメディアが無関心を装う形をとっているのではないか、との見方もありました。私はその理由を北京に駐在する親しい某社の特派員に訊いてみました。すると、まったく同じタイミングで楊元外交部長(ようけっち)が急きょ東京に飛び、谷内正太郎国家安全保障局長や、安倍首相自身に会ってしまったので、山口訪中の意味がなくなってしまったからだというのです▼加えて中国が主催した「シルクロードアジア政党会議」に、日本の与党代表を出席させるべく公明党が利用されたというのが本当のところだろうというのです。いかにも報道機関の記者らしい見方です。ニュース性から言えば確かに親書の意味は半減しました。また中国も、かの国らしい巧みな外交戦術のなせる業かもしれません。ただ、「戦争法案」との一方的な誤った見方を振りまいておきながら、平和構築に向けての信頼醸成への努力をまっとうに取り扱おうとしないのは問題が多いと言わざるを得ません▼安保法制よりもやる事があるだろう、と指摘していたメディアにはそれに呼応する動きを公平に追い、読者に提示する責任があると思うのです。尤も、一般紙の報道姿勢に一喜一憂するのではなく、ここはわが機関紙・公明新聞の威力を信じ、活用するチャンスだと受け止めるべきでしょう。早速、識者による山口訪中を評価する記事も寄稿され紙面を飾っています。(2015・10・23)

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なぜ10月初めの世論調査で公明の支持率だけ下がったのか

10月の7,8両日に行われた共同通信社の世論調査結果のうち、政党支持率の項目にはいささか驚きました。「あなたはどの政党を支持しますか?」との問いかけに、自民党から民主、維新、共産、社民党と主な政党が軒並み前月よりも伸ばしたにも関わらず、公明党だけが支持率を下げていたからです。ちなみに、自民は32・8%から36・8%へ、民主は9・5から10・4、維新は、2・8から4・4、共産は3・9から4・2、社民が1・5から1・6といった具合です。それに対して、公明党は、3・8から3・6へと僅かながらではありますが、減らしたのです。あまりメディアでは注目されませんでしたが、私は気になったので、親しい共同通信社の記者に意見を求めました。自民党も一緒に下げたのなら、安保法制が原因とみられようが、なぜ公明党だけなのか、と▼答えは、安保法制のせいではなく、軽減税率で公明党がブレたからだ、というのです。ご承知のように、財務省サイドから妙な案が出されて、一部新聞報道がそれに公明党が乗ったという書きぶりをしました。北側副代表が事前に自民党との水面下工作で了解をしたかのごとく報じられたものです。その記者は、北側氏だけではなく、党の首脳はこぞって同調していたと見て、決して一部報道の勇み足ではないとまで言って、同業他社の肩を持っていました。真偽のほどを知る立場に私はありません。そうかもしれないと思う程度です。家人などは、その一部報道に接して「断固財務省案などは許されないよ、僅かばかりのお金が返還されるぐらいでは承服できない」と、いつになく熱っぽく多弁で、おかんむりでした。消費者は消費税に敏感で、食料品などはむやみ上げられてはたまらん、と端から決めてかかっているのです。そういう有権者が公明党の垣間見せた態度に怒ったというのがくだんの記者の見立てでした▼勿論、今は公明党はそんな態度をとっているわけではありません。当初の予定通りに軽減税率導入を実現する構えを強めています。自民党も財務省寄りが目立った税調会長を替える一方、安倍総理も公明党と同一歩調をとるべく懸命な姿勢を示しているようにみえます。さる15日に公明党の井上幹事長は、17年度導入は与党の公約であり、具体的な制度設計に向けて年末の税制改正大綱の策定までに成案を得るよう努力したいと記者会見で表明したばかりです▼確かに、軽減税率をめぐる制度設計が極めて難しいことは言うまでもありません。煩雑な事務手続きには賛成する小売業者などいないのです。一方で、消費者はそんなことにおはおかまいなく、ひたすら財布からでていくものを抑えたい一心です。この食い違いをどう収めるのか。まことに政権与党の腕の見せ所です。間違っても変な案を出すことのないように願いたいものです。年末の合意案次第では、さらに支持率が下がるかもしれません。ともあれ初心を忘れず合意形成にまい進してもらいたいことを願っています。(2015・10・19)

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播州の秋は祭り一色ー新米自治会長の密やかな決意

播州の秋は今、祭り一色。各地で勇壮な祭りが展開されています。”灘の喧嘩まつり”は全国的にも有名ですが、それ以外にもあちこちでユニークな祭りがあることを最近になって知ったというのはお恥ずかしい限り。私が住む姫路城のすぐ西の地域でも「大歳神社のお祭り」が例年通り行われました。今年は自治会長になって初めてのことで、あれこれ戸惑いながらもなんとかこなしてほっとしているところです。皆さんのところはいかがでしょうか。自治会活動のありようについては、先日某全国紙上で数回にわたって特集が組まれていました。そのきっかけになったのが、姫路市に住む方の投書だとか。こちらもそれを読んで、改めて考える機縁になりましたが、まずは、難しいことより私の個人的な体験の中間報告から▼自治会長になって、ちょうど半年が経ちました。あっという間でしたが、印象深いのは様々な運動ーというか体を動かす機会があったことです。ペタンクとグランドゴルフ、そしてウオークラリーと続きます。ペタンクなどというものは今まで全く知らず、最初はルールも何もわかりませんでしたが、やってみると意外に面白いものでした。また、グランドゴルフも。通常のゴルフは何回やっても一向に上達しない私としては、これぐらいがちょうどいいのかもしれません。子どももおじいさんも和気あいあいと楽しめる手ごろな運動ではあります。といっても運動量は少なすぎる感じは否めませんが▼秋祭りは、何といっても屋台を担いで練りまわしたり、差し上げるのが見どころ、しどころです。しかし、毎年これを担ぐ若者が確保できず、困ってしまいます。今年も地元からは30人に届かず、結局はかつてこの地に住んでいたが外に出た、いわゆる域外の助っ人の手を10人ばかり借りて、ようやく間に合わせました。屋台の上で小学生4人が太鼓をたたくのを、持ち上げそして他の町の屋台とぶつけるかのように練り合わせるというのはそれなりに見ごたえがあります。私も昨年ちょっぴりと担ぎましたが、その時の肩の痛みが未だに残ってるぐらい。したがって、今年は見るだけと思いましたが、それでも最後の土壇場で僅かながら担ぎました。60代最後の屋台担ぎで、ひそかな喜びを若者たちと一緒に分かち合ったのです▼終わってみんなでアルコールを飲みながらの感想を述べあうと、異常なまでに盛り上がりました。やはり、同じ地域に住んでいたり、かつて住んでいて戻ってきた者たちが一緒に力を合わせるというのはいいものです。ただ単に秋祭りの時だけではなく、あらたに青年部を作って恒常的に活動をしようと提案しましたら、すんなりと受け入れられたのは驚きでした。自治会長としては嬉しい限り。さて何をするかというのはこれからの課題です。老人たちと違って若者は仕事があるだけに難しい側面が強いですが、工夫をしていこうとひそかに闘志を燃やしています。ところで、わが地域には老人会がありません。私の前の代で、会長のなり手がいなくなり、開店休業状態です。私にやれと言われるので、「老人会はいやだが、超青年クラブ会長ならいい」と屁理屈を言ってとりあえず自治会長と兼務で引き受けています。こっちは専ら旅行を企画するぐらいだけですが、そのうち面白いことをやってみたいと、これまたひそやかな決意を温めています。(2015・10・13)

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“道を究める”ことの尊さを”志”研修会で学ぶ

上甲晃さん率いるところの志ネットワークというグループをご存知ですか?上甲さんとは松下幸之助氏の側近で、かつて松下政経塾の塾頭ともいう立場で若き日の野田佳彦元総理らを訓育された人物です。私はこの人の存在を高砂商工会議所の会頭でソネックという建設会社の渡辺健一会長から聞いていました。ずいぶんと前になりますが、今の日本で心底から世直しを考えて、人々に働きかけているとてつもない人物が上甲さんだと聞かされたのです。その著作も読み、機会あらばお会いしたいものと念じ続けていたのですが、遂にこの二日に実現しました▼年に一回、全国に開催地を移しながら会員の親睦や研修を行っているとのことですが、今年は二泊三日で姫路に100人ほどの皆さんが来られたのです。『志ネットワークin播州』との名目で、「城下町に今も生きる匠の技と生活‥‥古き良き日本の伝承を期待して」が今回の大会のテーマ。姫路駅前の地場産ビルで開催された第一日目の大会に私も参加させていただきました。皮革研究家、刀工、塗師、時計技能士、仏壇工芸家、甲冑師・鍛冶職人の六人が次々講演。おひとり40分づつ四時間余りもの長い時があっという間に過ぎました。この地で四半世紀もの間、政治に携わってきていながら、直接面識があったのはお二人だけ。あとの皆さんは初めてお話を聴くという始末。そんな私でしたが改めて伝統工芸の大事さ、日本文化の奥深さを思い知らされる素晴らしい機会となりました▼冒頭の柏葉喜徳さんの皮革の歴史の話は実に聴きごたえがありました。日本最大の皮革産地といっていいい姫路に住みながらも知らないできた様々の皮にまつわるお話。とりわけ姫路独自の白なめし皮に関して知識を新たにできたのは収穫でした。塗師の砂川隆、仏壇工芸家の原田眞一郎両氏の話も興味深いものがありました。灘のけんか祭りにおける主役たる屋台をいかに荘厳するか、また名城あるところに仏壇工芸の伝統ありとの秘話を、八代目から聴いたのも凄味がありました。さらに甲冑師・鍛冶職人として日本でも唯一の存在たる明珍宗理氏は、火箸を使って見事な音色を奏でる風鈴の製造に取り組んでいる話をさまざまに展開してくれました。また彼の次男宗裕氏が刀工として大なる存在を築くまでの苦労話は胸打つものがありました。時計技能士の永濱修氏は阪神淡路大震災以降、各地の小学校などで壊れた時計の修理を通じて培った「命の絆」の話を披露してくれました。涙を誘わずにはいられない中身の濃い話に感動したものです▼すべてが終わった後の総評の中で、上甲さんは以下のような意味のことを述べました。人生において何を極めるかは大事なことです。地位を究めることに取り組んでも、地位を離れるともぬけの殻になることがしばしばでしょう。財を求めても所詮むなしいものです。それらに比べて、道を究めようとするひとたちは歳をとって、いやまして輝きを増すものです。歳を重ねての値打ちは、より真理に近づくことにあるといえましょう。今日の六人の方々の話、とりわけ大先輩の話には確かなる聴きごたえがありましたーさすがと思えるまとめ方でした。絵画、音楽など芸術に打ち込み、「我を忘れるほどの時の経つことを忘れるものが永遠の時を持つことに近づく」というのが私が最近感じていることなのですが、この日の伝統工芸の継承に取り組む人々の講演を聴いて、全く同じ思いを抱くことができました。終了後には懇親会がありました。志ネットワークの皆さんが、いかに世のため人のために尽くすことに、熱い思いを持っているかを知ることができて、大いに感激したものです。結成20年の節目を明年迎えられるといいます。全国のリーダー・上甲晃ご夫妻、姫路の牽引車・渡辺健一ご夫妻に感謝するとともに。今後のご活躍に大いに期待したいものです。(2015・10・7)

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「♪山は~富士なら、♪城は~しらさぎ」ー日本酒の日 異聞

10月1日が「日本酒の日」だったとは、恥ずかしながら知りませんでした。昭和40年以前には、この日から酒造年度と定められていたことや、酒の字には、干支でいう10番目の酉(とり)が入っていることから、全国酒造中央会が1978年に制定したといいます。すでに40年近い歴史があるのですね。兵庫県の多可町は酒米・山田錦発祥の地として知られていますが、この日には毎年加藤登紀子さんを招いて「加藤登紀子日本酒の日コンサート」が開かれています。1993年からのことで、今回は23回目だったといいます。黒田庄町に住む同年齢の親しい友人が大の登紀子ファンで、いつも誘われます。一度は行きたいものと思いながら今年も行けませんでした。その代わり、地元姫路での「全国一斉 日本酒で乾杯 in 姫路城」に初めて参加しました▼「兵庫の蔵元の殆どが姫路城に集結」との触れ込みだけあって、70近くの酒蔵による各種のお酒が並べられた様子は壮観そのものでした。とくに地元姫路からは、11もの姫路酒造組合傘下の酒蔵が出品。乳がん予防キャンペーンにちなみピンク色で光の化粧を施した白鷺城を背景に、お酒好きの参加者の頬はピンク色に染まっていました。この種の会にはこれまで現役の時代はいつも一人でしたが、今回は”少々いける口”の家内と一緒に。会場の随所で懐かしい友人・知人たちと出会い、旧交を温められたのは幸いでした▼酒にまつわる現職時の思い出は尽きませんが、さわりを披露してみましょうか。お酒のコマーシャルソングは色々とあるのはご存知と思います。「♪山は富士なら ♪酒は白雪」とか、「♪喜びの酒 ♪松竹梅」などは双璧だと思います。私は前者を替え歌にしてしばしば会合で使いました。揖保川町での老人会でのこと。「みなさん、今日はお祝いにちなんで、わたしは歌います。”♪山は~富士なら ♪川は~揖保川”。以上終わり」ーものの一分もかかりません。場内爆笑で拍手喝采でした。この調子であれこれと替えて歌ったものです。たつの市の市長選の開票の日。現職西田市長(当時)の「当選を祝って挨拶を」と言われて「♪山は~富士なら ♪たつのは~西田」と。これにはいささかよいしょが過ぎたかと、ちょっぴり反省しました▼ビールや焼酎、最近はワインやウイスキーなどの躍進の陰で、日本酒が精彩を欠くと言われて久しいものがあります。しかし、和食にはやはり日本酒が合います。料理の種類にあせてアルコールを選べば、いいのではないかと思います。その点で世界で日本食ブームと言われる今日、外から内を攻める絶好のチャンスともいえましょう。私は酔うと、下戸の友人に「人生酔うことの素晴らしさを知らないなんて、可哀そう」とよく言ってしまいます。尤も、これとて過ぎたるは及ばざるがごとしです。少量の放射線が体に良く、大量の放射線は健康を損ない命をも奪うように、酒も飲みすぎると糖尿病の原因になり、命をも失うことになります。お互い気をつけないと。楽しい酒を友や家内と交わしながらの夕べとなりました。「♪山は~富士なら、♪城は~しらさぎ」とひとりごちながら。(2015・10・2)

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「教育」とは名ばかり。その実は「強育」「競育」「脅育」「狂育」‥‥

このほど私が住む地域の小学校5年、6年の生徒たちと一緒に落語を聴くという珍しい経験をしました。噺手は、三遊亭楽団治さん。”笑点”でおなじみの六代目三遊亭円楽一門で、アマチュア落語家・講演師とのこと。毎年開かれる「城西校区人権教育合同町別学習会」は、今年は趣向を変えて”一風変わったおもろい!講演会」と銘打たれ、前半は落語『子はかすがい』、後半は、講演『子育テイメント』が演目でした。さて、子どもたちがどう反応するか。参加した自治会のメンバーたちはウイークデーの午前中とあって、主婦や高齢者が殆どでしたが、興味津々でした。父親の”飲む、打つ、買う”の道楽が原因で、家庭破壊。別れた母親と一緒に暮らす息子が、後にかすがいとなってよりが戻るというお話▼冒頭、落語でおなじみの「寿限無」を言えるかとの楽団治師匠の呼びかけに、手を挙げた子どもたちが数十人いたのには驚きましたし、「かすがい」って何だろうかと、問いかけながら現物を出して見せたりして、なかなかのスタートでした。ただ、噺のなりゆきゆきはいささか古めかしく、今の子どもたちには分かりづらかったかも。体がざわめく場面の方が笑いのおこる回数よりも多かったように見えたのは残念でした。もっとも今風の離婚家庭におけるかすがい役としての子どもをどう登場させるかは難しいかもしれません。私などは単純に、この噺のオチはどうつけるのかなあと考えながら聴き入ったしだいです▼この空気を一変させたのは後半の講演。子どもたちが退場したところへ、師匠は和服姿から今風の格好に。で、今の家庭における子育ての問題点を次々とあらわに見せて、大いに考えさせる内容でした。この人は、県立特別支援学校で4年、中学校で8年、小学校で14年と26年もの教員歴があり、落語家というよりも教育者が本業です。60歳を超えた現在は、高齢者教室、PTA・子育て教室、人権、福祉、ボランティア関係の人々を対象に各地で”口演会”を開いているというだけあって、なかなか聴かせました。なかでも、教育の現況が、子どもに強いる「強育」であったり、友だちや兄弟と比較するばかりの「競育」になっていたり、子どもを脅かすだけの「脅育」だったりしているとして、「きょう」の字が付く単語を「恐育」「狂育」「協育」「共育」「響育」「鏡育」などと、次々と挙げて説明していったのには身につまされた人も多かったはずです▼「子育て」が独りよがりの「孤育て」であったり、小さいだけの「小育て」や乞食まがいの「乞育て」であるなどとの指摘にも唸らせられました。「しつけ」が「おしつけ」になってる現状や、子どもたちの言い分を「聞く」という行為が単に耳で聞くだけであって、心や目を使って「聴く」という字のようにはなっていない、との指摘も漢字の持つ奥深さ以上のものを気づかせてくれました。子どもたちの前で学校や先生の悪口を言ったり、家族相互の陰口を言う様では、子どもにとってよくないということも大いにうなづけました。笑い渦巻く楽しい明るい家庭であってこそ、と強調されて皆なるほどと”落ちた”ものです。政治家の話が面白くないのは「落ち」(落選)を嫌うから、といつもは冗談を飛ばす私も、今日は”落ちついて”聴けました。(2015・9・29)

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瀬戸内海の島めぐりに夢と希望をたくす人々

一般社団法人「瀬戸内海島めぐり協会」が昨22日、淡路島のホテルウエスティン内にある夢舞台で発起人会を開き、実質的にスタートを切りました。会長に中西進氏(文学者)、副会長に吉村静穂氏(ジェノバグループ会長)と堀江謙一氏(冒険家)を選び、私は専務理事に就きました。この協会は、淡路島の島めぐりをベースに、瀬戸内海の島々をクルーズし、世界からの観光客を引き込もうということを狙いにしています。これまで明石と岩屋をつなぐ航路に船を走らせてきた船会社・ジェノバラインは、去年から淡路島を船でぐるり一周するツアーを実施したり、小豆島や直島への島めぐりを実施してきましたが、さらにそれを拡大・発展させようというものです。そのために、一般社団法人を作り、多くの賛同者を募ろうというわけです▼吉村氏は発起人会で、「一企業がこうした事業を展開するのは自ずと限界がある。同業他社をはじめ共鳴してくださる方々と協力して大きな夢をかなえていきたい」と訴えていました。私はこの2年の間、この人と接触してきましたが、その人物のスケールの大きさに深い感銘を覚えてきました。一級の経営家だと確信します。また、ナンバーツゥーの豊田一義副社長をはじめ脇役に人を得ており、この人たちと瀬戸内海にインバウンドするプロジェクトに取り組むことで、これからのわが人生に大きな彩(いろどり)を添えていきたいと決意したしだいです▼会長に就任した中西進氏は名だたる万葉集の研究家であり文学者。また、堀江謙一氏は「太平洋ひとりぼっち」で世界的に有名な海洋冒険家です。二人とも吉村会長とは長年の知己で、この協会の試みに勇んで参画されました。中西さんは「瀬戸内海は日本人の心のふるさとです。観光振興に加えて、日本文化のルーツを探る旅を展開していきたい」と抱負を述べていました。堀江さんは、「最近、瀬戸内海によく行きますが、世界でも稀な内海の持つ美しさにその都度感激を新たにします。自分の経験を生かして貢献していきたい」と展望を語っていました。その他に、この協会の趣旨に賛同した著名人は総理夫人の安倍昭恵さん、数学者の広中平祐氏、住友電工社長の松本正義氏をはじめいろんな方面から数多くの方々が名を連ねてくださっています。いかに瀬戸内海に皆さんが熱いものを持っているかがわかるというものです▼私はかつて中学校時代に淡路島・慶野の松原でのキャンプファイヤーをやったこと、そして高校時代の卒業旅行に神戸から別府まで瀬戸内海を横断した船旅など、未だに忘れられない経験をしました。これからの人生にあってこの原体験をもとに、観光はもとより、日本文明のこれまでとこれからに思いを馳せる、思考上の冒険をしていきたい、と考えています。(2015・9・23)

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安保法制の説明はなぜもどかしいのか

参議院での安全保障法制をめぐる採決の混乱ぶりは目を覆いたくなる。かつて幾度も見た風景なだけに、その進歩のなさには呆れるばかりだ。十分な審議が尽くされたか、いやまだ不十分だという分岐点をどこに置くか。質量両面から見るべきであろうが、質的判断はどうしても主観的要素に左右される。このため客観的な観点からは時間という量に重きを置かざるをえない。今回衆参両院合わせて220時間という時間をかけて議論がなされてきたことは、過去の国会の経験から見て採決の機は熟していたというほかない。それを強引に阻止し、あげくに強行採決だ、民主主義のルール違反だと主張するのはやはり行き過ぎだと思う。これは”強行採決”ではなく、”採決強行妨害”だというべきだ▼ことがここに至るまでの議論で最も私が注目したのは、山口那津男公明党代表と安倍晋三首相との質疑である。かねて聴きたいものだと思っていたが、ついに14日に実現した。テレビ放映を見たうえで、質疑要旨に何度も目を通した。首相との率直なやりとりは残念ながら聴けなかったものの、山口代表はきちっと問題を整理して、横畠内閣法制局長官から見解を引き出していた。併せて安倍首相には国会の関与の在り方、外交手段の展開を強調していたのはさすがだった。横畠長官とのやりとりの中で、注目されたものは三つある。一つは、いかなる場合にも日本は武力行使をするべきではないとの主張への反論だ。「外国の武力攻撃に対して必要な対処をせずに、国民に犠牲を強いることもやむを得ないとする考え方は,国民のいわゆる平和的生存権を明らかにした憲法前文、国民の幸福追求の権利を保障した憲法第13条に照らしても、国民の安全を確保する責務を有する政府としては到底取り得ない解釈だ」というもの。今回の安保法制議論に反対する向きは、憲法9条1項を盾にして、「全面的に戦争を放棄してるのになんだ」というものが圧倒的に多い。しかし、それは「一国平和主義」であり、制裁戦争や自衛戦争を認めた不戦条約や国連憲章などの国際法を無視していることになる。憲法は国内ルール、国際法は対外的規範であり、双方を満たす解釈でなければならないのだ▼二つ目は、従来の自衛権発動の3要件から新たな3要件を作るに至った背景と中身だ。今日の安全保障環境の変化から、他国に対する武力攻撃が発生し、武力行使をしなければ国民が被害を被るという事態ー存立危機事態ーにも武力行使で対処することについて、「それは他国防衛ではないか」との批判がある。これについても、「他国防衛の権利として観念される国際法上の集団的自衛権一般の行使をみとめるものではなく、また、他国にまで行って戦うなどという、いわゆる海外での武力行使を認めることになるといったものではない」との見解が改めて示された。ただ、今日の安全保障環境の変化については、ぜひとも与党の中心的政治家の二人の率直な見解の披瀝を聴きたかったところだが、ある意味、時すでに遅しだったことは否めない▼三つめは、自衛権をめぐる論議で、日本の憲法で許される自衛の措置と集団的自衛権、個別的自衛権との関係性を問うたくだりだ。これは、今回の安保法制のせめぎあいの中で最も核心を衝くところである。要するに個別的自衛権の範疇を出ていず、集団的自衛権という呼び名では値しないものだとの反論が与党側からなされてきた。例えば、採決の混乱のあと、メディア関係者からマイクを向けられた自民党議員は「これは集団的自衛権の行使ではなく、憲法が認めた個別的自衛権の行使なんですよ」と述べていた。それに対して「国際法上の概念で整理すれば、限定されたものであるとはいえ、集団的自衛権の行使と言わざるを得ない」と横畠長官は延べ、山口代表は「(これまでの武力攻撃事態には、いわゆる国際法上の個別的自衛権を根拠としてきたが)この度の存立危機事態、これは従来の個別的自衛権プラス、限定的な集団的自衛権を根拠とすることができるということ」で、「いずれも我が国の憲法からすれば、基本的な論理は一貫していて、その枠内の考え方におさまる」という風に聴いた、と述べている。これは、限定的集団的自衛権の行使でも、自国防衛の論理は一貫しており、憲法の枠内に収まっているのだという法制局長官の論理展開を後付けしているわけで、非常に微妙な発言になっているといえよう▼今回の国会での論議は分かりづらいとの評価が専らだ。私もいろんな懇談の場で説明を求められる。また、家族の間でも。普段あまり公明新聞を読もうとしない家人が切り抜いてまで読もうとする姿には愛おしささえ募ってくる。昨日も、一家庭内のルールと自治会の取り決めとの関係を憲法と国際法の関係に例えてみたり、「一国平和主義ではなく、世界平和主義でなければならない」と述べるなどした。その挙句に「分かった?」と訊いてみたら、ただ首を横に振るだけ。うーん。厳しい。さてどう説明するか。日暮れて道遠しというほかないのだが、ここは思案のしどころ、知恵のひねりどころである。(2015・9・18)

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とことん学ぶシニア世代の麗しい姿に驚く

この週末、自治会の行事が急に延期になったことから夕刻まで時間が出来ました。そこへ、高校時代の後輩から関西学院の西宮・上ヶ原キャンパスで、同大学の専門職大学院経営戦略科の「創立10周年記念講演・シンポジウム」があるから来ませんかと、誘われました。ちょうどいい機会なので、関西でも有名な関学のIBA(Institute Business and Accounting)なるものの一端に触れてみようと、行ってみることにしました。後輩とは、安田義信さんといい、長田高卒で私より3年歳下。ことし66歳になるはず。山岳部出身の無類の好漢です。神戸市の兵庫区で、ある中小企業の副社長をしていた頃ー10年ほど前でしょうかー選挙支援の依頼に訪れ、知り合いました。60歳で定年退職をした後、しばらくして母校・関学のビジネススクール(経営戦略専攻)の門を叩き、今ではMBA(経営学修士)を取得して客員研究員となっています。シニア真っ盛りの年齢で、学問の世界にどっぷりと漬かりながら、いつも楽しそうに生き生きとしている姿に、正直私は驚くばかりです。その秘密を知りたいとの気持ちも手伝っての、突然の”関学行き”となったわけです▼この日の記念講演は、元大蔵省の役人,三重県総務部長などを経て、現在は関学の教授にしてニュースゼロのキャスターという村尾信尚さんによる「ニュースの現場から世界を見る」でした。人気者の喋りをたっぷり聴けるとあって会場の中央講堂はほぼいっぱい。私も関心のある楽しみのテーマでした。彼は今風の甘いマスクで爽やかな佇まい。ご自身の体験を交えながら、ニュース報道の舞台裏を興味深く披露してくれました。私的には、E・H・カーの『歴史とは何か』の解説、テレビ初出演当時の「インパクトある中身をコンパクトに話すことが大事」との桂文珍師匠のアドバイス、今は水墨画に魅了されている、といった本題以外の話が記憶に残りました。また、パネルディスカッション「関学IBAに期待するもの」も、首題とは別に、今村岳司西宮市長の自由奔放な関西弁の話しぶりに感心しました。終わって傍に立ち寄り、「なかなか面白い話でしたよ」と褒めつつ、「次に当選することが大事ですね」と”皮肉ともとれる激励”を私らしくしてしまいました▼第三部で「IBA10年の歩み」という、6人のMBAメンバーらによる研究フォーラムの発表がありました。そのラストバッターにわが安田さんが登場するとあって、結局は最後の最後まで付き合うことに。彼の所属フォーラムは「トップリーダー研究会」というもの。「インプットからアウトプットへ」を合言葉に、あるべき企業家像を様々な視点から追求している日常を報告し、注目を集めていました。併せて、紅一点の相島としみさんの「名著講読会」も興味津々の充実した中身の発表でした。この女性は上智大を出て慶応大学院へ。就職は日本経済新聞の記者に。やがてそれに飽き足らず、翻訳業の世界に転身。今は若い翻訳家を養成するという仕事をしながら、IBAで研さんを深める日々だといいます。登壇されたみなさんに、「どこまで学ぶつもりですか」と茶々を淹れたくなるほどの”学問マニアぶり”です▼この日の”私の学び”で気付いたことを少し。一つは、大学教授の側の対応は大丈夫かな、という点です。パネリストの一人として発言された元学長の平松一夫教授は、「理事としては言いづらいですが、個人として」と前置きをしながら、言いにくい事をあれこれと述べられていました。私の親しい友人(筑波大の古田博司教授)から大学教授会の実情はいつも聴いていますが、どこもおよそ旧態依然とした状況にあるようです。驚いたのは関学のIBAの校舎の一部を梅田に持っていくということに大学側が躊躇したということです。むしろ、文科省が乗り気だったという話にも。二つ目は、会社経営の実務に通暁している安田さんのような人材に対して、象牙の塔に籠ってばかりで経営理論にはめっぽう明るいけれど、世間の実情に疎い大学教授はうまく指導出来るのかなという事です。恐らく余計なお世話だと言われそうですが、両者のうまいコラボレーションが大切だという当たり前のことが無性に気になったしだいです。(2015・9・13)

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