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災害へ、身についた知識と知恵こそ

このところ異常な天候が続く。なかでも雨が多い。秋雨前線やら台風の到来が常態の時季ではあるのですが、それにしても、との感が強いのは私だけではないと思います。雨が降るたびに川の増水が気になります。私の住む姫路市の中央部でも小さな河川が瞬く間に水嵩を増し、道路にまで川が氾濫してくる危険性があるのです。低い土地に立つ建物では床下浸水は珍しくなく、なんとかならぬものかとの声が満ち溢れています。8月末の自治会の月例会では、こうした声を受けて姫路市の防災、とくに川の増水への取り組みの現状を、地元選出の市議会議員を呼んで聴くことにしました。短い時間でしたが、石堂市議は的確に報告をしてくれました。結論は直ちにでるというものではないのですが、一日も早い抜本的な対策に向けて市当局や議員が汗を流している状況は伝わってきたのです。質疑もなされ、説明ぶりは好評でした。自治会長としても、一方的な町内のイベントの伝達ばかりではなく、私たちの町に住む人々の安全、安心に向けて少しでも役立つ情報を提供しようと思った次第です▼続いて9月最初の日曜日には、公民館で防災講座があり、出かけました。姫路市の消防局の幹部が講師として来てくれ、一時間半ほど映像を駆使しながら、たっぷりと話してくれました。AEDの使い方から始まって、大地震が発生した際の対応に至るまで、防災全般の心構えと具体的な動きについて注意を喚起されたのです。身近な、災害対応の基本が出来ていない自分自身を改めて気付かされ愕然としました。AEDといえば、日本で初めて導入の必要性を訴えられたのが兵庫県の河村剛史医師です。彼とは15年ほど前から懇意にさせていただいており、普及に向けてあれこれとお手伝いをしてきました。しかし、自分では実際に使った事がありません。たとえば、直ぐそばにいるひとが突然倒れたらどう対処するのか、ただ狼狽えたり、救急車を呼ぶのが精いっぱいではないのかとの反省も余儀なくさせられました。寝室のそばに靴を常に置いておくことや、非常時の時のために防災バッグを用意して置くなどといった”いろは”も出来ていません▼それだけではありません。国の仕事を政治家として取り組んできたはずの私も、改めてあれこれと消防の専門家から問われて、すべて胸をはって答えらえたというと、嘘になります。クロスロードゲームなるものは阪神淡路の大震災いらい、ボランティアの人々の間で広まってきたもののようですが、なかなかの頭の体操ならぬ心の体操といえそうです。「避難場所にいるひとの数が3000人。届けられた食事が2000食しかない。さてどうするか」という問いかけは極めて実用的ですし、いざ地震だというときに,マンション住まいの場合に、「火を消す。家族に知らせる。机の下に潜り込む。ドアを少し開ける」のうちで、最も優先されるべきは何か、との設問も考えせられました▼なかでも消防局の講師の話で一番耳が痛かったのは、東北の大震災で、巨額の予算が投じられて復興への営みが営々となされてきているが、その進捗状況は心もとない。あの先の大戦で、焼け野原となった日本があっという間に復興でき、今日の発展をみたのは何が大きな力となったのか。それは皆が力を合わせて必死になって復興へ尽力したからではないのか、との問いかけはなかなか核心を衝いているいるように思われました。それぞれの立場で、あれこれと言いたい事はありますが、防災の現場で働く人の一言一句は胸に刺さる鋭さと、両肩にのしかかってくる重みがありました。日本全体で大きく言えば、東南海トラフト大地震、地元的に小さく言えば山崎断層地震などが襲ってくる可能性が少なからずあります。その時に備えて単なる知識だけではなく、身についた知識と知恵を持たねばと銘記した次第です。(2015・9・8)

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病院に必要なもう一つの窓口とは?

代議士を辞めてふつうの市民に戻ってから約3年が経ちます。現役の頃と何が違うかといえば、最も大きいのは予算委員会を始めとする所属した委員会で、政府に対して質問をするという機会がなくなった事です。20年間、寝ても覚めてもというと少々オーバーですが、政治課題のうち何を取り上げて、それについてどう問題を指摘して発言するかが大きな関心事であり、重要な仕事でした。それがすぱっとなくなったことは大いなる解放感があります。勿論、寂寥感もあり、時々夢のなかでうなされていますが(笑い)。で、それを除くと、あまり変わらない仕事が今も続いているわけです。それは、世の中における仕組みを良く変えたい、もっと住みやすく生きやすい社会に変えて行きたいと考える人たちに対するお手伝いです。一つの例を御紹介しましょう▼先日、姫路市に住む社会保険労務士の湯谷達秀さんから相談を持ち掛けられました。彼は元兵庫県社会保険労務士会政治連盟のトップで、今は社労士会の協同組合の理事長をされています。相談の中身は、医療機関で患者さんたちが治療を受ける際に生じる「御困りごと」の解決に貢献したいということでした。勿論、医療上のことではありません。例えば、心身に障害をお持ちの方は、その障害の程度に応じて国の社会保障制度を活用することで、経済的な救済を受けることができます。それを知らないために、権利を行使しないままうやむやに終わっていることが多いのです。湯谷さんたちは、そうした方々に社労士の持ってる知識を活用して、あきらめないで立ち上がろうと励ましたいというのです▼年金問題をめぐる様々な課題が今もなお日本社会を揺るがしていますが、私が厚生労働省の副大臣をしていたころに、町なかの年金相談窓口として社労士をもっと活用すべきだとの声が高まりました。今なお十分ではありませんが、かなり前進はしてきているようです。受給できるはずの障害年金を請求さえしていないひとは全国で約60万人もいるといいます。私は、こういう人たちを助けることは大変に大事なことだと思い、直ちにサポートすることにいたしました。すでに横浜市では、7月に市民病院内のがん相談市民センターにがん患者とその家族を対象とした「就労支援相談窓口」を開設しました。がんに罹患しても働き続けたいとの希望を持つひとの相談に、社労士が対応しているといいます。姫路市の場合は市民病院がありません。まずは、大きな民間の病院に対してそういう窓口をおくべく働きかけよう、ということで意見が一致して動き出しました▼がんを患っていても、脳梗塞を発症した後であっても、治療を続けながらも働き続けたいというひとたちはいます。そのひとたちに対して社労士が専門知識を活用して、適切なアドバイスをすることは極めて重要です。さて、それを病院、医療機関がどう受け止めるでしょうか。ケアマネージャーやケースワーカーがいて、すでに対応しているから必要ないと言われるでしょうか。湯谷さんは「そういう存在があることはわかっています。しかし、社会保障制度について彼らが熟知しているとはいいがたく、我々社労士が補完することで、多角的な視点に立ったお手伝いができるのです」と自信満々に言います。この仕事の応援はやりがいがありそうです。連携をとりながらしっかりやろうと決意しているところです。(2015・9・4)

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自民党内の”たった一人の反乱”から、何が見えるか

八月最後の日曜日の昨30日における国会周辺は、10万人を超えるデモで大変な騒ぎとなったようです。地元での創価学会の座談会に出て会員の皆さんと懇談をしたり、自治会の活動に汗を流した私にとっては遠く離れた地の出来事でしかありませんでした。一夜明けて新聞やテレビでその報道を見ながら、いくつか思いを致したことに触れてみます。一つは、安保法制批判の背景の変化です。かつて私が中学三年生だった昭和35年(1960年)の、あの日米安保改定反対のデモの際には、保革の対立には決定的なものがありました。その世界観が左右で全く違っていたのです。今回の場合は、自衛隊を違憲だとする考えは遠く後方に去り、むしろ「自衛隊員が危険な目に合うかどうか」といった具体的な争点に移っているかのように思われます。55年の歳月は、日本人の安全保障上の考えの違いを、少なくとも”不毛の対決”からは脱却させたと言えます▼新聞、テレビなどマスメディアの報道の仕方も、こぞって反対ではなく、賛成する機関もあり、どの媒体を見たり聴いたりするかによって、受ける影響が違うと思われます。先日、横浜に住む友人から「なぜ、戦争法案反対のプラカードを掲げたデモばかりなんだろう」「戦争阻止のために、安保法制は必要だという看板こそ掲げるべきではないか」との手紙を頂きました。確かにサイレントマジョリティの声の中にはそういう意見もあろうかと思われます。衆議院での法案採決の際に、詩人の金子兜太さんが書かれたという「安倍政治を許さない」との紙ばかりの乱立を見て、いささか違和感を感じたのは私だけでしょうか。もっと多様なる意見の表明の仕方があっていいのではないか、と思います▼前回のこのブログに書きましたが、先日国会に参りました際に、自民党の村上誠一郎代議士(衆議院政治倫理審査会会長)と会ってきました。彼とは現役時代から様々な交流があり、いつなんどきでも「正論」を叫ぶその姿勢を高く評価し、尊敬しています。今回も自民党のなかで唯一人反対を表明し、安倍総裁率いる自民党の態度を激しく批判しています。私には会うなり、「公明党はどうなってるんだ」「あなた自身はどう考える」と堰を切ったように尋ねてきました。私は、今回の安保法制が憲法9条の許すギリギリの枠内での適正な解釈に基づくものであると述べ、公明党の頑張りで安倍自民党に歯止めを掛けさせたとの持論を表明しました。ただ、自公の間での昨年来の合意に至るまでの議論が公開されていないために、あたかも最初からすべて一致しているように見えるのが、ことの本質を分かりづらくしているとも付け加えました。彼は、選挙制度が小選挙区中心になってから、自民党の人間はみな黙ってしまい執行部のいいなりになっていると力説。もっと同調者がいると思ったが、気付いたら後ろには誰もいず、自分一人だけだったと苦笑いしていました。惜しむらくは彼が”一匹狼”だということです。総裁選に打って出るような気迫が欲しいと思います▼「集団的自衛権を憲法解釈で可能にするというのは誤りであって、憲法改正をするのが筋」だというのはその通りです。しかし、今回の安保法制は、いわゆる集団的自衛権を行使するものではなく、その一歩手前のものです。従来からの個別的自衛権の範疇に入るものだというのが公明党を支持する者のふつうの理解です。それを集団的自衛権を限定的にしろ認めたものだとすると、話は違ってややこしくなってきます。今回の混乱を見るにつけ、憲法改正を真正面から問う時期に来ていることを痛感します。村上さんは、「安倍首相は憲法改正の実現が直ぐには難しいと見て、解釈で事態を変えようとしたが、これでかえって憲法改正は遠のいた」と言っていました。公明党は、「憲法改正」とりわけ9条をどうするのかをはっきりさせるべきでしょう。憲法を改正して集団的自衛権行使を認めるのか、それともそれには反対で、今回のギリギリの憲法解釈でよしとするのかを明確にすべきです。でないと、自民党とますます一緒に見えてしまい、公明党の真実の主張と、その立ち位置が見えてこないのです。(2015・8・31)

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街づくり、観光振興などで活発に動く

先日、上京する機会があり、まとめて幾つかの仕事をしてきました。何れも今の政治状況の中で大事なテーマと思いますので、時系列的に報告します。まず、一つ目は、東京大学特任教授の辻哲夫さんとお会いしてウエルネスタウン(心身ともに健康な人々が住む町づくり)の仕組みづくりについて意見交換をしてきたことです。辻さんは、私が一年間厚生労働省で副大臣を務めた際の事務次官。同郷の誼みもあって、大層親しくさせていただきました。彼は役人稼業を卒業して約7年。もともと学究肌のひとでしたが、さらに一層磨きがかかっていました。今はこの課題について千葉県柏市をモデルにしながら、かなり熱心に取り組んでおられます。辻先生と話したいとの意向を持つ、あるコンサルタントを引き合わせました。結果は、お互いに意気投合。課題山積の分野だけに、お互いに協力し合うことを約束して別れました。私もこの問題にこれから重点的に取り組む覚悟です▼夕刻には私が顧問を務めるコミュニティサイクル企業の経営者やその配下の関係者と、食事をしながらこれからの自転車社会を巡っての意見交換をしました。この会社のトップはなかなかのアイデアマンで、数多あるこの種の企業の中では、群を抜いたユニークな提案を世に問いかけ続けています。自転車の放置や氾濫を避けるために、シェア化を進める仕組みに続き、放置自転車の根絶に向けて新たなアイデア(スマートキー構想)を生み出し、特許申請をする構えです。この日は全国の地方自治体に働きかける手立てを探りました。元情報産業の幹部やらコンサルタント系企業の中堅社員らとも合流し、これからの展開に向けて、知恵を結集しました。この企業は、かつて国会の自転車振興議連に働きかけ、オリンピックに向けての画期的な街づくりの一翼を担うべく、あれこれと政策提案をしたこともあります。この分野でも私は力を注ぐ決意です▼翌日の朝には、国交省の海事局に行き、局長や審議官と瀬戸内海・播磨灘の平水化に向けての課題を話し合いました。播磨灘は航海の難所が少なからずあり、普通の仕様を持った船では支障をきたすため、それを乗り越えるための方策が求められています。これは、今私が取り組んでいる瀬戸内海の観光振興、とりわけインバウンド(外国人観光客の訪問)に向けて欠かせぬものだけに、真剣にあるべき姿を模索しているところです。瀬戸内海観光振興は、私のライフワークの一つになろうとしています。午後からは、これまた私が顧問を務めるAKR(オール小売り連合)の幹部の皆さんと一緒に、公明党税調の斎藤鉄夫会長始め兵庫県の3人の衆議院議員に、消費税増税に際しての軽減税率導入についての陳情をしました。大型スーパーの進出で、街場の小さな市場は厳しい立場に追い込まれています。このため、小さな商店を束ねて、共同で仕入れ、共同で搬送をし、さらに共同で保険までかけて、損失を防ぎ、大型スーパーに対抗する仕組みを作っているのがAKRです。もとより小さな商店経営者の集まりなので、消費税増税は影響をもろに受けます。増税が避けられず、消費者が望むのなら軽減税率導入はやむを得ないにしても、ぜひ外税方式を継続してほしいというのが、陳情の最大のポイントでした。これについては公明党の中でも議論が分かれている様子が明らかでした。これからの与党内の意見集約の中でこの日の陳情の趣旨をぜひとも生かしてほしいというのが私の強い思いです▼このほかにも、自民党の中でたった一人、安保法制に反対している村上誠一郎衆議院議員のところにも立ち寄り、意見交換をしてきました。彼は公明党がなぜ賛成するのか疑問だというので、私は今回の安保法制は憲法9条のぎりぎり枠内だとの持論を述べておきました。これはまた別の機会に紹介したいと思います。以上のような多方面の分野で、私は元衆議院議員として、現役時代とはまた別な角度から尽力していきます。(2015・8・26)

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日本の夏の最前線を行きつ戻りつ

日本の夏というと、様々なものを人それぞれに思い出されるでしょう。花火、夕涼み、海水浴、高校野球……。私もそれぞれに深い思い入れがあります。今は早朝のジョギングと体操です。今朝なんかは4時過ぎに起きて,家を5時半にスタートして姫路城周辺を二周、5キロ走った後、姫山公園でラジオ体操を地域の人たち100人くらいの方々とやりました。ラジオから聞こえてくる巡回ラジオ体操,今朝は岡山県倉敷市からでした。日本中の元気な老人や若者がこうやってラジオ体操をしてるんだろうな、と思うと一段と力が漲ってくるから不思議です▼夏の風物詩の一つはお盆の墓参り。今年も姫路市の北部にある夢前町莇野にある先祖伝来の墓場に行きました。ここは里山の一角にありますが、御多分に漏れず二つの悩みがあります。一つは、杉の木の倒木という問題、もう一つは、鹿が出没して田畑を荒らすということです。倒木はいつなんどき、暴風雨の訪れとともに押し流されて来るやも知れません。現にこの夏の初めに一本の杉が突然に倒れ、近くの田を損壊してしまいました。一方、鹿の襲来を防ぐために金網を張り巡らしていますが、その効力たるや知れているようです。この夏の墓参りは例年と大いに違って、苦情を関係者から聞かされることになりました▼もう一つは、盆踊りです。現役の議員たちは地方議員も国会議員も顔を出す習慣があり、多い人はひと夏に100会場ぐらい回ると聞きます。今年は私は自治会長として所属している連合自治会の小学校区の催しに挑みました。朝7時からテント張りやら、運動場中央の屋台つくりなどの準備です。これまで出来上がったところに行くだけだったのが、下準備の苦労が身に沁みました。私は裸電球に提灯をぶら下げるお手伝いが関の山でしたが、老若の男衆による一連の手作業の見事さには目を見張りました。大げさに言うと、日本文化の粋の一端を垣間見た思いです。日本三大盆踊りは、一に徳島の阿波踊り,二に、岐阜・郡上八幡の郡上踊り、三に冨山・八尾のおわら風の盆などと、私は勝手に決めています。それぞれ南米・ブラジルのサンバ風の軽快さ、日本・念仏の陰々滅々とした響き、中国・胡弓のもの悲しさの雰囲気が強く出ているなどと勝手な解説にうつつを抜かしていた昔が懐かしいです▼盆踊りには浴衣を着て参加せよとの連合自治会長のお達しを聞き流し、普通の姿で場内散策をし、お茶を濁したというか、ビールで喉を潤した私には、終了後に大きな仕事が待っていました。毎年夏休みに防犯パトロールを自治会ごとに中学校区全域を回り持ちして担当することになっているのですが、たまたま今年は八月十五日の夜に私のところに順番が回ってきたのです。自転車で九時から一時間半ほど3人で、地域の要所要所を見て回りました。昨今は凶暴な事件がわが地域でも発生しています。自転車で見て回ったところで、いざという場合には何の役にも立たないだろうな、と思いつつ任務を型通り果たしました。自治会長の仕事はまことに幅広く多岐にわたっていて、一年生としては戸惑うばかりです。こういうことにも手を染めず、私は天下国家を論じていたわけです。遅ればせながらいい勉強になりますというと、どこからかお叱りの声が聞こえてくるようです。(2015・8・18)

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月一の異業種交流に新たな友を招く喜び

暑い日が続きます。お元気でしょうか。暑さを吹き飛ばすようなお話を一つ。私は友人と組んで異業種交流の会を毎月一回やってきています。すでに15回ほどになるでしょうか。様々な職種の方々に来てもらって、わいわいガヤガヤと楽しいひと時を過ごすのは楽しいものです。食べ物は自分で適当に買ってくる、いわゆる持ち寄り。飲み物は基本的には主催者(私の友人で、場所も彼のスタジオ風事務所を借りている)がワインを用意するというもので、会費は2000円というのがルールです。自分が飲みたいものがあれば、持ってきても構いません。私はといいますと、会の進行役でしょうか。自分としては、毎回新しい友人を連れてくるようにと心がけています。仕事の上で知り合った人を中心に選択してお呼びするのです▼ある時、私の側は9人ほどが集まりました(彼の友人は5人ほどだったでしょうか)。三宮駅前で待ち合わせするのですが、これが楽しい。私は全員を知っているけど、それぞれはまったく初めてです。合流地点には5人が集まりました(他の人は直行)。単純に名刺交換するというのでは芸がありません。それぞれを他の人たちが職業をあてっこするのです。その時は、国家公務員の女性。社会保険労務士の男性、女性経営者。大学運動部の女性コーチ。女性の新聞記者など多士済済。ふつうは簡単には当たりませんが、偶々話す中で「ゆう活」をしてきたって、口走ったことから、公務員だとバレたり、スーツに付けたボタンが士業のそれだと分かるなど、なかなか面白かったです。尤も、そんなことで喜ぶのは私ぐらいかもしれませんが▼語らいで楽しいのは、異業種の人たちの日常が伺えることです。私の呼んでくる人は、前掲のような人に加えて弁護士や医者など硬い職業が多いのですが、友人の方は、モデル、歌手、エステの先生、劇場関係者など柔らかめの職業の方が殆ど。日頃耳にしないこともこの時ばかりは聞けます。通常、我々のような世代が同窓会で集まると、健康や孫の話、年金の話などが多いというのが専らですが、この場ではそういうことは殆ど出てきません▼私がこういう会を共催するに至っての利点はいくつか挙げられます。一つは、新たな友人ができたといっても、二人だけで飲み食いするのは色んな意味で億劫になりがちですが、複数の人と一緒だと相手も喜び、一挙両得です。友人を作って親交を温める場として最適だということです。二つ目は、私の場合、かつての職業柄か、どうしても”ひとり芝居”になりがちです。それを聞き役に回ることができるということも魅力です。三つは、今やってる仕事(環境、観光、中小企業の支援などの顧問)の上での付き合い先を、一時だけのものとせず、永続させることができる点です。この会だけではなく、友人が先行させて作られた会にも常連として参加していますが、ここでは、ゲストを招いて毎回ミニ講演があるなど工夫が施されています。最近は、今回は誰を連れていくか、ということを考えながら新しい人の発掘に力を注いでいるぐらいです。人とひととの絆を深め広げることがどんなに大事か、改めて痛感する日々です。(2015・8・12)

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「人口減」跳ね返し市川町に活力漲らせる

日頃の人間関係がいかに大事かが今更ながらわかりました。四日に告示された兵庫県神崎郡市川町の町議会議員選挙の支援に行った時のことです。姫路市内で会社を経営する友人から、市川町内に住む関係先を4軒ほど紹介して貰いました。そうすると、4軒すべての方から「いつも社長にはお世話になっています。わかりました。応援します」「社長は最近会わないけど、元気されていますか。よろしくお伝えください。選挙は応援しますから」などとうれしい返事が返ってきたのです。その友人とは、左官業関係の資材を扱うF商事の社長です。若い時に会社を興しました。バブル時には200人ほどの関係者を集めて北陸の温泉旅館で盛大に慰安旅行をしたりするなど羽振りが良かったものです。今はそれほどではありませんが、東北の大震災の復興に貢献したい、と彼は単身仙台に移り住み、新たな会社を立ち上げて二年ほどの間も頑張るなど、花も実もある頼もしい男です。日頃から、公明党にも理解を深めてくれており、二つ返事でいつも公明党支援に尽力してくれます。丁寧に深い人間関係を作っているとみえて、初めてお会いする私にも彼が紹介してくれる相手はいつもさわやかな応対をしてくれます▼市川町は、あの増田寛也さんの『地方消滅』という本の中で、「全国市区町村別の将来推計人口」が大幅に減る地域として挙げられています。2040年には、若年女性が、2010年の1313人から594人に減り、総人口が13288人から7809人に、54.7%減るというのです。なんとか町おこしをして、活発な町にしたいとの希望を地域住民は皆持っているはず。私も、いま商工会関係者から相談を受けています。まだ公表するには至っていませんが、旧国鉄と町との関係に依拠して何か新たなことができないかとの内容です。ぜひともお役に立ちたいと思っています▼この町は、かの有名な脚本家・橋本忍さんの出身地です。既に彼の業績を讃える記念館もあるのですが、私が目を付けるべきだと思うのは、彼が元国鉄マンだったということです。私の従兄でやはり国鉄マンだった故北後征雄(新幹線内のトンネル工事設計の専門家。コンクリートの研究で博士号を取得)は、橋本さんが自分と同じ中央鉄道学園(国鉄の幹部養成学校)の出身であることを生涯の誇りの一つにしていました。彼は生前に私に対して橋本忍さんの著作を読むようにと、勧めてくれたものです。脚本家という仕事は地味ですが、この人は池田大作先生の書かれた『小説人間革命』の映画化にあたって脚本を書いた人として、とても知られています。「橋本忍氏→旧国鉄」の線で市川町を一躍元気の出る町にするべく頑張りたいというのが私の新たな夢の一つになってきました▼七日の夜には同町の谷という地域で開かれた「中岡てるあき」候補の個人演説会に行ってきました。今回の候補者13人の中で最も若い57歳の中岡氏は、35年間町役場の中で仕事をしてきただけあって、町政に熟知しており、町内有権者の期待度も高いものがあります。私はそうしたことを踏まえて、中岡氏を当選させ,彼を先頭にしてこの町に力強い息吹きをみなぎらせる闘いに取り組もうと訴えました。開会前に彼の小中学校時代の友人で文化農場を経営する小野康裕氏とお会いしました。雑談の中で彼がナチュラリスト(あるいはプラントハンターとも言われる)の荻巣樹徳氏を良く知っていることがわかりました。荻巣さんは私が尊敬する友人です。驚くべき奇遇です。思わず彼に握手を求めてしまうほど感激しました。小野さんは友人代表として,心温まる応援演説をしてくれました。私はこの新たな出会いに確かなる手ごたえを感じつつ、幸せ感いっぱいで会場の谷公民館を後にすることができたのです。(2015・8・8)

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淡路島から中国へ、福田元総理の優しい眼差し

アジア太平洋フォーラム淡路会議。淡路島にあるウエスティンホテルの「淡路夢舞台国際会議場」で、今年が16回目になる国際シンポジウムが、さる7月31日と8月1日の二日間にわたって開かれました。これまで参加出来なかったのですが、今年は初めて一日目にだけ参加しました。その理由は、福田康夫元総理が「アジアの未来」というタイトルで基調講演をされるというからです。福田さんには忘れられぬ思い出がいくつかあります。最大のものは、彼が官房長官の時に、私のいわゆる政経パーティにゲストとして参加してもらったことです。本来は経済評論家の大前研一さんが来る予定だったのに、一週間ほど前にドタキャンになり、急きょ福田さんがピンチヒッターに出てくれました。とても助かりました。しかも開会前に、手柄山にある戦没者慰霊塔にも訪問をしてくれました。ここは先の大戦時に無差別空襲で亡くなられた御霊を祭ってあるところで、わたしは靖国神社とはまた違った意味で大変に重要な場所であるとして、福田さんに、一度見てほしいとお願いしていたのです。ともあれ、わざわざ足を運んでいただいたことに感激をしたものです。おかげでパーティはかえって盛り上がり、面目を保てました▼福田さんの不思議なところは首相時よりも官房長官の時のほうがいい味を出しておられたように、今また元総理として八面六臂の活躍ぶりであるということです。恐らくその性格が当事者として物事をぐいぐい進めるというよりも、二番手、三番手としての脇役が向いておられるのでしょう。久方ぶりにお出会いしましたが、変わらぬ元気なご様子でした。「中国によく行っておられるようですね」と水を向けると「まあ、時々ね」と。共通の親しい女性記者が今北京支局にいるので、「行かれると彼女に会われるのでしょ」と返しても、むっつりと返事なし。私に対して「いま何してるの」「選挙もう出ないの」と話題を変えられるのです。「今は淡路島を起点に瀬戸内海にインバウンドする一大プロジェクトを手掛けています」「引退しましたから、選挙はもう出ません」というと、初めてにっこり。「お互い、定年後が最高だね」とのシグナルに見えました。カメラには一緒に収まってくれたものの、いまいち愛想がないというか、サービス精神に欠けられる。かつて総理に出られるに際して、あれだけ水面下でバックアップしたのに、とつい愚痴も出そうになりました▼講演はなかなかに聴かせました。彼は知る人ぞ知る親中国派です。対中批判のまなざしに対しては、かつて1980年代の日本を思い起こせばいい、と。あの頃は「日本脅威」論が専らだったが、今では遠い昔のことではないですか、と。だから今の「中国脅威」論も、やがて……というわけです。周りの国々があれこれ騒ぐほど、当事国は気にしないものなんです、とも。また、習近平主席については、人柄はいいし、国民的人気はかなり高いものがあると手放しの褒めようでした。南シナ海をめぐる一連の問題については「中国は反省していると思う。少し時間がかかるが、脅威を感じない方向で解決する可能性はあります」とも。また、「13億人もの人口を擁する国の統治の困難さは、日本の比ではない、同情を持って見てあげないといけないと思う」とも言われていました。聴いていてなるほどと思わせる説得力十分のものではありました▼日本と中国や、韓国との「歴史認識」については、「戦後70年」の今日いまだもって解決していないのは、残念としかいいようがない、との認識を示す一方、もうそろそろ”打ち止めにする必要”があると強調されたのは印象に残りました。こういう生々しい内外の重要政治課題について喋っても、安倍さんについてはまったく触れないことなど、一向に生臭さが漂わないところはこの人の人徳でしょうか。かつて、私は福田さんの父上である福田赳夫さんの流れを汲む政治家、学者が集まる「新学而会」に、中嶋嶺雄先生(元東京外語大学長、前秋田国際教養大学学長で私の学問上の師)のご縁で所属していました。政治家では、安倍さんのほかに、塩川正十郎、伊吹文明氏らが常連。学者では、中嶋先生のほかに、岡崎久彦、木村汎、西原正さんらが加わっていました。ある時に、福田さんに「先生も参加されないのですか」と訊いたところ、「古いひとばっかりだね。僕はいいよ」とにべもなかったことを思い起こします。ここに集まっていた人たちは、嫌中派とは言わぬまでも、「中国何するものぞ」との気概あふれる人たちが多かったのは事実です。中国、韓国との関係が極めて大事な局面になってくれば来るほど、福田さんの出番が多くなるような気がします。総理時代にやり残されたことを思い切りやってほしいものだと、しみじみ思った次第です。(2015・8・4)

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ファゴットやチェロ、オペラを聴いて涼む

一年で最も暑い日々がやってきています。二十四節気のちょうど半分にあたる十二節気は、その名もずばり大暑。うだるような暑さの中で、このところ様々な集まりに参加しました。一つ目は、サイバー京都研究所の開設にともなう記念のコンサートと記念パーティです。この研究所は、京都情報大学院大学と京都府が包括協定を結んでの連携のもと、けいはんなオープンイノベーションセンター(KICK)に作られたもの。この施設からICT分野の技術や経験を通じて、国際化の推進、人材育成や街づくりに貢献したい、としています。実はこの研究所の所長に就任したのが、私の中学、高校を通じての友人である木戸出正継氏です。彼は奈良先端科学技術大学の名誉教授で、この分野の第一人者のひとりです。京都大学出身で大手家電の研究所研究員を経て、けいはんな学術研究都市にある同大にやってきた学者です。私はこの分野は殆ど明るくないのですが、彼と会ってるとなんだか難しいコンピューターのことも分かるような錯覚にとらわれるのは不思議です▼その彼が考えたわけではないと思いますが、出発にあたってのコンサート「ファゴットとチェロの調べ」には感動しました。ドイツを中心に世界各地で活躍され、日本の「3・11後」に際しても度々激励に駆けつけてきてくれたエーデルマン夫妻の演奏を聴けるとは。この際、京都へ行くなら聴く方も夫婦で、と思いましたが、「暑い時季に、暑い京都には、とても」という家人を説得できず、結局”おひとり様”で、という羽目になりました。それでも久方ぶりに生で聴くクラシックの演奏はこころ和むものがあり、一陣の風以上の涼を味わうことが出来たのは収穫でした。加えて、パーティでは彼の京大時代の友人たちと一緒に、和気あいあいの時間を過ごせ、幸せな気分に浸れました。近くけいはんな学園都市にお邪魔して色々と勉強をするつもりにもなりました▼もう一つは、神戸に住む年配の方々で構成される「人生悠々倶楽部」の催しに参加したことです。これは、元NHKの記者で私の高校の大先輩である今村隆さんが主宰するもので、様々な方をゲストに招き、講演を聴いたり、演奏を楽しんだりしているとのことです。今回は、78歳のオペラ歌手田中公道さんのテノールの歌声を聴く会でした。恥ずかしながらこれまで田中さんの存在を知らずにいた私は、彼の迫力あふれる凄まじいまでの声にしびれました。改めて感じたのは、オペラの歌というのは求愛、失恋など殆どすべてが男女の愛を表現したものばかり。歌詞がわかってるわけではなく、解説を聴いてのことだけなのですが、少々辟易してしまうのは歳の故でしょうか。わたくし的には日本の唱歌の方がこころにストンと落ちました▼演奏がひとしきり終わって、アンコールが繰り返されました。今村さんとは旧知のようで、あれこれと注文されるのにはこちらがハラハラしましたが、まったく意に介さず次々と美声を張り上げてサービスしてくれたのには感心しました。なかでも最後に歌ってくれた歌は、「いつかは私にも死ぬ時がくるだろう」との出だしで始まるもので、高齢の歌手の声によるものだけに、大いにこころに染み込みました。終演後にも記念撮影に応じてくれたり、様々な質問にも答えてくれました。私は、健康を維持するための努力などについて訊きましたが、「数多の薬のお世話になっている」といわれるので、つい「60過ぎたら薬は飲まない」という友人の医者の話をしてしまいました。してしまってから、余分なことだったと後悔しましたが、遅かったようです。「大丈夫です。十分気をつけながらお医者さんと相談の上ですから」との返事が返ってきました。夜寝るときは必ず首にタオルを巻き、冷やさないようにしているとか、あれこれとお話しいただきました。ピアニストの奥様がずっと演奏も一緒だということなども、この人の活躍の秘訣なのだろうと思ったものです。ともあれ、暑いさなかに大いに気分がさわやかになったひと時でした。(2015・7・30)

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淡路島から瀬戸内海へ、日本のこころを求める

この20日には、私が顧問を務める船会社の主催で、淡路島ぶらり一周の船旅が始まりました。この夏の日曜日を中心に10回ほど展開されるもので、先日メディア各社を対象に試乗会(ほかに一般公募客も参加)をしたところ絶賛を博し、新聞各紙やテレビで報道されましたのでご存知かもしれません。明石港を出発し、津名港、洲本港、福良港と三か所に立ち寄って、それぞれの地で二時間ほど観光をして回ろうという企画です。参加した記者(夕刊フジ紙)は、「明石海峡大橋を真下から見上げる眺めは絶景で、減速してもらえるのは嬉しい配慮でした」「ツアーで巡るスポットは、淡路島の魅力に特化したところが多く、日帰りにも関わらず淡路島の魅力を満喫できる旅だった」との感想を寄せてくれました。去年は小豆島への船旅を行ったり、但馬地域のジオパークとの交流企画をうったり、兵庫県当局や淡路島観光協会などのご支援も得ながら、この会社は様々な試行錯誤をしてきました▼そうした試みをするなかで、今私の想いは瀬戸内海への内外の観光客を呼び集める構想へと集約されつつあります。先日も淡路島のホテルで、パシフィックコンサルタンツという企業のコンサルタントと瀬戸内海の観光振興策をめぐって意見交換をしました。これまでの瀬戸内海観光がややもすれば、広島、愛媛、香川、岡山の瀬戸内中心部4県に偏って展開されてきており、兵庫県、山口県あるいは九州の大分県などが埒外に追いやられてきていた傾向があるという点などで一致しました。その結果として、これからは、東、中央、西と瀬戸内海を三つのエリアに分けて細かな観光計画を立てる必要があり、とりわけ東の入り口に位置する淡路島をその突破口にしていこうということになったのです。関西国際空港に降り立った外国人客を、船で淡路島に呼び寄せ、さらに小豆島や直島、豊島など瀬戸内諸島を島めぐりするという企画は面白く魅力的と思いませんか▼こういう企画は、実は一般社団法人「瀬戸内海、創造の海へ」という組織体で実行に移そうとしています。代表には中西進先生についていただきたいと念願しています。万葉集を専門とする国文学者です。かねてより「国生みの島・淡路島」に強い関心を持っておられ、瀬戸内海に日本の原風景を見出すことで、現代日本人が忘れてしまっているこころを取り戻そうとされています。個人的にも私はすっかり中西先生の魅力に取りつかれてしまっています▼今発売中の、総合雑誌『潮』八月号の「シリーズ企画 戦後70年を問う」に、「詩心と哲学こそが国を強くする」という小論文を寄せておられます。この論文における同先生の「日本の政治家は今こそ詩心と哲学の大切さを自覚してほしい。武力に頼る大国主義ではなく、哲学の力、文学の力、詩の力こそがこの国を最も強くするのだ」という結論に至るまでの指摘はきわめて説得力に富んでいます。とりわけ、「現代日本人の日本理解があまりにも浅薄なことに危惧を抱くのである」という箇所や、「日本はアジアの文明をすべて受け取って拒否せず、たくましい創造性を発揮して発展させてきた。その日本文明が、アメリカ型グローバリズムより劣っているという見立ては明らかに誤りである」というくだりがそれです。日本文明とくにその中核をなす日本人のこころを探す旅を、瀬戸内海に求めようという志が私の体内で一段と燃えてきました。(2015・7・23)

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