【65】学者と政治家の勉強会で安倍首相と一緒にー平成18年(2006年)❾

 

●改正 教育基本法がついに成立

安倍首相の誕生と共にこれまでの懸案だった課題が一気に進む気配を見せました。二つ大きなものが実現しました。一つは教育基本法の改正です。もう一つは防衛庁の防衛省への昇格です。前者については、「教育の憲法」と見られるものだけに、公明党は慎重の上にも慎重を期して取り組みました。自公両党で3年の間に70回にも及ぶ協議が行われたのです。太田昭宏、斎藤鉄夫の二人を中心に熱心な議論が展開されたことを横目で見ていてつくづくその粘り腰に関心したものです。

最大の焦点になったのは 「愛国心」をどう表記するかでした。国家主義的なものに対する強い憧憬の念を抱く勢力からの要請をどうかわすか。随分と苦労があったようです。結果として、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し」という表現に落ち着きました。同時に、「個人の尊厳」「人格の完成」「憲法の精神にのっとり」などといった基本理念は堅持しながら、「生涯学習」「家庭教育」「幼児期教育」などの時代の変化に対応した新たな項目を盛り込むことが出来たのです。

民主党は、対案を出しながらも、衆議院特別委員会でのその審議を拒否しました。結果的に自らの考え方が込められた法案の議論を放棄するという無責任な態度に終わったのです。中道主義の公明党が存在したからこそ、国家主義的なものへの歯止めをかけることが出来たものと、自負したいと思います。

●防衛庁の防衛省への移行も実現

防衛庁の省移行問題は、旧来的な革新勢力は勿論、普通の市民の間でも、「軍事大国」への変身の契機になるのではないかとの懸念がありました。これを払拭するために、国会での審議を通じて、専守防衛、文民統制、非核三原則などの防衛政策の基本は揺るがないことを確認しました。そして、自衛隊の「国際平和協力活動」を「付随的任務」から「本来的任務」へと、格上げすることができたのです。

この問題でも民主党は最終的に賛成に回ったものの、衆議院本会議採決では、6人が欠席。参議院本会議でも7人が採決を棄権・欠席するなど、基本政策での党内不一致を露わにしました。

私はこの時まで複数回、目黒の防衛研究所で自衛隊の幹部候補生を前に、公明党の防衛政策を講じた(年一回各党並びで)ことがありました。忘れられないのは、私が約1時間足らず喋った後で、質問ありますかと訊いた時のことです。一人の隊員(二佐だったと思います)が、立ち上がって「公明党の防衛政策はわかりました。ですが、政治家の皆さんは一体いつになったら、我々自衛隊のことを憲法においてきちっと位置付けしてくれるのですか」と真剣な口調で述べられたのです。痛烈なインパクトでした。私が憲法9条3項に自衛隊の存在を加える規定を置くことにこだわってきたことの一因がここにあります。

防衛庁から防衛省になっても、肝心の憲法上の位置づけは、未だになされていないままです。一歩前進はしたものの、本質的な課題は曖昧なままと言わざるをえないのです。

●「新学而会」という名の勉強会で

私の学問上の師が中嶋嶺雄先生(現代中国論専攻=東京外大学長を経て秋田国際教養大学長兼理事長)であることは幾度も触れてきました。その中嶋先生がある時、「赤松君、学者仲間を中心に、二ヶ月に一回ほどのペースで勉強会をやってるんだけど、君も参加するかい」と声をかけてくださいました。私は即座に「私で宜しければ、お願いします」とお答えしました。この会は、論語の「学而時習之」(学びて時に之を習う)から着想を得た、「学而会」という既成の勉強会の新版であることから、「新学而会」と名付けられたと聞きました。

中嶋先生を幹事役にして、岡崎久彦、市村真一、鳥居泰彦、木村汎、西原正、神谷不二、袴田茂樹氏ら錚々たる学者の皆さんと、政治家では塩川正十郎さんだけが常連でした。その後、伊吹文明、町村信孝、安倍晋三、小池百合子さんらも時に応じて参加されていました。時々の政治課題やら経済問題などのトピックをテーマに報告者がリポートし、その後にあれこれ議論するという形式でした。私も一度だけ、憲法改正論議の現状について報告したことがありますが、普段は専ら聞き役に徹していたものです。

正式に会が始まる前の懇談の場では、あたかも陽気な司会者のように座を和ませる役割を果たしました。岡崎さんは市川元書記長と国会で丁々発止の質疑応答をした間柄。鳥居さんは慶應の塾長経験者で私の級友小此木政夫君の奥方が元秘書をしていました。木村さんは北大時代に私が公明新聞に原稿を依頼したものの断られたことがあるなどと、それぞれの皆さんとそれなりの関係がありました。この会を通じて更に関係が深まった方々もいます。西原さんは防大の校長でしたから、卒業式への参加をきっかけに親しくさせていただきました。神谷さんからは創価学会のことを聞かせて欲しいとの注文を受けて、二人だけで会食懇談したこともあります。

政治家では、塩川さんとは、『アジア・オープンフォーラム』のメンバーとして台湾始め日本各地に同道したものです。無類の読書家で、ドナルド・キーンの『明治天皇』上下に深く感銘したと言われ、是非一読をと贈呈していただいたことは忘れられません。安倍さんは官房長官当時から時々顔を出していました。私とは当選した年が平成5年で同じだったのですが、委員会や海外視察などで一緒になる機会がそれまで全くありませんでした。この会の他の政治家のメンバーと私は伊吹文明さんを筆頭に昵懇だったのですが、安倍さんとだけはご縁がなかったのです。

ある右翼系の団体主催の会に顔を出したときのこと。安倍さんと舞台袖で行き違った際に「こんなところへ来てて、いいんですか」と声をかけられたことを明確に覚えています。私はどんな団体でも呼ばれたら、なるべく顔をだすことにしていました。安倍さんが「こんなところ」と言った団体はおよそ〝反学会、アンチ公明党〟を旗幟鮮明にした集団だったのでしょう。お門違いの人間を発見して、わざわざ注告してくれる安倍さんは、中々親切な人だとの印象を強く持ちました。(2020-7- 9公開 つづく)

 

 

 

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