《2》パラリンピックと自民党総裁選びそして立憲民主党/9-6

東京パラリンピックの中継をテレビで見たり、新聞で読むうちに、一応「健常者」である私は様々なことを感じた。ひとことで「障がい」といってもまことに数多く、多種多様であることへの驚きに始まり、どの競技者もそれらのハンディを全くと言っていいほど気にせず(そう見えた)、堂々と力強く戦っていたことなど、感嘆し、驚嘆し、羨望も勿論覚えた。いわゆる五体満足の身体でなくとも、今ある身体の全部位が頑健でありさえすれば、どんなことにも挑めるものだと分かった思いがした(ただし、こころの病いの場合は除かざるを得ないだろうが)▲75歳になってからというもの、身体のあちこちが不都合をきたしてきた。〝足腰立たない〟状態ではないまでも、四肢に止まらず、どの部位を動かすにつけても痛みを感じる。かつて歳はとりたくないもの、との言葉を吐く先輩諸氏を見聞きするにつけ、同情を禁じ得なかった自分が愛おしい。目がかなり近眼で、耳は片方が聞こえず、歯に部分入れ歯が入っている自分を〝障がい者〟だと規定して、一歩近づいたと満足していたことを思うと、恥ずかしい。パラリンピックを見ていて、どちらが本当の障がい者か分からない様に思われた▲そんな中で、毎日新聞紙上(8-29付け)で、元自民党総裁だった谷垣禎一さんの記事(『迫る「これが障害者」体で知った』)を読んだ。この人は同じ昭和20年生まれ(但し早生まれだから学年的には一つ上)とあって、現役時代にそれなりに親しい思いを持って接してきたが、自転車事故で頸髄を損傷するという不幸に直面された。だが、その辺りについて「(障害を)割り切ったわけではないけれど、割り切るよりしょうがない」と、元気に生きておられる姿には勇気をいただく。彼がもし健在なら、優しくて品格あるクレバーな背筋のスッキリした、いい総理大臣になったかも、と勝手に思った▲それから一週間を経ずして、菅義偉首相が次の自民党総裁選挙に出馬しないと、表明した。これには、実はあまり私は驚かなかった。後出しジャンケンよろしく、ああだった、こうも思ったとは言わないが、その予感がしていた。この一年の推移、とりわけコロナ禍対応の無惨さは、およそ褒められたものではなかったと、言わざるをえない。勿論、「小さな声を聞く党・公明党」に身を寄せ続けた姿勢など評価するのにやぶさかではないものの、全体像評価は辛口になってしまう。退任にいたる数日間は、打つ手が次々裏目に出て、まるで「秋の日のつるべ落とし」のように、その信頼感は失われていった▲さて、総裁選のゆくえはどうなるか。これで、恐らく自民党の惨敗はなくなったと、敢えて楽観的予測をしてしまう。総裁選挙直後には支持率がそれなりに高くなるのは過去の歴史が証明しているからだ。安倍政権の負の遺産を全部抱えたまま菅首相が姿を消すからと言って、決して自民党が変わるわけではないのだが。自民党ひとり総裁選挙で騒ぐ中で、世間の耳目は集中し、多くの人々はさも変わるはずと錯覚する。そこで野党第一党の立憲民主党の振る舞いが気にかかる。この場面、指を加えて見守るのみか、外野席から騒いでいるだけでは、結果は目に見えている。代表選をせよと言わないまでも、それに代わる動きを見せて欲しい。せめて自民党総裁候補と枝野氏ら執行部との対談、対論を申し込んでみてはどうだろうか。(2021-9-6)

 

 

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