《21》日本の今はこんなものかー新聞各紙読み比べ/1-2

 元旦付けの全国紙を読み比べてみる。いつの頃からか習慣になった。切り口は4つ。一面トップ記事、特集企画記事、社説、コラムである。それらを読み手として、感じるものがあったかどうかを単純に追う。新年の楽しみである。読み比べてみると、なんだか世界と日本の今が分かったような錯覚に陥ることが出来るから面白い。まず、1面トップ記事を特集にリンクさせていない風に見えるのは「読売」だけ。あとは全部特集の一回分をなしている。「読売」は、「米高速炉計画 日本参加へ」のみだしで、米国における次世代の高速炉開発計画に日本が参加するというニュースだ。温暖化への対応政策と将来の原子力市場で世界をリードしたい米国と「もんじゅ」の廃炉が決まり、活路を求めていた日本との利害が一致したというわけである。何はともあれ、新年号の1面は企画記事でなく、ニュースを追うところに「読売」らしさを見る◆特集企画をトップ記事に持ってくる手法をとった他の4紙の中で注目されるのは、「日経」の「成長の未来図」。「成長の鈍化が格差を広げ、人々の不満の高まりが民主主義の土台まで揺さぶり始めた」として、資本主義が戦前の大恐慌期、戦後の冷戦期に次ぐ三回目の危機にあると位置付け、資本主義を創り直そうとする試みを追う。ただ、世界が大きな岐路に立つとの見立ては誰しも共通するが、「脱成長」との選択肢までは視野に収めてはいないはず。「日経」の特集連載に、最後まで興味を持続させたい。「毎日」は、31日にスタートさせた「オシント新時代」。ロシアの情報改ざん工作にメスを入れる。「ビッグデータ時代の情報安全保障」を追う中で「主権回復」を問う「産経」は、AI時代の「情報」をめぐる動きに着目している。「未来予想図 ともに歩もう」の見出しの「朝日」は、この新聞社らしく全体に目配りするものの、焦点が定まっていない風に見えてしまうが、どう今後展開させるか見守りたい◆社説は当然ながら、それぞれの社風を体現する。目立つのは「産経」。論説委員長の署名入りで1面左肩に「さらば『おめでたい憲法』よ」ときた。読まずとも中身はわかる。対立する「朝日」は、〝奥ゆかしく〟11面に「憲法75年の年明けに」とのタイトルで「データの大海で人権を守る」の見出し。「何より個人の尊重に軸足を置き、力ある者らの抑制と均衡を探っていかなければならない」との末尾の結論で、言いたいことは分かる。「日経」の「資本主義を鍛え直す年にしよう」との論考は、この社らしいものだが、つい、問われているのは、「新しい社会主義」ではないのか、とのひねくれ心が頭をもたげてくる。「読売」の「『平和の方法』と行動が問われる」と、「毎日」の「つなぎ合う力が試される」の二つの見出しの中のキーワードには注目させる力がある。ただし、中身は共にいささか平凡。双方ともに、結論を参議院選の持ってくるところに、物足りなさを感じざるをえない◆最後はコラム。新聞記者の文章力が問われ、試される舞台だけに各社とも当然ながら力を注ぐ。書き手の文章の背後に潜む知識量と構想力が優劣を決める。「朝日」の天声人語、「読売」の編集手帳にはかつて一世風靡のコラムニストがいて、私も文章修行のお手本にしたものだし、「産経抄」では文章力を超えた構想力を学ばせてもらったこともある。新年冒頭のコラムは、干支に因むものや正月の風物に流れるのが定番だが、今年のもので出色は「毎日」の「余録」だと思えた。今年2022年が、毎日新聞が創刊された1872年から150年になり、ちょうど真ん中の折り返し点が1947年であり、新憲法施行と重なることに着眼している。これは、私が昨年末に出版した評論集『77年の興亡』の発想に、酷似する。敗戦と憲法発布という2年のタイムラグはあるものの、明治維新から今日までの近代日本を振り返る視点は共通する。実は、今年の元旦号に「77」なるキー数字が出て来ないかどうか注目していたが、今のところ、発見し得てない。今年も、様々な評論を追いつつ、自分もあれこれ書くことになるが、問題を掘り下げて考えることに力点をおきたい。ありきたりの問題提起で終わるのではなく、ではどうする、どうしたいのかを深く考えて、明日に少しでも繋がる論考を発信していきたい。(2022-1-2)

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