さる4-2の毎日新聞の有料サイト版「政治プレミア」での〈宮家邦彦の公開情報深読み〉で、外交評論家の同氏(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)が、私の『77年の興亡ー価値観の対立を追って』を取り上げていた。ウクライナへのロシアの侵略についての英国『エコノミスト』誌の「分析ユニット」と抱き合わせて論じてくれていたのだ。先に私が読書録ブログ「忙中本あり」において彼の『米中戦争』を論評したことへのお返しだと思われる。これまで20年余にわたって、読書録を書いてきたが、友人との間で、お互いの著書をそれぞれ論評するのは初の経験である。ここでは、宮家氏が投げかけていた問題提起について、考えてみたい◆宮家氏は結論部分で、「ウクライナ」後の世界を予測したうえで、「国際・国内政治での二極化が進む中、『中道』『中立』を貫徹することの難しさを暗示している」と述べている。その上で、私が著書において「従来通り、身をアメリカに寄せて、中国と張り合う道を選択することは、結局日本の自滅でしかないように、私には思えてならない」と書いたことについて、「果たしてそうなのか。正直、分からないことが多い」と結んでいる。日頃の彼のテレビの討論番組での言い回し、論考での強気発言からすると、ソフト口調に戸惑うが、恐らくは「老師」への遠慮ゆえかと思われる◆注意を要するのは、引用箇所は「ウクライナ情勢」勃発前の私の見立てであることだ。当時の私の国際情勢認識は、躍進する新興国家中国を、G7と称される資本主義国家群が包囲し、追い込むような事態が続くことは好ましくないとの判断が基底にあった。その訳は、日本が77年前に戦争に敗れ、7年間の占領を経て独立(沖縄は更に20年後)したとはいえ、不完全で歪な内実を持っていることへの抵抗感があるからだ。つまり、擬似被占領国家であるよりも、小さくとも独自の動きが出来る存在でありたいとの「願望」である。そこには、明治維新直後の日本が持っていた国家像への憧れめいたものがある◆ここでいう「小さくとも独自の動き」が、従来的な「対米従属」ではないことは言うまでもない。この選択が今直ちに出来るとは、私としても勿論思わない。せめて日本の敗戦から100年後(2045)辺りには、そうあって欲しいと思い続けてきた。いわゆる「1955年体制」は、国際政治の米ソ対決の構図が国内政治において、自社対決という〝代理戦争〟を意味した。上部構造的枠組みが崩壊した今となっても、一方の側に与し続けるのはおかしいとの判断である。いつまでも米国に付き従うだけでは、「独立日本」の名が廃るとの思いだ。つまり、政治思想における「中道」の外交選択は、基本的には「中立」志向におちつかざるをえないということになる。しかし、それには条件がある。(2022-4-6 一部修正 つづく)