【64】「民主主義を守り抜く」ための『国葬』に疑問──衆参議運委での質疑から/9-10

 安倍晋三元首相の狙撃死から2ヶ月。岸田首相が同元首相の「国葬」を閣議決定で決めて以来、日を追って反対の声が高まっている。さる8日に衆参議院運営委員会で開かれた同首相に対する質疑をテレビ中継で見て、やはり釈然としなかった。岸田首相が「国葬」を実施する理由について「安倍元首相を追悼するとともに、わが国は暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示す」と述べたことに引っ掛かるのだ◆「暴力に屈しない」ことと「民主主義を断固として守り抜く」ことはイコールであり、当然のことである。しかし、今回の事件では、厳密に言うと、安倍氏の言論、民主主義的行為を封じ込めるために、狙撃犯は暴力を行使したのではない。安倍氏と旧統一教会との親密な関係に恨みをぶつけたものと言えることは、報道で知る通りである。となると、岸田首相の言い方はすり替えめいて聞こえる。「〝反暴力〟を断じて守り抜く」と言うならわかる。「民主主義を守り抜く」といわれてもこの場合はふさわしくないと、聞こえたのは私だけだろうか◆民主主義を守ることと同義だからいいではないか、とはならない。まして、安倍元首相は、残念ながら国会で虚偽答弁を繰り返したことで知られる。いかに外交で得点を挙げ、現に諸外国のリーダーから追悼の意が寄せられようとも、次元を異にする。いわゆる「もり、かけ、さくら」の問題で多くの国民から批判の眼差しを向けられてきた人に「国葬」はふさわしくない。「国葬」なら、民主主義の基本に照らし、いささかの疑問をも持たれない人物でないとならないのではないか◆自民党の中から続々と旧統一教会との親密な関係にあった議員があらわになってきている。それこそ生前の安倍氏から弁明が聞きたかった。そんな状況のもとで、強引に「国葬」を推し進めるのは民主主義的ではない。衆議院議運委の質疑で山口議運委員長がしばしば立憲民主党の代表の質問を事前の申し合わせにそぐわないからと、制止していたのはいかにも異様に見えた。ルールだからと言われても、その関係を明らかにせずして何のための対首相質疑かと誰しも訝しく思ったはずである。今からでは遅いかもしれぬが、「国葬」は止めて、「自民党と国民有志葬」とにでもすべきである。と書いた直後に、岸田首相から元議員の私への『国葬招待状』が届いた。(2022-9-10)

 

 

 

 

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