【91】建国記念の日に考えた「戦後のかたち」/2-11

 

 日本の国の成り立ち、つまり建国の由来については曖昧模糊としている。『古事記』『日本書紀』といった奈良時代に作られた最古の歴史書によると、神の子孫としての天皇がその始まりで、神武天皇を持って初代とすることが書かれている。明治維新と共に、近代化の流れに入り、諸外国との交流が本格化するに伴い、国の基本としての国旗、国歌などが整えられていった。そんな中で、神武天皇が即位した紀元前660年1月1日を建国の日として、新暦の2月11日を「紀元節」として祝うことにした。だが、日本史の上で、実在したかどうか判明しない天皇も10数代いるとされるなど、今年は「紀元2683年」といわれてもいささか困惑する。私のように1945年(昭和20年)生まれには、遡ること5年前の1940年(昭和15年)に歌われた、🎵紀元は2600年、ああ一億の胸はなる〜、との歌詞が口をついてでてくる。恐らく親から聞いたか、1950年(昭和25年)ごろにラジオを通して聞いて覚えたに違いない◆以上に見たような、神代の昔の起源よりも、現代日本にふさわしいと私が思うのは、「2月11日」よりも、むしろ「4月28日」である。なぜか。1945年8月15日の天皇の「玉音放送」で戦闘停止となったあとも、ソ連の北方領土侵攻があり、最終的に戦いが終わったといえるのは9月2日。ミズーリ号上での降伏文書調印の場面があり、日本は1952年(昭和27年)まで米軍の占領下におかれる。そして、苦節7年。サンフランシスコ講和条約と、日米安全保障条約が4月28日に発効する。この日から晴れて日本は独立を果たすのである。いらい70年が経つ。文字通り日本の「独立記念日」なのだ。しかし、真の意味で、この70年が「独立」していたと言えるかどうか。今の日本は、〝国家のかたち〟をなしていないとの厳しい見方もある。それは〝戦後の姿〟が阻んできたのだ、と◆戦前の日本は、明治維新いらい77年の『天皇統治』の下にあった。それが敗戦の後、米軍の占領下を経て、独立した。だが、それは見かけであって、その実は、『米国支配』に他ならなかった。「菊の支配から、星条旗の支配へ」と言ったのは『国体論』の白井聡氏だが、戦後77年は米国に従属する日本であった。在沖縄基地に始まり、全国各地に点在する米軍の基地、「横田空域」のように日本の空であっても自由に使えない領空まで、その証拠を挙げるに事欠かない。普段は目立たずとも一朝事あればミエミエとなる。ヴェトナム戦争からイラク戦争を経てウクライナ戦争に至るまで、日米関係と「戦争史」を紐解けば、「自主独立」とは名ばかりの〝不自由従属〟の姿が浮かぶ◆米国の軍事支配だけが戦後のかたちではない。教育における「戦後民主主義」、暮らしにおける「経済至上主義」など社会の隅々まで米国の影響は決定的に色濃い。明治の文明開花に、福澤諭吉の叫んだ『独立自尊』の空気は澱みきっている。何をするにも米国の顔色を窺い、首根っこを抑えられた日本人の姿は情けないばかりだ。戦後の日本という国のかたちを決めたのは「平和憲法」だが、それを変えることにばかり熱をあげ、失敗してきた戦後政治を今こそ見直す必要がないか。むしろ、あるべき「国のかたち」を阻んできた「戦後のかたち」というべきものを見直すことから始めることが大事だと思う。(2023-2-11)

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