【119】江田島で日本防衛の「歴史と伝統」に触れる/9-2

 猛烈な暑さが続くこの夏の終わり(8月25日)に、広島の江田島に行って、旧海軍兵学校跡地にある海上自衛隊幹部候補生学校と第一術科学校を訪問すると共に、旧海軍以来の歴史を「教育参考館」で学んできました。私がここにお邪魔するのはこれが2度目。初めて行ったのは今から25年ほど前で、衆議院安全保障委員会の一員としての視察でした。その時の強烈な印象忘れがたく、改めて大学同期の友人たち3人と一緒に行ってきました◆広島といえば、原爆資料館が有名で、先のG7広島サミットの際にも、各国の首脳が被曝の実態を記憶に刻んだことは周知の通りです。私はそれと共に、江田島の旧海軍兵学校跡地に行って、この国を守ることの「歴史と伝統」をつぶさに見ることも大事だと思ってきました。「戦争」を考える上で、ある日突然に無惨にも被爆死した市民と、特攻隊員などで覚悟の出撃で逝った若き兵士たちとを同時に捉える必要があると思うからです◆海軍兵学校は、1869年(明治2年)に東京築地に創設され、1888年(明治21年)に広島・江田島に移転しました。江田島は、アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスと並んで世界三大兵学校の所在地として、その名を轟かせてきました。敗戦と共に、海軍兵学校は幕を閉じ、各施設は連合軍の支配下におかれましたが、1956年(昭和31年)1月に返還され、当時横須賀にあった術科学校が江田島に移転(のちに第一術科学校に変更)、その翌年、幹部候補生学校が独立開校したのです。この日は、両校の学校長に大講堂、赤レンガ(通称)などを案内していただきました。私は冒頭のご挨拶で、かつてこの地を初訪問した際に、生徒たちの規律正しい姿勢に感動し、教育参考館で強い衝撃を受けたことなどを述べる一方、自衛隊の憲法上の位置付けについて、公明党、私自身の努力してきた経緯についても紹介しました◆教育参考館で17-18歳の青年たちが詠んだ「山桜 散り行く時に散らざれば 散り行く時は すでに去りゆく」などといった辞世の句に初めて接した友人は、しばし涙していました。すべての視察を終えて帰ろうと校庭を歩いていたときに、校内放送が鳴り渡り、「総短艇」と呼ばれる競技の場面に遭遇しました。これは日常的な実習とは関係なしに突然行われるもので、放送直後に建物のあちこちから生徒たちが寸秒争うように、飛び出してきました。海岸沿いのダビットに吊られたカッターを降ろして飛び乗り、沖にある2つのブイを回って帰投する速さを競うというのです。この説明を広報係長から聞くにつけ、千載一遇のチャンスに巡り合った運の良さを感じた次第です。(2023-9-2)

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