【122】「国家と個人」を考える糸口──TVドラマ『 VIVANT』を観て思うこと/9-21

 〝いい大人〟を惹きつけるテレビ放映が滅多にない民放だが、時にとても面白いのをやる。ついこのほど終わった『VIVANT」(TBS)は中々だった。広大なモンゴルの大草原を舞台に、山あり谷ありの筋立て。国家・社会と個人・家族との相剋、仲間うちの忠誠やら裏切りを盛り込み、公安、警察を主軸に、政治に軍事・外交を絡めた壮大なスケール。生命の危うさと尊さを存分に曝け出し、めくるめく展開を次々と見せた挙句の末のどんでん返し。噂を聞いて私も途中から参入。ダイジェスト版の助けを借りて漸く最終回まで辿り着いた。人気俳優の力演もあり、それなりの満足感に浸っている◆このドラマの中で活躍したのが「別班」という名の組織。共同通信が10年前に報じたところによると、陸上自衛隊の秘密情報部隊で、軍事・政治・治安情報の収集にあたる極めて優秀な人材集団という。〝別の班〟とは、とって付けたネーミングで、味もそっけもない。言葉の響きはダサく、リアル感はない。10回分のドラマが終わった後、同テレビ局は『報道1930』で、専門家3人を揃えて詳しい解説をしていた。その番組で石破茂元防衛相がかつてその存在の有無を週刊誌記者から問われて「存在している。してなきゃおかしいだろう」と答えておきながら、つい最近の「国会トークフロントライン」では「あるともないとも言えませんがね」と、トーンダウンした発言場面が放映されていた。実は、菅義偉元官房長官は2013年に「これまで存在してないし、現在も存在していない」と全否定しており、歴代の首相も防衛相も知らないことになっている◆2007年に防衛庁が防衛省になり、それに先立つ10年前の1997年に情報本部が作られた。内閣情報調査室、いわゆる「内調」と呼ばれる組織体など、警察をベースにしたものが国内を主に担当する一方、防衛省・自衛隊が国外における諸々の情報を取り扱うのだろうと漠然と思っている人は多い。今回のテレビ放映をきっかけに、政府は「別班」の存在を改めて明確にすべきだろう。でなければ、その危うさがかえって印象深くなるだけだ。戦前の日本が、昭和の冒頭20年の間に、いわゆる「軍部独走」を許し、国家消滅に至ったことは、今さらいうまでもない。今NHKで再放送中(10回放送予定)の司馬遼太郎の『雑談「昭和」への道』を観ると、改めて古傷が痛み出したという人は少なくないと思われる◆ウクライナ戦争は、始まって1年半がとっくに過ぎ、終結の兆しは見えない。それどころか、ロシアと北朝鮮の急接近やG20各国(G7を除く)の親露傾向など、世界情勢は崩れた積み木を粘土で急ぎ固定化するかのような動きが垣間見える。戦後78年が経ったとはいえ、いまだに日本は、真っ当な意味で自主・独立した国とは言い難い面があることは、拙著『77年の興亡』『新たなる77年の興亡』で示唆してきた通りだ。先の「別班」をめぐる議論での結論は、「シビリアンコントロール(文民統制)を逸脱させるな」だった。国家の基本を揺るがす事態に対応するための情報収集が他国任せであってはならず、自前のものでなければならぬことは当然だろう。その意味で『VIVANT』が提起したテーマは、娯楽番組の域にとどまらせてはならず、皆で大きな問題を考える糸口にしたい。(2023-9-21)

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