【125】市議8期32年、自治会長半世紀の先輩の〝壮絶な戦死〟/10-10

 つい先日、親しい先輩が亡くなった。伊藤孝さん。享年86歳だった。29歳の時に姫路市議に初当選していらい8期32年間もの間その職にあった。同時に、ご自身の住まわれた地域の自治会長も務め、勇退されてから20年ほどずっと続けていた。つまり50年、半世紀余を超えて地域住民の面倒を見続ける立場にあったのである。その人が秋祭りの準備の最中に自治会仲間と一緒に地域を回る中で不慮の死を遂げられた。地域住民の幸せのための戦いに従事しきったひとの〝壮絶な戦死〟だった◆亡くなられる10日ほど前に私は出会う機会があった。このブログ123に書いた石川誠医師の祝賀会で、同じテーブルを囲んだのだ。地域医療の発展に渾身の力を込めてきた石川先生と、同じく最前線の住民の健康維持に奔走してきた伊藤さんとは、深い信頼の絆で結ばれていたに違いない。私の席とは対面とはいえ、やや離れていた。後輩の国会議員や県議と隣りどおしの席だったが、談笑場面は見られず、笑顔がなかったのが妙に気にかかった。選挙間近しかもしれぬが、もっとこの場を楽しまれるといいのにと正直思った。死魔が忍び寄りつつあったのかもしれない。会場内を動きまわって挨拶に余念なく、伊藤先輩と私は目配りするだけで終わったことが悔やまれる◆私が伊藤さんと初めて会ったのは30年ほど前。衆院選に出馬するべく帰郷した時だった。いらい、幾たびもの共戦を重ねてきた。姫路の様々の地域の名士と会うたびに、友人・伊藤市議の名が出た。その都度、先輩の戦いの痕跡の広さと深さに驚き、尊敬の度を強めてきたものだ。思い出を辿るにつけ、どの場面でも笑顔が印象に残る。〝苦節足掛け5年〟の末に私が初当選をした時は、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれたものである。晩年は体調を崩された老妻の車椅子を押され、通院しておられたとも聞いた。その場面を直接見た太子町のKさんが、かつて創価学会の幹部として座談会で御書講義や信仰の指導をしてくれた伊藤さんの真面目で優しい姿についても語ってくれた◆というのも、偶々8日の日曜日に、コロナ禍前に私自身が自治会長を務めた(僅か2年だけ)地域で、秋祭りがあり、明石から遠路参加した。懐かしい仲間たちと昼ご飯を一緒し、屋台の練り合わせを見たのち、Kさんと姫路駅前で懇談する機会を持ったからだ。その際に伊藤さんの死を伝えたところ、悲しむと共に思い出話が堰を切ったように出てきたのだ。公明党の議員は地域住民の「息遣いや心音」を最も身近で見聞きして、懸命にその人たちの要望解決に動く存在だと確信する。伊藤さんは紛れもなくその最先端を歩き続けてきた。公明党は明年で結党60年を迎える。その日まで、〝勝利の連続〟で元気に生き抜こうと誓いあっていた。その矢先の〝悔しい中断〟は無念だ。しかし、水が流れるが如き、先輩のひたぶるな献身的姿を、残された後輩たちは継承しゆくしかない。(2023-10-10)

 

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