26日の衆議院予算委員会・集中審議。立憲民主党の野田佳彦元首相が自民党の政治資金パーティー裏金問題での岸田文雄首相の政治姿勢を追及した。実に見事だった。自民党の政治刷新本部長としての本気度をチェックするとして繰り出された野田質問に、首相答弁はいずれも的外れ。野田氏は①なぜ首相就任後に派閥代表を降りなかったのか②なぜ首相就任後に頻繁に政治資金パーティー(22年だけでも7回)を開いたのか③なぜ政治倫理審査会は完全公開するように指示しないのか──と糺した。首相は❶反省しなければならない❷勉強会だ❸国会が適切に判断される、と。加えて野田氏は、改革への対応は、超スローの山なりボールのようで、遅い上に的外れ。汚れた雑巾では汚れは落とせない。政治刷新本部長は辞めるべきだと厳しく追及。岸田氏は「派閥と資金、人事を切り離す、再発防止の法改正を今国会で結果を出すから的外れではない。当然、本部長は続ける」とした。堂々と追い込む野田氏に比して、首相は声音も表情にも、心の乱れがありあり。勝負は誰の目にも明らかだった◆「もはや政権交代しかないとの結論を確信した」との捨てゼリフめいた発言をした野田氏に、もう一度首相にチャレンジさせてみたいとの思いを抱いた人は少なからずいたと見るのは褒めすぎか。この日の質疑の冒頭に立った自民党の石破茂氏はかの88年前の「2-26事件」から説き起こし、地震避難所のお粗末さやシェルターの未整備など、現政府の「国民・国家」を守る姿勢の弱さを鋭く指摘した。終了後、野田質問をすぐ右後方の委員席で聞いていた石破氏の表情に、こちらの目も自ずと向いた。天を仰ぎ、同感を思わせるうなづく仕草。テレビを意識したパフォーマンスながら十分興味深かった。アンケート調査で首相への期待度No.1とされる彼に、一度はやらせたいと思う人も少しはいたに違いない◆野田氏が質疑の中で、30年前に比べて、今は政治改革への熱意が若手政治家に感じられないと言っていた。総合雑誌『文藝春秋』3月号の萩生田光一、加藤勝信、武田良太氏ら3人による鼎談『「派閥とカネ」本音で語る』を読んでその思いは一層募る。彼らは自民党内で、いずれも次を狙う「実力者」らしいが、三者三様で反省とも弁明ともとれる言い訳のオンパレードは「見苦しい」。立件されなかったことを助かったと思われるのは理不尽だとの〝不平〟(萩生田氏)や、有権者から政策課題を聞くのにも人手が必要との〝愚痴〟(加藤氏)、海外議員との交流では、自分の政治資金から「負担」しているのにとの〝不満〟(武田氏)などは「聞き辛い」。自民党の惨状に国民が呆れ果てている状況下にあって、政治には金がかかるものと泣き言ばかりに聞こえてくる。雑誌の企画が「本音」を喋らせる狙いだからだろうが、3人の頭文字を並べて「HKT」だとかと煽てられ、近い将来の総裁選挙に出るべくエールを交換しているかに窺えるのには、溜息がでてくる◆30年前に当選したばかりの新人議員として、政治改革の論議に参画した者からすると、総合雑誌『世界』の佐々木毅東京大学名誉教授と山口二郎法政大学教授の対談「90年代政治改革とは何だったのか」は、〝慨嘆対談〟の趣きで印象深い。佐々木氏は、司会役から冒頭で30年前の政治改革に主導的役割を果たした学者としての思いを問われて、「冷戦が終わって次の世界を描こうとしている時に、何てことに時間をとられるのか」「暴れ馬に乗せられたみたいに歴史の流れにさまようことになってしまった」などと、「心象風景」を語ったあと、「(あれから30年経って)また、『政治とカネ』かよ、もういい加減にしてくれよ」との心情を正直に吐露する。颯爽としていた気鋭の政治学者も今や黄昏れ感は否めない。山口氏の「政治改革をずっと論じ続けてきた人間にとっては何とも情けなさでいっぱいだし、このままでは、死んでも死にきれない」との泣き言ともとれる発言は真に迫って聞こえる。さてさて、これからどうなるのか。政治家も学者の世界もこの状況では、ただ先が思いやられるばかりだ。(2024-2-28)