能登半島を襲った大地震で明けた本年も、桜の季節が足早に去ろうとしています。18日の朝も四国南西部で起きた震度6弱の地震のニュースが気になりました。実は私が所属する異業種交流会は2つありますが、そのうちの1つ「山荷葉会」(仮称)が16日夜に開かれ、冒頭、地震をテーマに学習した後、9人で意見交換をしました。メンバー内最長老の斎藤富雄元兵庫県副知事は、県初代の防災監であったことから、この日の講師を務められて有意義な話を聞くことができました。結論は、1995年の阪神淡路大震災の教訓が能登地震に生かされていない、という聞き捨てできない指摘でした◆この30年は、文字通り「大災害の時代」と呼号されるように、大地震が続発してきました。斎藤さんは、この日のために、阪神淡路、東日本(2011)、熊本(2016)、能登の4つの主な地震災害の概要をまとめ、その資料をもとにあれこれと「気づき」を述べられました。そのうち私には、今回の能登半島地震についての対応がシステマチックに行われてない感がし、石川県内の行政の対応が遅くバラバラであるように思われ、創造的復興への懸念があり、地震体験伝承の危機だとの視点が気になりました。昨今の岸田首相の政治姿勢は、自民党の派閥による政治資金パーティー開催での裏金作りの不始末対応におおわらわで、能登地震への対応は二の次とみえてしまいます◆4つの大地震うち、初めの2つは共に非自民党政権下に起こったものですが、後の2つは自公政権下。しかも、発災当時の首相は安倍、岸田の2人ですが、国交大臣は、石井、斎藤の公明党の仲間です。かつて、阪神淡路大震災の直後の予算委員会で赤羽和嘉氏(前国交大臣)が「天災じゃない、人災だ」と叫んだ声が未だに耳朶に残っています。公明党の頑張りが大いに期待されることを痛感しました。30年の節目を前に、大震災への国、地方自治体の対応の仕組みを点検することや、円滑に地元、近隣自治体が役割分担して早急に復興していくロードマップ作成と血肉化が求められると思うことしきりでした◆このあと、異業種交流会では「人生の転機」をめぐって、それぞれの思いを語り合いました。斎藤さんが、県職員としてのある先輩がいかに自身の来し方に影響を与えてくれたかを語られたこと、神戸新聞の高士薫元社長(現相談役)が、新聞編集の現場を離れた今、自由な立場であらためてものを書きたいと言われたことの二つが強く印象に残りました。私自身は「没我の状態、つまり夢中になる時間をどう作るかが、人生晩年の転機になる。という趣旨の話をしました。具体的には「今、『ふれあう読書──私の縁した百人一冊』という本を作っており、その作業に熱中している」と、紹介したしだいです。帰り道は、雷鳴と雹を伴う猛烈な集中豪雨。異常気象の仕業と思わせる、「大災害の前触れ」を連想してしまうような事態に直面したのです。我と我らが行く道の「前途多難」を想起させられました。(2024-4-20)