4-28の衆議院3補選の結果は、立憲民主党の完勝に終わりました。自民党が候補者を擁立したのは、島根1区だけで、東京15区も、長崎3区も候補者を立てずに不戦敗でした。この選挙が終わって約一週間、ここでは選挙結果を概括すると共に、77年目の憲法記念日(3日)を迎えた今のこの国に漂う空気を読んでみたいと思います。それは、一言でいえば、低支持率で危うい政権のくせに、奇妙な「安定」状況にあるということです◆まず、自民党以外の主要政党の現状を見てみましょう。立憲民主党は全勝ですので、勝利感は当然でしょう。ただ、維新との野党内主導権争いに勝ったものの、この結果が次の機会にも続くとは言い難く、10年ほど前の政権運営のまずさの記憶は未だ多くの国民に根強く残っています。まして、3選挙区とも自民党現職のしでかした失敗の傷跡癒えぬ状況下のものでしたから、勝って当然とも言えました。維新は結局大阪を中心にした地方政党だとの印象が一段と濃いように見えます。公明党は島根では自民党候補を推薦したため、金権政治批判をモロに被って大変でした。支持者は共産党の動きに敏感ですから、立憲の背後にその影を見ることで、矛盾する思いを抑え込んだのかもしれません◆ところで、3選挙区ともに投票率が極めて低かったことは、深刻です。政治とカネの問題で人々の関心が選挙に向かわず、政治不信を高めただけに終わるのは民主主義にとって致命的な問題といえましょう。選挙への関心を高めるには、どうしたらいいのでしょうか。いま、政治家の質を高めるために、魅力ある政治家を輩出するべく、事前に世間常識を試したり、人間性を試す各種の試験導入を図ったらどうかなどという〝奇妙な提案〟から、政治家にカネをかけさせないようにするために、秘書の数を公的に制限するといった〝奇天烈な着想〟に至るまで、巷の言説空間では様々な「政治家選抜構想」が飛び交っています。更にもっと極端なものとして、投票所に足を運ばずにAIを使って各人の意思を表示する道を選択するか、それとも選挙そのものを廃止して、くじ引きで政治家を選ぶという極端な手法しかないのかもしれないとの声まであります。このうち、くじ引きについては、より公平さが保たれるとして諸外国では、地方議会レベルでの政策決定の仕組みに導入され始めているようです◆ただ、政治に有権者の関心を引き寄せるには、私は、かつてのように「与野党伯仲状況」をもたらすことが手っ取り早いと思います。そのカギを握るのは「憲法」をめぐる議論と「公明党の存在」です。5月3日の憲法記念日の各種論考の中で注目されたのは境家史郎東大大学院教授の発言でしょう。この人は「これほどの低支持率で岸田政権が続いていること自体、1党優位の55年体制的といえる」とした上で、「(憲法の)条文と現実の乖離が放置され、与野党の主要争点として構造的に残る限り、自民党1党優位の『55年体制』的なシステムは変わらないだろう」(毎日新聞5-3付け)と重ねて指摘しています。こんな低支持率の首相にもかかわらず、その座を奪われないでいられるのは、憲法9条が争点化され、野党が分断されているからだというのです◆しかし、自公2党による政権なのに、1党優位として『55年体制』との類似性にこじつける、この見方には事実誤認があり、私には納得がいきません。実は公明党は改憲には積極的ですが、9条改正に反対なのです。つまり9条の争点化には否定的なのです。この流れを強くすること(政権離脱や自民党分断の動き)で、私は日本の政治の奇妙な安定が崩れて、新たな政治に向けて動き出す可能性が一気に高まると予測しています。それを阻んでいるのは、「政治を不安定にしたくない」という公明党の奇妙なまでの真面目さゆえなのだと、私には思われてなりません。(2024-5-4 一部修正)