イラク戦争をめぐる私的検証➀ー英国がやってのけたこと

この7月に英国で起こったことが気になっている。イラク戦争を検証するための「チルコット委員会」という調査委員会が報告書を公表したのだ。これは、09年に当時のブラウン英首相が政府とは独立した機関として設置したものだが、実に7年かけて結論を出したその中身は、我々日本人にとっても見逃せない。ここには、英国が米国のブッシュ政権に根拠なく追従した経緯が詳細に記載され、さしたる外交努力をせずに無為に開戦に至らしめたことへの批判がなされているからだ▼米国の同盟国の一員としての日本は、イラク戦争について、何らかの検証をしてきただろうか。1993年から約20年間にわたって、日本の政治とりわけ外交・安全保障分野に関わってきた身として、このことに頬かむりは出来ない。まして開戦当時に、ブッシュ大統領を支持した小泉首相を陰に陽にサポートしてきた公明党の一員としてはなおさらだ。しかも私は当時独自の論調を機関紙公明新聞紙上に掲載した。であるがゆえに、後にそれこそささやかではあるが反省の意味を込めた検証を党の責任者として試みた。それは同時に機関誌『公明』誌上に公表されたのである。それらの行為は幸か不幸か全くと言っていいほど世の中に注目されてこなかった。それはひとえに私の非力さが起因していよう。だが、これを忘却の彼方に消え去るままにしておくのは惜しい。そのため、ここに個人の責任において、私的な総括を試みておきたい▼そう決断するに至った背景には、イラクの今なお荒涼たる風景がある。IS(イスラム国)の横暴をほしいままに許し、依然として無法の地であり続けているかに見えるイラク。かの戦争が起こった当時、著名な外交評論家が、「今はどうあれ、必ずや近い将来には、民主的な国家としてイラクは生まれ変わり、中東に新たな世界が幕を開く」と強調し、今一人の現代日本を代表する文明評論家も、かの戦争をやむをえざるものとして積極的に肯定する論陣を張った。これらに影響を少なからず受けたものとして、十数年が経った今なお、苦々しく思い起こす▼今ここで改めて経緯を振り返るに当たり、ただあれは間違っていたと、反省し批判するだけでは能がなさすぎる。それでは、あの選択は止むを得ざるものであり、最終的には歴史の審判を待つしかないとの反論ならぬ言い訳に、まっとうな意味で対峙することは出来ないと思うからだ。「安保法制」をめぐる議論があたかも国論を二分し、かつての自社対決下の不毛の安保論争に逆戻りするかのような様相を呈しているだけに、ここでより一層きちっと振り返っておきたい。イラク戦争を総括しない限り、真実の意味での現代の「平和」は見えてこないと、私には思われてならない。(2016・9・5)

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