イラク戦争をめぐる私的検証➁ー”13年戦争”との独自の見立て

ここに二枚の古い新聞記事がある。2004年2月2日と3日付けの二回にわたって、公明新聞2面に「イラクへの自衛隊派遣と公明党の平和主義」と題して赤松正雄外交安保部会長の名のもとに寄稿されたものである。(上)では、「問題の本質は”13年戦争”」「目的は人道支援、軍事分野を排除」との見出しが目に入る。ここでは、公明党が平和主義を捨てたのではないか、との当時の批判に対して、的外れだと断じたうえで、その背景に「三つの勘違いと一つの思い込み」があると述べているのだ▼当時の支配的な空気は「現在のテロが頻発する事態は米国の武力攻撃がもたらしたもので、しかもあると言っていた大量破壊兵器がいまだに発見されないのでは、そもそも戦争の大義がない」というものだった。この点について、私は、「イラクのクウェート侵略に端を発した湾岸戦争とイラク戦争とを全く別のものと見るという、勘違いを起こしている」としている。つまり、私の見立てでは、この戦争は実は13年に及ぶ、本質的には一つの戦争であるというものだ。戦争の大義は、大量破壊兵器のあるなしではなく、イラクの国際法無視を諫めることにあるとの論法だ。二つ目には、ドイツやフランスのように、国連における合意取り付け努力を最後までせずに、日米同盟を優先させたのは国連軽視だとの空気があった。それについては、独仏のイラクとの特殊な関係に目を覆ってしまっているし、隣国に秩序破壊国家・北朝鮮を持つ事情を弁えないことがもたらす勘違いだとしているのである▼(下)では、「あくまで憲法の枠内で判断」「テロ許さぬ”行動する平和主義”」と見出しにある。三つ目には、当時、戦闘状態の再発が懸念される地に自衛隊を出すことは、憲法の禁じる武力行使に追い込まれる可能性があるとの批判があった。これについては、武力行使と護身目的・正当防衛のための武器使用とを混同することからくる勘違いだとしている。最後に私があげる「一つの思い込み」とは、国際貢献は、PKO (国連平和維持活動)までで、それ以上は踏み込みすぎだとしていることである。ようやくPKOの存在が市民権を得た頃であったから当然といえば当然の反応だった。だが、私はへっぴり腰の国際貢献ではないものを目指そうとする公明党の意気込みの現れを表現しようとしたのだ。最後に5原則型のPKOを超えて、多少危ないところでも秩序破壊の国際テロは断じて許さないとの決意を表明。公明党は、人道的見地からイラク復興へと貢献することを、平和主義と決して矛盾しないと捉えている、と結んでいる▼「イラク戦争=13年戦争論」というのは私の独自の見解だが、あとは当時の公明党の原則的な捉え方を逸脱したりしていない。この記事を寄稿するきっかけは、支持団体の婦人たちの間で、イラク戦争について公明党が支持する理由を分かり易く書いてほしいという広範囲な要望があると、女性同僚議員から聴いたことによる。掲載直後には、「行動する国際平和主義」の面目躍如たる内容のものが書けたと、自画自賛していたことが懐かしく思い出されてくる。しかし、ことはそう甘くなかった。事態は暗転する。(2016・9・9)

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