【64】新党『中道』に政治への「汚名返上」を託したい/1-18

◆理念を共有する両党の新党結成

 「中道改革連合」━━公明党が立憲民主党と共に立ち上げた新党の名称である。略称は「中道」。どこかから「選挙互助会」だとの声が聞こえてくる。何とでも言うのは自由だが、関係者たちの熱い思いに目と耳と心を傾けたい。前回稿の末尾に、私は「新進党」の思い出に触れた。あの日の興奮は今なお忘れ難い。横浜に、自民党出身の人たちも含めて「打倒自民党政治」への志を同じくする政党、政治家が結集した。1994年の年の暮れだった。公明党で中選挙区から当選したばかりだった私は、喜び勇んで参加したものだ。自民党に代わりうる勢力を作るためとの目的のもとに集まったのである。この党は僅か3年ほどで残念な結果に終わったが、あれからほぼ30年。今度の両党による新党は、急拵えではあるものの、新進党に比べると、「中道」という理念を共有しているところが違う。

 日本政治史上、中道政治の確立を掲げて初めて登場したのが公明党であることは、拙著『77年の興亡━━価値観の違いを追って』でみた通りである。立憲民主党の野田佳彦代表は、公明党が与党としての中道政党であったのに対し、自らの党は野党における中道政治を目指してきた党であると述べた。その意味で、出自を同じくする国民民主党も中道政党に仕分けされよう。ここで何も本家争いをするつもりはないが、最小限の共通認識として、公明党の依拠する政治理念としての「中道」のルーツを確認しておきたい。

◆「中道」とは仏教に由来する生命重視の〝動的掌握概念〟

 中道の意味については、より本質的には仏教の基本的教義の一つとして「両極端に偏らないこと。対立する見解や態度を克服した立場」とあり、「対立の内容については、快楽主義と苦行主義、自己を永遠とみる常見と死後はないとする断見、有と空、空と仮など、教義によって諸説ある」(三省堂/大辞林)という。この解説を聞いても断定を避けており、いささか分かりづらい。かつて創価学会の池田大作名誉会長は「この言葉(中道)は、アウフヘーベン(止揚)に近い言葉と考えていただきたい。すなわち、物質主義と精神主義を止揚する第三の『生命の道』のあることを、私は確信しております」(1974年のUCLAでの、講演『21世紀の提言』)と、明解に述べていた。つまり、中道とは、「物質と精神」を包含した「生命」を中心に据えた理念であって、相反する立場を動的に捉えて、より優れたものにしていく行為そのものを指すと理解したい。

 その観点からすると、右と左を足して二で割った真ん中としての折衷や妥協といった単純な意味ではない。政策の不一致を調整する行為としての「合意形成」に近いかもしれないが、これも一般的には足して割ったり、妥協の道と酷似しているため誤解を呼ぶ可能性がある。このため、より厳密には「止揚風合意形成」とか「レベルアップ的合意形成」というべきかもしれないと思う。

◆小説『限界国家』の描く日本の近未来

  公明党は今回の新党結成を経て、「中道改革」の旗印のもとに集まろうと、他の政党や政治家に呼びかけている。たまたま僕は、楡周平『限界国家』なる小説を最近読んだ。「少子高齢化、AIの進化による職業寿命の短命化、地方の過疎化、優秀な若者の海外流出」━━日本を襲う、こうした現実のため、ここから先2-30年の間に日本はもう限界に達してしまうとの未来予測が展開されている。「限界集落」の国家的拡大だ。日本国そのものが朽ち果てつつある恐怖がリアルに迫ってくる。

 今年の新年号各紙で注目されたのは、AIの未来展望であり、生まれつくと同時にネット世界に囲まれて育ってきたZ世代やそのあとに続くα(アルファ)世代の「これから」であった。先の小説には、古い世代に政治を任せていてはどうにもならないと、20代の若者から突きつけられて、恥入る老企業家が登場する。この責めから逃れられる政治家は1人もいない。かくいう私もその責任の一端を自覚する。今回新党に参加する政治家たちこそ〝汚名返上するは我にあり〟との心意気で、立ち上がって欲しい。(2026-1-18)

 

 

 

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