【74】第二次「戦間期」の終わり━━「2-26」事件から90年で考える/2-26

★「2-26事件」で、日本の第一次「戦間期」は終わった

 1936年(昭和11年)2月26日。その日からちょうど90年が経つ。もはやその日のことをリアルに覚えている人は皆無に近いだろう。かく言う私も映画や書物を通しての〝幻影〟に過ぎない。だが、「二十世紀を生きてきた日本人に何が最も強烈な記憶かと聞くと、二・二六事件と答えた人が多数でした」(岡崎久彦『百年の遺産』)と言われるほど、「2-26」は戦前世代には強いインパクトを持っていた。なぜか。

 真珠湾攻撃や原爆投下や米軍の占領よりも、「日本人が自分達が生まれ育って来た社会自体が足元から崩れる予兆に脅えた」からだという。桜田門外で井伊大老が暗殺された事実と同列視されると、降りしきる早春の雪景色と相まって納得してしまう。その日は青年将校や兵隊ら約千五百人が「昭和維新」を叫び、首相官邸、警視庁などを占拠し、重臣達を襲撃(齋藤実首相、高橋是清蔵相ら4人が死亡)するという日本近代史上空前絶後のクーデターが敢行されたのである。

 最終的には昭和天皇の「朕自ら近衛師団を率いてこれが鎮定に当たらん」との強い意思のもと、この試みは失敗に終わった。だが、ここから「軍国主義の潮流」は歯止めの効かない事態になっていったのである。

★世界に漂う第三次世界大戦開始の空気

 この事件の3年後、ドイツはポーランドに侵攻、世界は第二次大戦に突入する。つまり、第一次世界大戦が終わった1919年から20年続いた「大戦後の空白」が終わりを告げたのである。これを「戦間期」というのだが、世界的には、4年前のロシアのウクライナ侵攻から、イスラエルとパレスチナ間のガザ紛争、そして米国のベネズエラ大統領強制拘束やグリーンランド介入姿勢など、まるで80年間続く第二次「戦間期」が終わろうとしているかのように見える。

 第三次世界大戦前夜のただならぬ気配が漂うとの見方をする識者は少なくない。今月発売の『Wedge (ウエッジ)』は、「酷似する『戦間期』と現代 第三次世界大戦を防げ』と題する一大特集を組んでいる。①満蒙開拓②「1930年代の危機」再来③「戦中派」のひとびと④「戦後開拓者たちの成田闘争⑤〝新たな戦前〟が近づくドイツ⑥世界の転換点で問われる日本の覚悟━━という6つの切り口で、現在只今の空気が戦争に突入していった「戦間期」末期にとても似ていることを暴き出していて興味深い。

★欧州で進む戦争への支度

 世界の戦間期の終わりを証明する事実関係は、先に述べた米ロの風潮に加えて中国の絶えざる軍事力拡大の動きが挙げられるが、欧州の急速な変化も注目される。ドイツでは、今年冒頭から新しい兵役制度のための法律が施行された。身体検査で「適格者」だとみなされた18歳の青年男子は、最低6ヶ月間の基礎訓練を受ける。ここから志願する者は兵役に就くものの、未だ強制を伴う徴兵制ではない。だが、志願兵だけで足りないと独政府が判断したら、新たな法律を施行して本格的な徴兵制度へと移行する。

 更に、フランスとイタリアも志願制に基づいた兵役制度をスタートさせるし、ポーランドも現役および予備役兵士の数を大幅に増やす方針である。この動きには米国の欧州からの軍事撤退と自立要請が影を落とす。

 これに対して、日本は戦後80年間というもの、軍隊を持たない「平和国家」であり続けている。国家防衛のためには自衛隊員がその任に就く。公表されている自衛隊員は、陸海空合わせて215719人で、幕僚監部4533人と合計すると220252人(昨年度末)。法律で決められた定員に対して充足率は90%に充たない。先にあげた雑誌の巻頭リポートで「(大戦開始寸前だった)1930年代に近づきつつあると感じている」という編集長ですら、「コロナ禍だった当時、全体主義体制を称揚するような空気が漂い、議会制民主主義の危機も顕在化」すると見ているだけに過ぎない。戦争近しと、無理やり危機を煽ってるという風に見えると言わざるを得ない。

★「戦争か平和か」の議論さえ棚上げ状態つづく日本

 この状況下で、仮に新たな世界大戦が勃発し、日本も参戦を迫られるとしたらどうなるか。この想定をすることは、あまりにも非現実的かもしれない。「戦争を放棄し、軍事力は持たない」として、憲法に定めている国が戦争に関わってはいけないとの「建前論」と、降りかかる火の粉は払わねばならず、自衛戦争は当然との「本音論」のぶつかり合いが実質的には決着がついていない。憲法9条をめぐる論争はある意味で、実質的にはずっと棚上げされたままなのである。

 すぐお隣にまで「戦争の脅威」が迫ってきていても、リアルな対応の是非を巡っては議論は進まない。80年間の「長過ぎた戦間期」のなせる業(わざ)だろうか。世界の「戦争」と日本の「平和」が異次元のものに見えるからか。

 先日もある大手紙で著名な文化人が「戦争絶対反対論」を改めて語っていた。国家が壊されようが、構成員の国民一人ひとりが何をされようが徹頭徹尾、非戦、不戦を貫き通すというスタンスだった。独立主権国家の尊厳を保とうとするから、戦争の悲劇が起こる。だから、始めっから白旗を掲げる、負けるが勝ちを地で行く、身を捨てるところに、浮かぶ瀬もあり、なんだと私は読んだ。これぞ無手負流に見えて、真の勝利への道かもしれない、と。

 この議論をどう考えるか。これをスルーして問答無用とばかりに、緊急事態対応にはやるのでは取り返しがつかないことになるかもしれない。いまこそ、国家を二分する論争を開始する時だと思われる。(一部修正 2026-2-26)

 

 

 

 

 

 

Leave a Comment

2026年2月25日 · 12:25 PM

Comments are closed.