雑誌、小冊子『F』作りに汗をかく(45)

前回述べたように、昭和61年には社内人事で、理論誌『公明』の編集部に移動していました。部長は、平林朋紀さん。雑誌編集の経験豊富な大先輩です。雑誌作りの基礎から教えていただきました。日刊の新聞編集とは違って、企画性が重視されます。時々の時事課題を睨みながら、数ヶ月先のプランを立て、社内上層部のオッケーが出れば、書き手の学者、評論家にアタックしていきます。私も世に出て17年。かつてお世話になった恩師は勿論のこと、友人たちも学者の世界でそれなりの地位を築いていました。例えば、慶大時代のクラス担任だった小田英郎先生にはアフリカ論、高校同期で都留文科大教授になっていた岩見良太郎君(後に埼玉大教授)には都市計画などで原稿を書いて頂きました。

また、会いたいと思った文化人にもそれなりのテーマを決めて、取材や寄稿して貰う段取りをしました。中でも思い出深いのは画家の岡本太郎さんと作家の水上勉さんに「日本人論」を依頼したことです。原稿を頂く際に、束の間会っただけですが、岡本さんには永遠を感じさせるほどの眼力に圧倒されてしまいました。また、作家の水上勉さんとは、宮本輝さんと作風が似てることについて、あれこれお話し出来ました。

また、この年の初めには、社内で党勢拡大に役立てるために、新たに小冊子めいたものを作ろうとの機運が起こってきたのです。参院選が夏にあるため、いかにそこでの勝利を掴むか、編集局の腕の見せどころとなりました。そのプロジェクトチームには新進気鋭の連中が選ばれました。中島、梅沢、加島、赤星、和嶋、岡本、井出、小林といった何れ劣らぬ手練れの後輩たちです。このうち和嶋君は、慶大ハワイ総会で会った後、大手損保会社に就職が内定していたのを取りやめ、あつい心意気を持って公明新聞に入ってきていました。このチームの中心に私が選ばれたのです。公明新聞の2年後輩(歳は一緒)で、既にこの頃は創価学会本部の職員に移動し、全国男子部長の立場についていた太田昭宏さんが、〝友情出演〟めいたアドバイザーとして参画してくれました。

このチームは私にとって、ある意味で編集人としての集大成になります。色んなことがあり、まさにてんやわんやの舞台裏でした。私が最も力を込めたのは、このパンフレットのネーミングです。苦労した挙句、『F』とすることに決まりました。エフとは、そのものズバリ、友人・フレンドのFで、賛否両論ありましたが、私には由来に確かなる手応えがありました。実はそのあたりについて、少し後になって「北斗七星」欄に書いていますので、そのくだりを引用してみます。

ー小売業の繁栄にとって、かつてはP要素が重要だったが、新しい時代の消費や流行を左右する若者をとらえる際には、F要素が大事になってきているという。つまり、フィーリングが合えば、遠かろうが、高かろうが、少々は構わないという顧客の増大が、豊かさ、文化的雰囲気の向上につれて顕著になってくるというわけだ◆Fで始まる単語にはプラスイメージのものが多い。Friend、Fresh、Fortune、Funny、Fight、Flexibility(友、新鮮な、幸運、面白さ、闘志、柔軟性)‥‥といった具合に。しかもFの発音が、ほんの少し下唇を歯で噛んで軽く発音するという、日本語になく、アルファベットでもこの語だけ(Vは濁るところが少し違う)と、ちょっとシャレているのも、若者感覚に合いそうだー

実は、このあたりのことを私が気づいたのは、博報堂生活総合研究所の『タウンウオッチング』を読んだことに始まります。そこには「人が街を歩くと、時代の空気にあたる」とあり、商店街が支配される経済原理を『PFダイナミクス』と名付けていたことから着想したのです。

こう言えば、単なるフレンドの頭文字のFからとったものではない、とお分かりいただけるはず。ともあれ、このパンフの巻頭企画をどうするか。悩みに悩みました。そこで、当時人気のテレビ番組『笑っていいとも』に行き着いたのです。

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