政治風刺漫画にまで登場
1997年の幕開けは、新進党の混迷を世間に印象づける形で始まりました。基本政策構想が全議員会議の場で小沢一郎党首から示され、すったもんだのやりとりが行われたのです。朝日新聞がその概略を1月15日付けで報じており、面白い内容になっていました。いわゆる右も左も混じり合った政党ですから、みんな勝手なことを言ってることがよく分かります。とくに安全保障基本法を制定するかどうかで、意見が分かれました。岡田克也、野田毅、細川護熙、小池百合子氏らの発言に交じって、私も「安全保障基本法案は憲法改正にかかわる問題で、時期尚早だ。沖縄の米軍基地撤去に向けた議論をした方が現実的ではないか。創価学会のメンバーは強い関心を持っている。用心してほしい」などと偉そうに聞こえる発言しているのです。今から振り返ると、小池氏の「行革だとか、株価が上がったり、下がったりしているときに、新進党は安全保障論議ばかりやっているとなると、『違うんじゃないの』という受け止め方しかされない」との指摘がぐっと刺さってきます。彼女の政治感覚の鋭さはここでも出色です。
それで、翌日の朝日新聞の針すなおさんの政治漫画に、なんと私とおぼしき四角い顔の男が描かれているのです。小沢一郎党首が「基本政策構想」と上書きされた箱からマスクを配っている場面。ゴホゴホとせきをしながら、「多国籍軍参加反対」と言いつつ、それを受け取っている描写なのです。てまえに細川護熙元首相も「ゴホゴホ、反対」と。添え書きには「マスクつければ多酷せき問題が鎮まるとは思えないが」と。なんだかよくわからない漫画ですが、後にも先にも私が政治風刺漫画に登場したのはこの時だけ。それなりに、公明党を代表しての反対が針さんには印象的に映ったに違いありません。
脳死問題で独自の行動
1997年の国会で浮上した課題は、脳死を人の死と認めるかどうかという大きなテーマでした。臓器移植の是非を巡って紛糾したのです。他人の臓器を必要とする人にとって、脳死状態の人から提供を受けることは、蘇生に繋がるために、本人は勿論家族も喉から手が出る出るほど欲しがられることは十分に理解できます。しかし、それは見方を変えると、人の死を待望することになります。幾ら客観的な基準を設けるとはいえ、勇み足的判断も引き起こさないとは限りません。人それぞれが持つ「生死観」によって考え方は分かれました。
党議拘束のもとに政党としての縛りをかけることには無理があったのです。それゆえ、個人ごとの判断に委ねられました。悩んだ末最終的に私は、臓器移植そのものに反対する態度を選択しました。人間の持つ宿業は、その臓器にも及ぶものであり、違う個体の中では馴染み得ないのではないか、との判断を優先させたのです。これは正しかったかどうか。生命倫理の根幹にかかわる問題だけに、今なお後味の悪さは引きずっています。大勢に赴かず、自身の独自のものの見方に固執しがちな私の特徴が見事なまでに出た態度でした。
さらに、香港が中国に返還されたのもこの年です。これによって自由・香港が、共産化する懸念が問題視されました。一方で、中国の香港化が期待できるとの見方も出るなど、かなり錯綜していました。あれから20年余。香港における自由を求める学生たちの暴動騒ぎが世界を震撼させました。同時に区議選における民主勢力の圧勝もあり、「一国二制度」なるものの不安定さが際立ってきています。これは即台湾にも影響を及ぼすことは必至(総統選挙での民進党勝利)で、固唾を飲んで対岸から見ることになったものと思われます。
財政金融特委から2週間の米英独旅行へ
この年の夏。7月9日から2週間の日程で、財政金融特別委の米欧州旅行が実施され、私も委員の一人として参加しました。団長は自民党の原田昇左右氏(故人)。団員には、伊吹文明、村上誠一郎、大出俊(旧社会党=故人)らの面々。自民党筋からは、うるさい連中ばかりだと、煙たがられる向きがありました。だが、私にとっては、気の合う素晴らしき先輩・仲間たちでした。現に今もなお、伊吹、村上両氏とはしっかり繋がっています。この旅の目的は「金融ビッグバン」を現地に見るというもので、米、英、独の三カ国に足を運びました。
英、独には生まれて初めての訪問。見るもの聞くもの珍しく、興奮の連続でした。旅の最後は、それぞれ自由にということになり、私は学生時代からの付き合いが続くドイツに長く住む友人のところに立ち寄りました。南ドイツのワイン畑やらヨーロッパ史の秘密が刻印された地・バーデンバーデンにも連れて行って貰い、得難い経験を積んだものです。
とりわけ、戦後半世紀が経つにもかかわらず、ドイツが先の大戦で蹂躙したポーランドやチェコとの間で、共通の歴史認識を持つべく歴史学者が集まって討論しているという事実には強い感動を覚えました。また、私が歩きながらヒトラー云々と口にすると、友人から声が大きいとたしなめられたことには、未だその傷跡の大きさを思わずにはいられませんでした。(2020-3-15公開=つづく)