新政権発足直後も銀行破綻相次ぎ、波乱止まず
小渕内閣がスタートして程なく、日本長期信用銀行の経営危機が浮上、一時国有化されたのちに、10月には経営破綻が表面化します。また、日本債券信用銀行も同じ轍を踏み、12月には経営破綻に陥ります。この年には、第二地銀の国民銀行、幸福銀行、新潟中央銀行の破綻も相次いで起きました。この当時、実は速水優日銀総裁が金融政策を決定する会合(9月9日)で、大銀行ですらデフォルト(債務不履行)を起こしかねない旨の発言をしていました。10年後の2009年1月に日銀が公開した議事録で分かったものです。
このように、金融危機は深刻化を深め、アジアの通貨危機から、火の手はアメリカに達し、ブラジルなど中南米にも波及して、「日本発の世界金融恐慌」の恐れすら懸念されていたのです。小渕内閣発足直後から10月まで開かれた臨時国会は、金融危機克服を最大のテーマに「金融国会」と称されて大騒ぎとなっていきました。この国会には、金融再生法案と金融早期健全化法案の二法案が提出されます。前者は、金融機関の破綻後の混乱を防ぐことが狙い。後者は、未然に破綻を防ぐために公的資金を投入するものでした。まず、前者については、自民党が、平和・改革(当時の公明党の衆議院での会派名)と、民主党、自由党の野党三党案を丸呑みする形で修正され、10月12日に成立しました。後者については、平和・改革の修正要求を自民党が取り入れて修正し、自民党をかなめにした与野党三党で共同修正したものを合意することができました。4日後の16日のことです。結局、野党第一党の民主党は反対に回ってしまいました。
功を奏した公明の積極果敢な政策対応
この二つの法案、とりわけ金融早期健全化法案の成立を巡る平和・改革(公明党)の動きは、紛れもなく日本の危機を救ったものとして、専門家の間で高く評価されていきます。当時、大蔵省財務官として、国際社会で〝ミスター円〟との異名をとった榊原英資氏は、後に放映されたテレビ番組で「(98年の金融早期健全化法案成立について)これが自民党と公明党の妥協で成立するんです。あそこで、平和・改革がいち早く賛成して(中略)、これで日本は救われたと思います。あれがなければ、日本はあそこで、ドーンと恐慌に近い状況に落ちていたと思います」(99年7月18日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」)と語り、公明党の対応を高く評価しました。
さらに、翌2000年の4月9日放映の同じ番組で、より具体的にこう発言しています。「98年の9月から10月というのは、世界恐慌直前だったと思います。日本も金融国会をやっていたのですが、あの時の行き方では、日本が金融恐慌に突入する可能性が極めて高かった。(中略)公的資金を破綻前の金融機関に早急にすべきだということで9月22日の日米会談を受けて、小渕さんは方針転換です。自民党はそれで行くのですが、公明党は野党共闘を組んでいたのですが、自民党に賛成するんです。今の自公体制の原型がここにある。(中略)自公が中心になって60兆円(金融システム安定に向けた資金枠)を用意した。これによって日本は救われたと思います。そこで、日本が金融恐慌に突入することが救われた(避けられた)んだ、ということは歴史的にきちっと検証されると思います」と。同氏はその後民主党のブレーンとして活躍されたことは周知の通り。その見通しの不具合ぶりを指弾する向きがないわけではありません。ですが、この公明党への評価は率直に事実関係を見抜いたものとして、私は彼を高く評価したいと思います。
本会議や安保委で質問。額賀長官を辞任に追い込む
この年、9月初め北朝鮮が弾道ミサイルを発射させるという事態が起こり、日本中を驚かせます。金融危機の最中でしたが、日本防衛の盲点を巡っても議論が闘わされました。さらに、装備品の調達を巡って防衛庁が背任事件を引き起こします。私は安保委員会や本会議で質問に立ち、小渕首相や額賀防衛庁長官の責任を追及しました。このうち、9月18日の本会議では、大手通信機器会社4社による装備品購入の製造原価水増しで、約20億円もの巨額のお金を防衛庁調達実施本部が受け取っていた問題を取り上げました。この背任及び証拠隠滅事件は、防衛庁の内部告発から表沙汰になったもので、同庁内部に巣くう問題の根の深さを想起させて余りあるものでした。
小渕首相は真摯な姿勢で詫びを表明する一方、再発防止に向けて最善の取り組みをすることを約束。額賀長官も低姿勢に終始しました。しかし、事態はそんなことでは収まらず、結局は額賀長官が詰め腹を切らせられることになりました。野党提出(10月16日)の問責決議案が参議院で可決、一ヶ月後には長官辞任に追い込んでいくのです。つい少し前まで、防衛庁長官だった人物を野党が一致して辞任に追い込むという、独特の〝爽快な達成感〟を味わってしまいました。私自身、額賀長官の責任を強く主張していただけに、手応え十分でした。(2020-3-25公開 つづく)