●天皇陛下を議事堂広間でお出迎え
2001年が年明けて直ぐに、衆議院の国土交通委員会の委員長の任命を受けることになりました。国会の委員会の委員長というポジションは、テレビで予算委員会の中継などで、委員室の中央に座って「〇〇君!」と呼びかけ、質問者が「委員長!」と手を挙げて発する、あれです。強行採決などといった場面で、委員長席に駆け寄る野党委員とそれを阻止する与党議員にもみくちゃにされながらマイクを必死で掴む姿でも知られます。ただ、そういうことは滅多になく、通常は行司役のようなもので、与野党の調整が専らの裏方です。とは云うものの、立法府の重要な構成員として、大きい役割を担っています。
就任したのは1月31日です。天皇陛下が国会召集日に衆議院に来られますが、その際に玄関脇で衆参の全委員長が並んでお出迎えをすることが恒例になっています。少し脇道にそれますが、衆議院の正面玄関入ったところの天皇陛下のお休み処に通じる階段の下に中央広間があります。そこには、四隅に銅像台があり、そのうち3箇所には、伊藤博文、板垣退助、大隈重信の銅像が立って(昭和13年に憲法50年を記念して設立)います。もう一箇所は台座だけ。これは将来の議会を担う人物のために、敢えて空白にしてあるとのこと。そこに佇むとあたかも明治時代に戻ったような気分になり、私が一番好きな国会のスポットです。
橋本行政改革の結果、この年から省庁の集約化が行われました。国土交通省は、それまでの建設省、運輸省、北海道開発庁、気象庁など旧4省庁を統合した巨大な官庁となりました。委員長になるにあたって、まずは所管の業務を脳裏に畳み込むために、関係部局ごとにレクチャーを受けました。その際に気付いたのは、私と同世代の局長がいたこと。特に大石久和道路局長、竹村公太郎河川局長は昭和20年生まれとあって親しみを一段と抱きました。この二人は退官後も大活躍をしていますが、とりわけ竹村さんは文明評論家として著名な存在です。この人の様々の持論の展開はまことに面白い。読まれてない方には是非読まれることをお勧めします。
●森首相退陣で、小泉対橋本の総裁選
この頃、森首相は極めて不人気で支持率は10%台を低迷する有様。自民党内に、これでは夏の参議院選挙が闘えないとの空気が充満してきました。それを受けての同党総裁選は、新たな風を求める陣営から小泉純一郎氏を推すグループと、旧来的な、数を頼むグループが押す橋本龍太郎氏の再登板をかけた闘いになっていきました。結果は新しい空気を望む側の勝ち。ここから自民党は新たな出発をします。
小泉首相が誕生した時の市川雄一さんの反応にはかなり微妙なものがありました。二人は選挙区が同じ神奈川二区。お互いに、その人間の何たるかが分かっていたはずです。市川さんの小泉首相に対する評価はあまり高くなかったと記憶します。尤も自民党でもその評価は別れていました。私にとって極めて印象深かったのは、組閣直後に国会の廊下を歩いていて、後ろから声をかけられたことです。当時、女性閣僚を一挙に5人も登場させたり、民間から竹中平蔵氏らを登用するといった大胆な人事が話題を集めていたのですが、「どうだ?今度の人事は?」って、まるで社長が中堅社員に話すかのように、得意満面に声がけされたのです。「いやあ、中々ですねぇ」と応じつつ、しばらく一緒に並んで歩きました。私とは特に委員会で一緒だったとか、海外視察で同行したわけでもありません。その気さくさに驚いたものです。
●姫路と東京で出版記念パーティーを開く
私は新幹線で姫路と東京を往復する車中で、雑誌、新聞もさることながら本を片っ端から読む習慣がありました。当選して以来、いわゆる〝金帰火来〟や〝土帰月来〟といった、週末に地元に帰り、週明けに上京するパターンの中で、一往復7時間(当初は片道3時間半かかった)は格好の読書アワーでした。幾ら忙しくても、列車の中ではジタバタ出来ません。動く読書室になりました。最初のうちは読みっ放し。そのうち、情報端末機器(シャープの「ザウルス」)を活用することにしました。今のようなアイパッドで発信、スマホなどで直接見てもらうのとは違って、支持者や有権者のお手元には、ファックスで活字を見てもらう形式をとりました。「新幹線車中読書録」と銘打ち、3冊ほどを三題噺風に2000字以内に一回分としてまとめたものと、国会での時々の動きを追った「国会リポート」の二枚看板にしました。
1999年ぐらいから開始したものが、徐々に溜まっていきました。週一回としても年間50週ですから、二年で共にほぼ100回分です。せっかく書いて発信したのだから、それを本にして出版しようということを思いつきました。政治評論はともかく、政治家が何をどう読んだのかを世に問う意味で「読書録」には意味ありと判断しました。それを今度は一冊の本(『忙中本あり』=〝忙中閑あり〟をもじって)にまとめてみようと、思い立ち、2000年暮れから論創社さんに出版をお願いして作業を進めました。そして、国交委員長になったことのお披露目を兼ねて、出版記念を祝う会もやることにしました。しかも、地元姫路は4月13日に、東京は同月26日に、と連続開催です。衆議院議員になって8年、初めての試みでした。準備や進行など、秘書君たちを始め多くの仲間、関係者の皆さんにお世話になりました。
姫路開催の日は実は自民党総裁選挙のさなか。そんな忙しい状況を割いて、野中務自民党幹事長が来てくれました。この人は、橋本さんの仲間。小泉さんをこき下ろす挨拶をされたのが印象に残っています。地元の4市6郡21町の市長や町長さんたちがこぞって来てくれたり、商工会議所会頭ら姫路の名士の皆さんもずらり顔を揃えてくれました。有り難く嬉しい思いで一杯になりました。
一方、東京でのパーティーは、東京外語大学長の中嶋嶺雄先生を発起人に、演劇評論家の山崎正和さん、『ストロベリーロード』で著名な作家の石川好さん、慶應義塾大での恩師・小田英郎先生、同じく慶大教授で同級生だった小此木政夫君、『元首の謀反』で直木賞を受賞した作家の中村正軌さんら著名な学者、文化人の皆さんに世話人になってもらい壇上花を添えていただきました。当日は残念ながら顔を見せていただけなかったのですが、アサヒビールの社長で高校・大学の先輩・瀬戸雄三氏、朝日新聞の編集幹部・船橋洋一氏らにも世話人に名を連ねていただきました。この人たちに壇上に上がって貰った風景は、政治家のパーティーとしてはかなり異色でした。何しろ登壇した政治家は市川雄一さんのみでしたから。演壇の脇にずっといた中山太郎さんが「いやあ驚いたねえ、赤松さんは政治家というより文化人だねえ」との感想を後に述べてくれましたが、確かにその雰囲気が場内には漂っていました。(2020-4-22公開 つづく)