●マニフェストに、年金の抜本改定案盛り込まれる
平成15年(2003年)の後半は、衆議院が前回の解散・総選挙(平成12年6月25日)から三年が経っており、選挙ムードが漂っていました。各党とも初のマニフェストをつくることに熱心でしたし、野党は民主党と自由党の合併で大きな力合わせをしようとしていました。
公明党のマニフェストの特徴は三つの柱からなっており、第一章が税金の無駄遣いをやめるための方途。第二章が、改革に伴う痛みを緩和するための機動的できめ細かなセーフティネット(安全網)づくり、第三章が新しい平和主義の宣揚です。私が直接担当したのは、第三章ですが、世の中的に注目されたのは年金制度改革での政策の打ち出しでした。当時は坂口力さんが厚生労働大臣、政府における厚生労働行政の最高責任者。そこと連携をしたうえでのものでした。
最終的には年金改革関連法は2004年の6月に成立するのですが、その原型となるものは、この前年の衆議院選挙むけのマニフェストに盛り込まれたのです。
この案の原型となったものは坂口大臣が試案として提起、それを公明党独自の財源案を組み合わせて『年金百年安心プラン』として9月4日に発表されました。ネーミングの絶妙さも相まって、このプランは大いに有権者の評判を勝ち取ることに貢献したといえます。
●衆議院選挙で公明党34議席に。4期目の当選果たす
衆議院の解散は10月10日に。小泉首相は9月20日の自民党総裁選挙で再選を果たしていました。選挙直前に自由党と合併した民主党との間で、「政権選択」が問われる選挙となったのです。11月9日の投票の結果、自民党は解散時の247議席から10議席減らして237議席に後退しましたが、公明党は、小選挙区9、比例区では過去最高の873万票を得て25議席を獲得、合計34議席となることができました。
私自身はこの時は比例名簿の二番で、無事に4期目の当選を果たさせていただきました。近畿比例ブロックの公明党の名簿順位は一番だけが、党外部候補(池坊保子さん)に固定されており、それ以外は毎回変わっていました。二番は嬉しくはありましたが、当選の感激は薄かったことは正直否定出来ませんでした。この時与党の一角を形成していた保守新党は9議席から4議席に減らし、選挙後に自民党と合併することになります。したがって、自公保三党(最終的には自公二党に)で、275議席を獲得し、絶対安定多数議席を得ることになりました。
これに対して、野党は、民主党が137議席から40議席も伸ばし、177議席としました。尤も、社民党は18から三分の1の6議席に、共産党は20議席から一気に半減し、9議席に落ち込みました。この結果で、はっきりしたのは、民主党と公明党の勝利と、社共両党の惨敗です。自民党は、公明党のおかげあったればこそ辛うじて面目を保ったといえましょう。
●イラクのサマワへ神崎代表飛ぶ
選挙戦が終わるのを待っていたかのように、イラクにおける治安状況は日々刻々悪化していき、とうとう11月末には日本人外交官の二人が、同国北西部を軽防弾車で走行中に襲撃される事件が発生しました。残念なことに二人は死亡してしまったのです。こんな最中に政府は、イラク特措法に基づく自衛隊派遣の「基本計画」を12月9日に閣議決定、18日には「実施要項」を決めました。派遣の日程については、「首相の承認を得て決定する」ことになったことを受けて、公明党としては、派遣予定地を実際に見ておく必要があるとの意向が高まりました。治安状況や支援についての現地のニーズを確認するためです。
神崎代表と遠山清彦代議士が急遽12月16日に現地に向けて出発しました。これについては、後日談ですが、外務省が「行くのは危険だからやめてほしい」「安全は保障出来ない」と相当うるさく食い下がってきたといいます。私は、行って安全を確認したことになると、その後もしものことあれば立場が決定的に悪くなるから、止めた方がいいのでは、と思ったのですが、神崎代表の決意は揺るぎませんでした。
視察日程は16日出発から22日の帰国までの6日間でしたが、実際には、経由地のクウエート滞在が長く、現地サマワは、3時間半だけでした。ですが、この僅かな時間が後々貴重な意味を持ちます。それはそうでしょう。自衛隊を危険な地に派遣するのですから、それを推進する政治の責任者のひとりとして、極めて重要な行動になったわけです。
具体的には、すでに、現地で支援活動に従事していたオランダ軍の司令官の案内で市内を視察する一方、陸上自衛隊が派遣された際の宿営地にも立ち寄りました。この現地視察を通じて、日本国内では窺い知れないさまざまな状況を確認出来て、神崎代表らとしては、「比較的安全であるとの印象を受けた」と記者会見で語ったものです。なお、小泉首相への視察報告については「政府としても緻密な調査を実施して、陸自の派遣については慎重の上にも慎重を期してもらいたい」と伝えました。
●毎日新聞、東京新聞に論評掲載
このイラク事態に私は二紙から意見を求められました。12月26日付毎日新聞と、12月30日付東京新聞に掲載されています。
毎日新聞では、「イラク復興支援で、公明党は人的貢献の必要性を認める立場から特措法を成立させた、ただ、イラクの治安が制定時に想定していた状況から格段に悪化しているのも事実だ。だからこそ、陸上自衛隊の派遣については慎重のうえにも慎重を期すべきだと主張している。私見を言うなら、他の地域と比較して安全と言えるサマワでの万一の犠牲を恐れて行動停止が許されるほど、国際社会における日本の存在感は小さくないはずだ。神崎武法代表のイラク行きには正直驚いた。現地を見たからには責任が一層重くなってくることは目に見えている。それを承知で足を運んだ責任感に、身内ながら敬意を表したい」
東京新聞では、5つの問いに答えていますが、その中で、ひとつだけ紹介したいと思います。
ー「平和の党のイメージと(今回のイラクへの自衛隊派遣容認と)合わないのでは?
私は時代に合わせ進化する平和の党だと言っている。『新しい戦争』の時代に入っている。『古い戦争』は国家と国家が戦った。新しい戰爭は、国家という形態を取らないテロリストがいつ襲ってくるか分からない。攻撃してくる主体がはっきり分からないのに、結果として受ける被害は、古い戦争の時代の局地的な被害と変わらない。そういう新しい戦争にふさわしい、新しい平和観、新しい平和主義が必要だ。それはテロを許さないために、自衛隊の活用を含め、あらゆる手立てを講じるということだ」
一方、公明党内部の党員、支持者からも強い疑念が起こってきていました。それについては公明新聞に私が大胆な見解を提示することで、理解を求めました。(2020-5-29 公開 つづく)