【56】第三次小泉改造内閣の厚生労働副大臣に就任ー平成17年(2005年)❹

●幻に消えた安全保障担当副大臣

衆議院総選挙が終わって暫く経ってから、冬柴鐵三幹事長の部屋に呼ばれました。何事やらんと駆けつけたところ、改造内閣で厚生労働副大臣に推薦したいということでした。率直に言って、私は副大臣にしていただけるのなら、防衛庁か外務省にお願いしたいと言いました。これまで殆ど取り組んだことのない厚生労働行政に、当選5回もの人間が行くのは、いささか戸惑いがあったからです。同じやるなら、安全保障分野で、と。慣れぬ分野で、一から勉強するというのでは、適材適所と言えず、迷惑をかけたくないとの思いがありました。

当選3-4回の人間が副大臣の適齢期でしたから、いかにも遅咲きといえます。冬柴さんは逡巡された挙句、「分かった。うまくいくかどうかわからんが、自民党に掛け合ってみる」と言われました。結果はノー。自民党筋は、国家の根幹に関わるポストは公明党に渡せないというのです。あまり納得いく説明ではなかったのですが、ごねるのも大人気ないと判断して、受けることにしました。結果的に、この時公明党に回ってきた副大臣ポストはひと枠多く回ってきました。私の要求は受け入れられなかったものの、私のことを取引材料にして、公明党は得をしたのかもしれません。

既に小泉首相も就任から4年以上経っており、恐らくこれが最後の組閣と思われました。初当選以来12年、ついに政府の側に立って仕事をすることになったのです。これまで、野党精神旺盛な私だけに、与党の一員とはいえ、結構批判的スタンスを強く持っていたので、緊張する日々がこのあと続くことになります。同時に憲法に関する特別委員会などは離れることになりました。10月31日に天皇陛下から認証を受けて、政治家としての新しい出発となりました。

●大前研一さんを姫路に呼ぼうと講演会を企画

この頃、経済評論家の大前研一さんを講師に呼んで、姫路で講演会兼パーティーをやろうと計画していました。既に書いたように、大前さんとは一緒に勉強会をしたり、オーストラリア、シンガポール、マレーシアと旅行も一緒にしていました。是非、これからの日本経済の展望を喋って欲しいと頼んだところ、すぐにオッケーしてくれました。副大臣になったことでもあり、地元の皆さんに喜んで貰える良い機会になると思ったのです。

ところが、当初、40分話して貰うつもりだったのですが、あれこれ検討するうちに、難しくなってしまい、半分の20分になってしまったのです。ご本人に恐る恐るそれでいいかと訊ねると、即座にノー。「そんなんなら行かない。だから政治家主催の講演会はダメなんだ。私に20分しか喋らせないとは、とんでもない」と取り付く島もありませんでした。さあ、困った。既に地元には大前さんが来るとの触れ込みで、パーティー券も各方面に無理をして購入して貰っていたのに。代わりを探さねばとんでもないことになる、と焦りました。

あれこれ悩んだ挙句、思いついたのが福田康夫前官房長官。この人は官房長官を辞任されてから憲法調査会で幹事としてご一緒する機会があり、親しくさせていただいていました。公明党のおかげで連立内閣がうまくいっているという答弁もくれた人です。時間が切迫する中、なんとかきてもらえないかと頼むと、いいよと二つ返事で快諾してくれました。本当に、嬉しかった。大前さんもとびきり上玉の講師でしたが、経済通ではない、普通の市民にとっては、福田さんの方が有名で、インパクトは強いものがありました。

おまけに、大前さんは、日本人で一二を争う高額の講演料を海外でもとると聞いており、私如きのパーティーでもそれなりのものを払うつもりでした。それが結果的に要らなくなったということは助かりました。福田さんは政治家ですから、交通費も要らず、全くの友情出演で済ませていただいたのです。本当に感謝に絶えませんでした。

●姫路の戦没者慰霊塔に現れた福田康夫さん

さて、12月12日の月曜日の夕刻。会場で待っていると、福田さんは約束の時間ギリギリに登場されました。いつものあのクールで、政治家からしからぬ雰囲気をたたえて飄々と。で、「赤松さん、行ってきたよ。例のところに」と言われるのです。驚きました。ひょっとすると、とは思っていましたが、本当に行かれるとは。それは、姫路市手柄山にある全国戦没者慰霊塔(正式には太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔)にお参りに行かれて、その佇まいを視察されたというのです。嬉しいというか、ありがたいというか、心底から感謝の気持ちが起こってきました。

これには訳があります。戦後まもなくに姫路市長を5期務めた石見元秀さんは、大戦において全国各地の空爆で犠牲となった人々の御霊を慰めるための慰霊塔を作ることに尽力されました。昭和27年にこの地に建設されてから、毎年8月15日を記念して、全国から戦没者の遺族たちが集まっての式典が行われてきました。私は地元選出の議員として毎回参加するようにしてきましたが、気がかりだったのは、この施設はあまりメジャーの存在でなく、国も総務省、内閣府の関係者が参加する程度だったのです。そこで、あれこれと宣伝に務め、予算委員会分科会でも質問したりしました。福田前官房長官にも一度見てほしいと言った経緯があります。

靖国神社への公式参拝が話題になるたびに、脱宗教施設でそれに代わりうるものがあればいいのにとの思いが浮上してきました。千鳥ヶ淵の戦没者墓苑もそれなりに役割を果たしていますが、既に戦没者の慰霊を慰める施設として存在しているものを流用しない手はないと思いました。そこで、私は福田さんに密かに相談したのです。今回のパーティーにわざわざ姫路まで来ていただくのなら、是非違った目的も合わせ持ってほしい、と。ダメもとで投げていたのですが、きちっと覚えておいていただき、事前の時間を活用し、見てくださったのです。

最終的には、やはりここは様々な意味で私の狙うようなものに転身させることは難しいとの結論に至っているのですが、その流れの中で、この日の福田さんの訪問は、それなりに重要な役割を果たしていただいたのです。(2020-6-21公開 つづく)

 

 

 

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