●郵政改革特委設置に「退席」で意思表示
国会の委員会や本会議で採決をする時は、委員長や議長の「賛成の諸君の起立を求めます」との発声で、議員たちは自席で立つことを促されます。ある時に私は、反対の諸君に起立を求めた方がいいのでは、と思ったものです。「何でも反対」のある政党は、いつも座ったままが多く、与党側は賛成が多いので、しょっちゅう立たねばなりません。別にその労を厭うわけではないですが、林立する賛成者の陰で殆ど目立たない少数者というのでは、反対のしがいがないだろうなあと思ったからです。
国会の賛否は通常「党議拘束」がかけられており、個人の自由な判断で法案への態度を決めるわけにはいきません。以前に述べましたが、「臓器移植法案」の採決時に、「党議拘束なし」だった際にはとても興奮しました。また、「党議拘束」に反抗してまでも賛否の態度を示したくないのですが、何か釈然としない時に、採決に応じず、「退席」でその意思を示すという場面は稀にあります。私も一回だけですが、そういうケースを経験しました。
4月12日の本会議に、郵政改革をめぐる特別委員会設置案件がかけられたのです。これは、民主党の提起のもとに、社民党、国民新党が賛成。自民、共産、みんなの党が反対。公明党は、消極的ながら賛成の態度でした。しかし、私は「退席」で意思を表明しました。
この法案は、郵政民営化に断固反対の国民新党の亀井静香氏が何とか民営化を潰して、郵政改革の名の下に、元に戻したいとの思惑から、民主党に圧力をかけたいわく付きの特別委員会設置だったのです。私は、東日本大震災で国家的対応が迫られている時に、かかずらう問題なのかどうか疑問がある上、かつて郵政民営化に賛成したのに、国民新党に引きずられるのはごめん被りたいとの考えでした。特別委員会ぐらいはあってもいいのでは、という党の考え方に賛成しがたいと思ったのです。些細なことですが、珍しいことでした。
●対韓国外交の「未来志向」的態度を批判
国会での議論で、自分らしさを発揮することは、常に私が心がけたことです。ここでいまひとつ触れておきたいのは対韓国外交における「未来志向」なる言葉についての批判的姿勢です。「日韓併合百年」の2010年に結ばれた「日韓図書協定」を批准するべく議論がなされた外務委員会。4月27日の同委員会で、松本剛明外相は「未来志向の日韓関係」なる言葉を短い間に十数回は繰り返しました。同氏は、前原前外相の政治献金疑惑による急な辞任を受けて急遽就任。実は私の選挙区の後輩であり、彼の親父さん(十郎氏)以来の親子二代にわたる「政敵」です。自ずと気合が入りました。
「未来志向」の言葉の構成要件とは何かと訊くと、同外相は「政治・安全保障、経済、文化分野における相互交流」というだけ。これでは、何も示したことにはならない。どこの国との関係でもこれは適応されるからです。韓国との間で、未来志向という言葉を使うのは、先方が過去の歴史に遡ってあれこれ言ってくるのを避けたいということに他ならず、もう後ろを見ないで前を向こうということに過ぎないのです。
しかし、それを日本が言っても相手は構わず過去に拘ってきます。同じ「未来志向」という言葉を使っても、韓国は竹島の領有問題や、慰安婦問題、歴史認識など自国の主張をガンガンとリンクさせてきます。日本だけが避けようとしても無理というもの。その点、日本外交はどうも穏便に摩擦を避けることにだけ執心しているように見えるのです。この日の質疑で、私は「日本に戦略性がなさ過ぎる」ことを強く主張したのです。
実はこの時の私の議論を聞いていた産経新聞の有元隆志副編集長が同紙の「from Editor」欄(5-15付け)で、「言葉だけが躍る未来志向」と題してコラムに取り上げました。
有元氏は、岡崎久彦さんの『明治の外交力ー陸奥宗光の「蹇蹇録」に学ぶ』という本のことから説き起こし、この日韓図書協定をめぐる外務委員会での議論を論評したのです。以下さわりの部分を抜粋してみます。
【自民党は韓国にある日本由来の貴重な図書の引き渡しを求めない菅直人政権の方針に「片務的過ぎる」と反対した。政権側は批判を受け図書の閲覧の便利性向上などに努める方針を示したものの、対応は後手にまわっている。「外務省は外交摩擦を恐れている。(協定批准にあたって日本側が強調する)『未来志向』は、摩擦を起こさない観点から、将来に向かってどうしましょうかという話を話題にするように見える」
4月27日の衆院外務委員会で、協定に賛成しつつもこう疑問を投げかけたのは公明党の赤松正雄氏だ。祖母が伊藤の孫にあたる松本剛明外相は「つい一番難しい問題を避けて通ることは、人間のやることとしてないわけではないが、そういうことのないようしっかり取り組みたい」と答えた。
松本外相が言葉通りの行動をとることを期待したいが、民主党政権下では昨年秋の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件など、日本の国益が問われる事件が相次いだ。中国の軍備増強などアジアが再び帝国主義の時代に戻ったとも言われるなかで、赤松氏が言うように「未来志向だとか戦略的互恵なんていう言葉だけが躍る、実際は中身は伴わない、こういう事態ではしようがない」といえる。】
有元隆志さんは、私が党広報局長当時から、公明党番記者をし、米国ワシントン特派員、政治部長を経て、『正論』編集長、今は同誌の発行人となっています。私が深く尊敬する言論人のひとりです。
●松本外相との「沖縄」質疑でも
松本外相との外務委員会でのやりとりにもう少し拘りたい。7月27日の同委員会のことです。ことの起こりは、6月中旬に開かれた日米安全保障協議委員会(2プラス2)でのこと。自民党政権や自公政権にあっては、「基地負担の軽減」と表現していたものを、民主党政権になって、「基地の影響軽減」へと書き振りをそっと変えてしまったのです。
これに気づいた私は、外務省当局に負担軽減の文字が消えていることを指摘すると、文書中には入っていないが、口頭では外相はアメリカ側に抗議していたと述べていました。このことを私は同委員会で追及したのです。松本外相は当初、言葉は違うけれど、同じことを意味すると述べました。それは極めて不正直だと思った私は重ねて「正式文書でなくとも、注釈のような形でも明記すべきだった」と述べました。
松本外相は「沖縄のみなさんから見ると、実感が反映されていないと感じるのは否定できない。おしとどめられなかったことは大変責任を感じる。自らの力量不足は痛恨の極みだ」と述べました。これは、翌28日付けの沖縄タイムス紙にも「負担の文言削減『力量不足』」と、私の追及に屈したことが報じられました。
松本剛明さんは、民主党時代において、政調会長を務めていましたが、当時は光り輝いていたように私には見えました。外相としても、この答弁に見るように自分の非は否と認める率直さを持つ、懐の大きな政治家の片鱗を窺わせていました。正直私は将来更なる飛躍を期待できる逸材だと思ったものです。しかし、民主党政権の崩壊と共に、自ら膝を折って、自民党入りを決断したことはいささか失望を禁じ得ませんでした。政権交代を目指す一方の旗頭として、全うして欲しかったものです。(2020-8-22公開 つづく)