【90】超円高のなか、民主党最後の野田政権へー平成23年(2011年)❺

●震災と民主党政権と史上最高の円高

民主党政権は、リーマンショック対応と共に始まり、東日本大震災への対応と共に吹き飛んだというのが偽らざる実態です。この間、約3年余り。「悪夢」とも「人災」とも言われる時代です。経済の観点からすると、為替市場の異常な展開があり、超円高が日本経済を苦しめます。

大震災直前の平成23年(2011年)の2月時点で、82.5円というかなりの円高でした。遡ること3年前のリーマンショック以前には、110円台でしたから、その異常さが分かります。そこへ、未曾有の大震災。その反動で相当な円安に振れると思いきや、更なる円高に向かいます。やがてこの年の10月には、75.3円の戦後最高値にまでいくのです。これはドルに対してだけでなく、ユーロに対しても、日本の円は切り上がっていきました。

この原因は、アメリカと欧州にあったのです。2010年ごろから顕在化してきた、リーマンショックの後遺症とでもいうべき欧州金融危機。これが一気に震災後の日本に壮絶なまでの影響を与えていきます。その象徴が、アメリカ国債の格付けが「AAA」から、一段階引き下げられ、「AAプラス」になったことでした。歴史上初の最上級の格付けから滑り落ちました。8月5日のことです。国債基軸通貨ドルへの信認が大きく揺らいだわけです。ここから円高がさらに加速度を増して行きました。

震災禍に喘ぐ日本の円は、昔日の面影のないドル、ユーロの弱さのために、「避難通貨」の性格をかえって強めていったとの指摘がなされます。こうした状況を、経営学者の伊丹敬之氏は「日本の経済の実態とはまるで逆行する超円高の進行は、日本の産業にとって大きな痛手となったはずだが、日本の輸出は千鳥足ながらも大きな落ち込みはせず、日本の生産は震災後にV字回復することができた」とし、それは「日本の産業の底力」がもたらしたものだと評価しているのは興味深いことです。

●大金持ちから市民活動家、そして松下政経塾出身者へ

そうした経済の動きを横目に、菅首相の震災後から退陣までの半年はまことに惨めなものでした。6月2日には野党提出の内閣不信任決議案が、民主党内からの同調者も出そうな状態で、「可決寸前」となりました。直前の同党代議士会で、「震災対策にメドがついた段階で、若い世代に引き継ぐ」と辞意への意思を表明して、辛くも「不信任決議」を回避しました。しかし、その直後に延命意図を露わに前言を翻します。このため、身内の鳩山前首相から「ペテン師」、「嘘つき」とまで罵られます。それでもなお首相の座に居座り続け、結局、8月26日に正式に退陣表明をすることになるのです。

このあと行われる同党代表選挙には5人も出馬し、野田佳彦氏がその座を射止めました。昭和32年生まれ、私より一回り下の酉年です。この時54歳。彼が民主党代表に選出され、翌日は首相に指名されることが確実になった8月29日のブログに私はこう書いています。

【宇宙人と呼ばれる保守政治家の係累でもない、ペテン師と呼ばれた市民活動家出身でもない、新しいタイプの総理の誕生である。この人は松下政経塾の一期生出身であるから、松下幸之助氏門下初の総理ということになる。同塾出身といえば、中央政界だけでなく、地方議会にも少なくない。公明党兵庫県本部で幹事長を務めてくれている吉田謙治神戸市議は同政経塾の一期生で、野田佳彦氏とは極めて親しい間柄だ。

菅政権の財務相といえば、内閣の大番頭であり、その責任はとてつもなく重かった。だが、出鱈目の限りを尽くした菅総理を嗜めた場面など記憶にない。というよりも財務官僚のいいなりと指摘されたことなど、野田氏を批判することは山ほどあるが、ご祝儀の面もあって、今日は一応最小限に控えておく。】

松下政経塾は、前原誠司、玄葉光一郎氏ら清心なイメージを持つ人材群を擁する集団ですが、果たして現実政治を動かす力たりうるかどうか。「玉石混交」ともいえ、国民の間では期待と不安は相半ばする未知数のものでした。

●内田樹さんとの京都での印象深い出会い
9月17日と18日の両日、京都の国際交流会館で、日本カイロプラクターズ協会主催の恒例のシンポジウムがあり、私もパネリストとして招かれました。厚労副大臣に就いた年いらいのご縁で、同協会のアドバイザーのような役割を果たしていることもあり、しかも開催地が京都ということもあって、参加する気になったのですが、もう一つ大きな理由がありました。それはメインゲストが思想家の内田樹さんだったことです。この人は、その頃、神戸女学院大学を退職されたばかり。『街場の現代思想』や『日本辺境論』などの著作を愛読してきた私は、ご本人に会えるのは願ってもない好機と、出かけた次第です。

この人は合気道の達人で、神戸にある凱風館道場の道場主でもあります。かつて大学時代に、合気道を志しながら、わずか3ヶ月ほどで辞めた私。その理由がランニングばかりさせられたことだと打ち明けると、内田さんは「それは残念でしたね。そんな指導者はけしからん」と大層気の毒がってくださいました。事前の打ち合わせでは、時ならぬ「合気道談義」に花が咲き、なかなか楽しいものとなったのです。

この日のシンポジウムのテーマは、「心と身体」。武道をめぐっての内田さんのお話はまことに味わい深く、興味は尽きないものになりました。なかでも、明治維新と先の大戦の敗戦時と二回に亘って、文部省が日本の武道を捨てたことは許しがたいとの主張ー学校体育における武道の位置付けーは迫力があるものでした。

また、人間は危機的状況に追い込まれぬように、状況を瞬時に判断する直感力が大事だとされたのです。具体的に「9-11」テロ事件に巻き込まれそうになりながらも、直前にその場から逃げた人の例を挙げ、そういう人の後追い調査や科学的リサーチをすると面白いとの指摘には、興味深い示唆をいただきました。

●やっと動き出したかに見えた憲法審査会

衆議院憲法審査会は、調査会の後継として2007年8月に設置されたのですが、以来全く動く気配はなく、4年余り開店休業状態が続いてきました。それがこの11月17日になってやっと開かれたのです。この日の審査会では、各党の意見表明で基本的立場を披瀝し合うにとどまりましたが、民主党の幹事が「政治の場では、震災復興が最優先。(憲法議論は)相対的に優先順位としては下がる」と述べたことが象徴的で、先行きの暗い見通しを想起させました。

民主党は、党内に改憲派と護憲派を抱えており、07年に安倍政権が国民投票法案を成立させたのが「強行」だったとして、以後審査会の開催に否定的でした。審査会が同年8月に設置されたにもかかわらず、名簿すら出さない状態が続いてきたのです。今回も社民党は応じてこず、議論進展の期待はおぼつきません。

私はこの日の審査会で、環境権やプライバシー権などを加憲するとの党の公式見解を表明するとともに、国民投票法に関わる宿題の解決には前向きの立場を表明しました。(2020-8-28公開 つづく)

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