【98】〝王国助け〟に貢献するという離れ業ー平成24年(2012年)❻

●沖縄タイムスで「オスプレイ」インタビュー

私は沖縄を一地方自治体として扱うのではなく、準国家的に位置づけよと主張してきました。いささかオーバーな表現ですが、これくらいのことをしないと、この問題は一歩も進まないのです。無神経な米軍の振る舞いは、危険極まりないオスプレイを否が応でも押し付けてきたことにも現れています。沖縄タイムスが「オスプレイへの対応」をテーマにインタビューをしたいとのことでした。9月5日付けに出たものから抜粋します。

【ー米軍普天間飛行場問題の基本的な姿勢について。

「普天間飛行場の問題で改めて出発点に立ち、名護市辺野古への移設計画を含めて過去に縛られずに、ゼロから見直していくという立場である。沖縄は47都道府県の中のひとつという考えを変え、準国家的な対応で向き合う必要がある。さらに米国世論は沖縄の現状について全く知らない。世論を動かすためには直接訴えることも重要になる。日本政府と国民、さらに米政府と米国民を変えるための本格的な取り組みが不可欠だ。」

ーオスプレイ配備の賛否について。

「公明党はかつては配備やむなしという立場にあった。だが、オスプレイはしばしば死亡事故を起こしている。米側が主張しているような「事故率は高くない」という主張は詭弁でしかない。何が何でもノーというわけではないが、現在のままでは反対だ。オスプレイが引き起こした事故を踏まえても、沖縄に配備し、全国に飛ばすことに反対する。」

ーこれまでの政府の対応についての考えは。

「防衛省が作成したパンフレットで、オスプレイについて『機体の安全性に何ら問題はない』と記述されたことを6月15日の外務委員会で追及した。米側の主張のままに、日本政府が無批判に安全性を断定した形になっていた。指摘受けて記述は訂正されたが、米軍側の主張を受け売りして良しとする防衛省の態度は問題だ。政府の説明は不十分。森本敏防衛相の『配備ありき』の態度は感性を疑う。」】

オスプレイについては7月12日の予算委員会で、エネルギー問題を糾したあと、野田首相に対して、沖縄に配備される前に、グアムにとどめる交渉をすべきだと、迫っていたのです。また、日本政府で独自に安全性を検証し、それで事故が起きた場合の責任は、日本政府にあるということをはっきりさせるべきだとまで主張したのです。

●食糧危機のレソト王国を助けて欲しいとの訴え

突然ですが、レソト王国ってどこにあって、どんな国か、知ってますか。恥ずかしながら私はその時まで知りませんでした。南アフリカの中に孤島のように浮かぶ、人口200万人ほどの国で、面積は30平方キロ。全ては山の中にあって、平地が一切なく、全土の標高が1400mを超えます。「アフリカのスイス」とも、「天空の王国」とも呼ばれる、世界でも最小の部類に入る小さな国なんです。農業と南アフリカ向けの繊維製品を中心とした輸出や国民の出稼ぎで支えられていると言われます。この国が異常気象の影響で、大変な食糧危機に陥っているとの話がある友人を通じて、入ってきました。

9月14日に、その国のリチャード・ラモエルツィ大使が金森尚人通商担当官とともに、国会の私の事務所にやってきて、直接実情を訴えつつ日本の援助を求められたのです。これまで、20年ほど国会議員をしていて、こうした陳情を受けるというのは、極めて珍しいことでした。どうして、野党第三党の小さい公明党の私にこんな大事な問題を持ち込むのか、と率直に聞いてみました。すると、今の政党の中で、一番きちっと話を聞いてくれて、問題解決に尽力してくれる政党だと思ったから、との答えでした。

背後には、「レソト王国」研究を進める学術者周辺に、創価学会員、公明党支持者がおられるようで、その方達の強い働きかけがあったようです。窓口として外務委員の私が選ばれたわけです。何はともあれ、頼まれた方は大いに発奮しました。直ちに、外務省国際協力局やアフリカ部に連携をとり、善処を要望し、大使との連携に汗をかいたしだいです。この問題、実はトントン拍子に事が運び、2週間後に二億円のODAが供与されました。関係者のお気持ちの総和もあり、人助けならぬ国助けという離れ業に貢献でき、嬉しい限りでした。ある意味、私の政治家生活最大の実績といえるかもしれません。

先日、同国の駐日大使館におられた金森さんから電話がありました。ほぼ8年ぶりのことです。その際、改めて「あの時の赤松さんのお力によってレソト王国は救われたんです。本当に国王始め大使ら皆感謝しています。ありがとうございました」と言われました。こそばゆいのを通り越してめまいがしそうでした。

●人助けに役立つという嬉しいできごと

雑誌「第三文明」の10月号で、福島と日本の未来を巡って、政治評論家の森田実さんと、東日本国際大学の前学長の石井英朗さん、そして東北大学大学院教授の安田喜憲さんのお三方が鼎談をされている中に、私のことが突然出てくると聞いて、驚きました。教えてくれたのは、同誌の大島光明社長。私が尊敬する大先輩です。

司会の甚野源次郎公明党福島県本部代表が、これからどう福島再生、日本再生を進めていけば良いのかと問いかけたのに対して、安田さんは、日本人被災者の温かい助け合いの姿に、世界が驚いたと述べています。そしてそのあと、こう続けているのです。

【先日、僕は京都駅で切符を買ったとき、財布を券売機のところに忘れてしまったんです。神戸の三宮で公明党の赤松正雄議員らと待ち合わせていて、時間がなかったのであせっていたのでしょう。赤松議員にそのことを話したら、「安田さん、財布はきっと出てきますよ」と言われたのです。私はそのときは半信半疑でしたが、夕方になってまた京都駅に行き、どうせもう出てこないだろうと思いつつ、一応駅に申し出たんです。そうしたら、ちゃんと誰かが拾って届けてくださっていた。現金もカード類もなくなっていなかった。そのとき、僕は感動して「ああ、日本は大丈夫だ。赤松議員の言われたように、人を信じる心を醸成すれば、日本は必ず復興できる」と思ったものです。

その後、東北大学の授業で学生たちに「落とした財布がちゃんと戻ってきた経験がある人はいますか?」と聞いたら、六人が手を挙げました。それだけ日本人は信頼し合うことができる。なぜかというと、日本人は自然を信じることを持っているからですよ。その心を僕は「アニミズム」と表現しているのですが、自然を信じ、自然の中に神仏を感じる心があるからこそ、人と人が信じ合う心も出てくる。それが、今回のような災害のときにも発揮されるわけです。】

あのとき、三宮のホテルで、遠来の共通の友人と一緒に待ち合わせていました。姫路に案内するつもりだったのです。現れた安田さんは、「財布落としてお金がないからタクシー代を立て替えてくれ」と言われました。驚きました。すっかりしょげていました。私は自分の経験に照らして、出てくる、大丈夫だと激励しただけです。信じる心を醸成すれば日本は必ず復興できるなんて、偉そうなことを言った覚えはありません。

ともあれ、財布が出てきたことがよほど嬉しかったのでしょう。天下に名だたる環境考古学者も、同じ人間だと思うとともに、物忘れに気をつけよう、と改めて自戒するのみです。(2020-9-13 公開 つづく)

 

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