●再び与野党逆転。自公が政権に復帰
2012年の年の暮れも押し迫った12月26日。第46回衆議院総選挙は投票日を迎えました。結果は、自民党が119議席から294議席へと地滑り的大勝利。一方民主党は230議席から57議席と壊滅的敗退。再度政権交代が起こり、民主党は僅か3年で下野することになりました。この間、野党になっていた公明党も与党の座に返り咲きます。21議席から10議席増の31議席になりました。この選挙では、日本維新の会が11議席から54議席になったことも特筆されます。そして、安倍晋三元首相が復活、第二次政権を担うことになりました。
この一連の動向を一市民、一前議員として見ることになった私は、先の大戦直後の衆議院選挙でひとたびは政権につきながらも、直ぐに政権を去った日本社会党を思い出していました。民主党も「一度やらせてみては」との声を背景に、政権を奪取したのですが、その政権運営の稚拙さから下野せざるを得なかったのです。これで、民主党は再び政権の座につくことは難しかろうと思いました。尤も、戦後まもない当時と今とでは選挙制度が違うので、必ずしもこの見立ては正しいかどうかは分かりません。ただ、多くの国民が抱いた失望はそう簡単に取り戻せないと思ったのです。かくいう私は、二大政党制の実現を待望し、「早くおいたて民主党」と敵にエールを送ってきただけに、少々残念な思いを持ったことは正直否めなませんでした。
新年からは、旧兵庫4区つまり姫路市を中心とした播州地域を始め、兵庫県全域へのご挨拶まわりを始めました。各地の公明党の市議、町議の皆さんの車に乗せてもらい先導していただきながら、一軒一軒回ったのです。といっても、ほぼ25年前の初挑戦の時のようなわけにはいかず、かなり間引きした形でのお礼回りになったことは残念なことでした。
●お世話になったあの人、この人に挨拶回り
平成の初めに選挙活動に入り、初当選まで足掛け5年。当選から引退までの20年、合計25年の間にお世話になった人々は膨大な数になります。引退したことをお伝えし、直接お礼を述べるべく、まずは姫路市を中心にした旧中選挙区を回りました。その行為の中で、過去の様々な出来事が思い浮かんできました。姫路市での忘れ得ぬ出来事は、婦人支持者の代表的な存在だった長瀬昭子、西本時代さんのお二人が活動の最中に車中で信号待ちされているとき、後ろからきた車に激突されたことです。幸い最悪の事態には至らずに済みましたが、この時は肝を潰しました。と同時に姫路市、兵庫県の選挙での「宿命転換」をしたのでは、と大袈裟ながら思ったのです。
と言いますのも、これまで選挙戦の最中に、候補者が交通事故で亡くなったり、事故死されたケースが散見されたからです。特に姫路市から県議に出ていた今井さんが選挙期間中に自転車で走行中に車に跳ねられて亡くなり、急遽ご夫人が出馬されたことは聞かされていました。事故にあわれたお二人は、候補者たる私の身代わりになられたと思わざるをえなかったのです。それが無事だったことは、本当に「守られた」とホッとする思いでいっぱいになりました。
姫路の県議選というと、いつも大激戦でしたが、故北川東作さんが僅か7票差で当選したことは今もなお語り草です。この人は誠実そのものの人で、車を運転されず、どんなに遠くでも自転車で移動されたようです。私の初の選挙では事務長をしていただきました。公明党の地方議員のお手本のような真面目そのものの方でした。また、元県議では難波功さんも挙げねばなりません。この人は元山陽電鉄労組幹部で、私の叔父・保男の後輩でもありました。労組で鍛え抜かれた論客でしたが、心底からの優しさを持った人です。多くの人々が選挙中に「声は高いが、腰は低い難波いさお」と称えていたのも、むべなるかなと思ったしだいです。私よりひと世代上の大先輩ですが、ありとあらゆる面で助けていただき、今もそれは続いています。
●今も瞼に残る光景の数々
姫路での選挙戦ー中選挙区での2回の選挙ーは今もなお語り継がれる大激戦でしたが、瞼に残る様々の光景から一つだけ印象深いものを挙げてみます。遊説カーで走っていたときに、遠くの道路を車イスで動いていた青年が私の姿を見て、手を振り不自由な足を上げて、文字通りころがらんばかりの振る舞いをしてくれたことです。故福田佳之助市議のご長男・佳弘さんでした。涙ぐましい応援をありとあらゆる人々から頂いたのですが、その象徴的な場面として、今もなお目と心に焼き付いています。
また、お世話になった関係者とのお別れ懇親会も数次に渡りました。例えば外務省の皆さんとは、総選挙の終わった翌12月27日にやりました。木寺昌人官房長の音頭で親しい仲間数人が集まってくれたのです。有り難いことでした。木寺さんはその後中国大使を経て、現在フランス大使をされていますが、先年私がフランス、ドイツ、ベルギーに友人と共に旅をした際に、再会できました。女性として初の同省・局長級ポジションについた佐藤地(くに)さん(当時ユネスコ大使、前ハンガリー大使)も、交友深いものがあり、パリの大使館に駆けつけてくれて、束の間の旧交を温めることになったのも忘れ難い一コマです。
人との出会いと別れについては、色々な思いが絡むのですが、積極的に出会いを求めて動きに動いてきた私です。とくに対人関係では「衆議院議員」のくびきから解き放たれたこともあって、自由奔放さが輪をかけたのかもしれません。偶然もそこに重なって、我ながら驚きのご対面をすることになりました。(2021-1-30一部修正)