【14】兵庫県知事との同い年の熱い繋がりー平成26年(2014年)❻/3-28

●県議会公明党の仲間たちと病気と

大野議員に続き、尼崎を地盤とする下地光次議員も同じように突然脳出血で倒れてしまいました。5年前の参議院選の準備段階で候補者を連れ歩いている最中だったのです。彼も活力漲る県議として3期目の当選の一年後でした。しかもその後しばらくして脳梗塞も併発したのです。このため次の選挙(令和元年)では出馬を断念し、後進に道を譲りました。ガッツのある彼のことゆえ、必ず第三の人生に向けて、雄々しく立ち上がってくれるものと確信しています。

また、議員任期を勤め上げたあと、病が発覚し、闘病ののちに逝去した議員もいます。渡部登志尋議員です。豪放磊落、明るく元気で文字通りの酒豪でした。泣いてる子どもも黙るとまで言わぬまでも、誰しも聞く耳を立てる弁舌家で、その死は党派を超えて惜しまれました。

普段から健康管理に気をつけるよう、後輩たちに強調してきました。激務の連続でつい無理を重ね、その狭間で酒を飲む機会も増える傾向があるようです。そんな中で、不思議なほど元気なのが井戸敏三兵庫県知事です。彼が東京から兵庫の副知事として天下ってきた時以来、同郷(西播磨生まれ)、同い年(共に昭和20年生まれ)ということもあって、親しい付き合いをしてきましたが、そのタフネスさには舌をまくばかり。一緒にお酒を飲む機会もありますが、いくら飲んでも平気というのが率直な印象です。

●井戸兵庫県知事との交遊

この年(2014年)における井戸知事との交流で忘れ難い出会いは二つ。一つは、朝日新聞の大阪本社社長に新たに就任した持田周三氏との懇談(4月22日)です。持田さんは、市川雄一元党書記長の秘書を私がしていた頃からの付き合いです。当時は市川さんは国対委員長でした。持田氏は番記者として辣腕ぶりを発揮する一方、市川さんと代議士と記者の関係を超えるような深い人間的付き合いを重ねていました。

持田氏は関西にその仕事場が移ったとあって、兵庫県知事と会いたいとのことで、私が仲介しました。談偶々健康談義になって、六甲縦走の経験数知れずという知事の健脚ぶりが話題に。毎朝丹念に各種のストレッチを欠かさないという知事の発言に、私も負けじとばかりにスクワット自慢を。結果、持田さんの前で二人が競争をする羽目に。イッチ、ニッ、サン、シーと並んで屈伸をしてしまったのです。二人の姿を見て、彼は「爺さん二人がよくもまあ」と笑いつつ、驚き、やがて呆れることに。この勝負は残念ながら、私の負け。兜を脱いだ次第です。

もう一つは、関経連の松本正義副会長(当時=住友電工社長)との懇談(10月3日)です。話題は東京五輪、ワールドマスターズゲーム等を始め多岐に飛び交ったことを思い起こします。松本氏は淡路島出身。この頃、「瀬戸内海島巡り協会」の設立に向けて、私は奔走し始めており、知事と松本さんとの顔合わせに動いたのもその延長線上のことでした。松本さんは、私の小学校同期の三野哲治君と住友電工の一年上、中学校同期の志村勝之君が一橋大同窓ということで、話は大いに盛り上がったものです。

井戸知事は姫路の我が家にも西明石のマンションにもやってきています。公私ともにあれこれと語り合う仲です。前年に4期目の当選を果たして、2年目に入ったばかりのあの頃ーその3年後に5期目に挑戦、今もなお知事現役を続けているとは流石に私も予測できませんでした。(2021-3-28 一部修正 3-29)

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