【12】この映像から目をそむけるな━━映画『激動の昭和史 沖縄決戦』を観る/6-25

⚫︎戦場を徘徊する幼女と寝言で母を呼ぶ軍人の対比

 6月23日『沖縄慰霊の日』に、映画『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)を観た。岡本喜八が監督、脚本は新藤兼人である。これまで何本も観てきた「反戦映画」の中でも出色のものだと確信する。その理由は、戦場を徘徊した後にエンディングを象徴する3歳ぐらいの幼女の姿と、日本軍人の典型と見られる丹波哲郎扮する長参謀長の描き方にあると思った。幼女の作為なき天衣無縫の振る舞いと、ぎこちなさが突出した軍人役の演技と。この相反した2つの映像が映画を見終えたあと無性に迫ってくるのだ。

 洞窟を改造して作られた野戦病院での怒号、悲鳴が飛び交う中での鋸で足を切断するシーンなど目や耳を覆い隠したくなる場面の連続。そういった中を飄々と歩き彷徨う幼女。見終えた後でその残像がジワリ蘇る。一方、逞しい上半身を曝け出した将校が、「お母さん」と幾たびか寝言を呟く場面ほど、怪しげで〝らしくない〟カットも珍しい。戦さを偉そうに議論する〝うつつ〟と、母を求めて口にする〝夢枕〟との落差。言語を絶する戦争の悲惨さを突きつけ、胸掻き乱させるこの映画は稀有な存在だ。

 そう、何もかもが異常で、常軌を逸したとしか言いようがない惨状。大本営なる戦争遂行の中枢が「機能不全」となった。そこから発せられる支離滅裂な指示に翻弄される最前線。あの太平洋戦争で唯一の地上戦が展開された「沖縄戦」こそ現代日本人が幾たびも反芻し学習する必要がある歴史の一頁である。それは一瞬にして何もかもが瓦礫となった広島とは同じ地獄でも、次元を異にしたもう一つの地獄なのだ。広島、長崎は沖縄とは「点と面の違い」と言えるかもしれない。戦争の残酷さと卑劣さにおいて区別はない。点は限りなく深く、面はどこまでも無限に広い。そんな史実を学ぶ上でこの映画は比類なく貴重なものに私には思われてならない。

⚫︎歴史の書き換えを持ち出す誤認識の政治家

 戦後80年の「沖縄慰霊の日」を前に大きな話題になったのが、自民党の西田昌司参議院議員の発言である。那覇市で開かれた会合で、「ひめゆりの塔」の展示を巡り、彼は自身の古く誤った認識で、いわゆる「自虐的歴史認識」を上げつらい、「歴史の書き換え」だと批判した。後に、多方面からの批判を浴びて、発言を謝罪し撤回した。この経緯を振り返る時に、彼こそこの映画を見るべきだと思った。一連の史実が過不足なく忠実に再現されていると確信するものだからである。

 実は、この映画には「敵」の姿が全く見えない。日本国内での地上戦だから、当然米兵と思しき相手は幾たびも出てくる。海から陸への上陸風景や進みくる戦車の後方に、そして洞窟の中に火を投げ入れる場面にと。しかし、いずれも米兵とは確認できない。音声とその文字はカタカナで、「デテキナサイ、コウフクスレバイノチはタスケマス」などと、それらしき雰囲気を醸し出しはするのだが‥‥。実像は確認出来ない。

 この姿なき米兵の存在との戦いの映像を振り返って、ふと「歴史の書き換え」などといった実態とかけ離れた虚像を作り出してしまう人間の愚かな性(さが)に思いを致さざるを得ないのである。(一部修正2025-6-26)

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【11】ほんものの「建築」と「大自然」の大事さと━━「今週の本棚」から/6-22

⚫︎「腐る建築」と「ポストモダン」建築の脅威

 「今週の本棚」(毎日新聞21日付け)は、実に読み応えがあった。松原隆一郎は、「建築」なるものを根底から考えさせてくれる2冊を紹介したうえで、「現在の日本社会は、樹木を伐採する再開発を乱発している。黄昏時や木漏れ日の記憶は現実にたどり返せなくなるだろう」と結論づけている。『ファスト化する日本建築』(森山高至)と、『建築と利他』(堀部安嗣、中島岳志)である。我々の目の前に展開する日本の「建築」の劣化ぶりが分かる一方で、建築素材としての樹木の美しさと尊さを改めて印象づける2冊にも強く惹かれた。藻谷浩介による『奥入瀬でネイチャーガイドが語ること(第一集)』(河井大輔編著)と『エコツーリズムは奥入瀬観光を変えうるか』(河井大輔)の2冊の書評である。松原、藻谷のこの2書評を今回の一推しとしたい。

 僕は松原の評を読みながら、「建築」だけでなく、現代日本における「創造」の根幹が「ファスト化」で脅かされている現実に気づき、自身もその愚行に加担している恐れを抱く。前回にも触れたように、膨大な情報を入手する手法や表現方法の簡便化は急速に広まっているが、気をつけねば、早ければ、短ければよしとする風潮に流されかねない。直接には「建築」マターではないが底部で通じる。

 我がブログも敢えて長文を厭わず長めのものを書いたり、できうる限り背景を説明しようとしてきたこととも繋がっているように思われる。ともかく短く、簡素化するのでなく、論理だてを優先したいものだと思う。かつて幸田露伴の『五重塔』を読んで覚えた感動は、「建築」のファスト化の真反対に位置するものに違いない。

⚫︎森の中のぶらぶら歩きの醍醐味を味わうこと

 一方、藻谷の評で取り上げられた2冊で、僕はかつて妻と一緒に行った「奥入瀬」の素晴らしき風景を思い出した。数少ない夫婦での旅の一コマだが、緑滴る一大絵巻とでも表現するしかない10キロほどの渓谷を2人で疲れながら歩いた遠い日は忘れ難い。しかし、それは味わい深さにおいて、到底ここで語られる「本物のガイド」による説明を聴きながら歩くことには比べるべくもない。この本を手にしてもう一度チャレンジしてみたいと心底から願う。

 河井が「自然保護区でもある渓流の全体を博物館(=入場料を払い、ルールを守りつつぶらぶら見学するだけの空間)として、再定義すべきだと提言する」という。このくだりを引用した藻谷は、「実現すれば、奥入瀬は、アジア、いや世界の宝となって、末長く自然の宝庫としての日本のブランドを向上させることになるだろう」と結んでいる。

 だが、「博物館」なる言葉が醸し出すイメージはあまり僕にはフィットしない気がする。先年訪れた島根県安来市の著名な庭園・足立美術館での負の体験(庭園内を歩けずガラス越しで観る)が邪魔をしてしまうからだ。もちろん、この比較はお門違いだが、全体を「博物館」化するという発想についていけない。我が感性の方を大事にしたく思うのだがどうだろうか。

 最後に、今週の本棚の2頁目の上段にある『歩くを楽しむ、自然を味わう フラット登山』(佐々木俊尚)は、ミニコラムながら強く惹きつけられた。僕が今もなお、公益財団法人『奥山保全トラスト』の理事を務めさせていただき、若いメンバーと共に奥山を歩く(滅多にないが)ように心がけていることを蛇足だが付言しておきたい。(敬称略 2025-6-22)

 

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【10】覇権国家米国の失墜と世界秩序の行方を探る/6-20

⚫︎リアルな国家間の激突と経済の動向

 世界中が大混乱に巻き込まれ、今や地球は地獄の淵に立ったかに思われる━━イスラエルがイランの核に対する自衛のためと称して、空爆を開始し、その反撃から両当事国間の応酬が続く。ウクライナ戦争も中東・パレスチナでのガザをめぐる戦闘も未だ終焉の兆しはうかがえそうにない。冷戦時代なら、米ソ両大国の「仲裁的行為」がそれなりに効果を発揮したやも知れぬ。だが、今や一方の旗頭だった国家が先頭きって国際秩序を乱すルール違反をおかすし、他方の超大国は停戦の掛け声をかけたふりはしても、その実、真意ははかりかねる。といった〝無頼の極み〟の横行で、世界は〝無法状態〟に突入したとの見方が否定しきれない。国際社会はまさに無秩序の様相が一段と濃い。このほど開かれたG7(主要7カ国首脳会議)も、肝心の米国のトランプ大統領が早々に帰国するなど、理由はともあれ絵に描いたような「無責任大国」ぶりである。とりあえず今話題の著作を読み解くことから、この事態の行方を考えてみたい。

 実は、昨今、齋藤ジンという人物の『世界秩序が変わるとき』という本が世間で話題となっている(かに思われる)。サブタイトルに「新自由主義からのゲームチェンジ」とあるように、軍事的抗争ではなく、金融、経済分野でのせめぎ合いに、一応は的を絞ったものである。この著者は、ヘッジファンドをはじめとするプロの資金運用者に助言をするコンサルタントなのだが、この本では、今世界経済が直面する課題を適切かつ分かりやすい分析がなされていて興味深い。

 つまり、戦後の世界経済は、「ケインズ主義」の旗のもとに展開された「大きな政府」志向の時代が1980年代半ばまで続いたが、90年代に入って、「新自由主義」による「小さな政府」の時代へと変化したと、明解に仕分けている。レーガン、サッチャー(ちなみに日本では中曽根)氏らによって牽引されたレーガノミックス、サッチャリズムと呼ばれた経済政策の展開である。いらい、40年近い歳月が流れて(この間は日本のアベノミクスが有名)新自由主義的世界秩序が、漸く変わろうとしているというのである。

 世界が戦争の連鎖に喘いでいる最中、世界経済の秩序の変化とは?さて、吉と出るか凶と出るのか?

⚫︎覇権国家のパートナーという〝甘い立ち位置〟

     こう述べると、拙著『77年の興亡』で分析した1945年からの戦後の時代主潮が、高度経済成長のピークからバブル絶頂へと進み、やがてバブル崩壊を経て「失われた30年」に突入していった「枠組み」と見事に符合して、我が意を得たりとの錯覚すら覚える。

 齋藤氏の分析は、近代日本は時の覇権国家のパートナーとして、良しにつけ悪しきにつけ、利用されてきたと見る。明治維新からの77年という第一のサイクルでは、19世紀から20世紀前半にかけての覇者・英国は、「帝政ロシアの勢力拡大を抑えるため、東洋に同盟国を求め」、その結果当時の日本は、「韓国を併合しても、満州に手を出しても許され、経済的に繁栄した」というわけだ。日本はあくまで受け身で、なにをしてもされても主体的な行動の結果とは見做されない。

 そして、第二のサイクルでの米ソ冷戦下においては、覇権国家・米国が「ソビエト・ロシアを封じ込めるため、日本の経済発展を助けてくれた」というのだ。「ジャパンアズナンバーワン」と持て囃されたあげく、やがて「お役御免」とばかりに、切り捨てられ、「失われた時代」へととって代わられる。

 その後、40年ほどの雌伏のときを経て、三たびのチャンスが来ているとの見立てを齋藤氏はする。すなわち、新自由主義の秩序から新たに、「宇宙開発から核融合、AI、量子技術、脱炭素、バイオを初めとするグリーンエネルギー、防衛装備共同生産品‥‥中国を意識した日米連携が今後こうした領域を中心に活発化していく」というわけである。米国による中国封じ込め戦略の本格化に向けて、その片棒を担ぐことで、日本が再び脚光を浴びるという見立てである。

⚫︎対米楽観論にだけ同調するのでは心許ない

だが、果たして、そううまく行くかどうか。この著者は、トランプの登場で、揺れる米国社会を外から見ると「機能不全と映るかもしれないが、逆説的にはアメリカのダイナミズムそのものと捉えることも可能」だといい、返す刀で、「国家の根本が壊れずに動き続けてるところがアメリカ社会の凄さだと言える」と、どこまでも「楽観主義」に貫かれた見方を提示していく。

確かに過去からの時代の持つリズムと、世界経済体制における新自由主義の綻びによって、「何か新しいものにとって代わられる」との予感は漂う。「77年の興亡」の次に来たるものは何か、との自問に攻め立てられる我が身としては、〝渡りに舟〟とばかりに乗りたくなってしまう。「今はその過渡期なので具体的に何がどうなるのかはわからない」ものの、しきりに「何がしかの均衡点が生まれるはず」と強調されると、いやまして同調したくもなる。

 ヘッジファンドに助言をするコンサルタントとは、かくほどまでに骨の髄まで対米同調意識に支配されているものかもしれない。覇権国家・米国の足元が揺らぎを見せ、崩壊の兆しさえ浮上する中で、楽観的見立てに惹き込まれそうな我が身を叱責する声がどこからか聞こえてくる。(2025-6-20)

 

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【9】日本唯一の坑道ラドン浴の映画製作━━〝友人の変身〟を追う(下)/6-15

映画『ラドンの奇跡』試写会前に挨拶する亀井義明さんら(姫路市で/6-13)

⚫︎『ラドンの奇跡』を生み出した15年の軌跡

 赤穂に住む友人が、約15年前に金鉱山の跡地で健康保養施設を作りたいと思うがどうかと相談を持ちかけてきた。彼の息子の仲人をしたり、娘の結婚披露宴にも呼ばれたりする仲だったので、家庭の事情も人柄もよく分かったつもりだった。お金儲けのための山師的なところがあるわけではない。むしろ地域に絶大な信頼もあり、地道に企業経営に取り組む真摯な男だった。その後彼が様々な有為転変を経てついに日本唯一の坑道ラドン浴「富栖の里」を作り上げた。そしてこのたび、その経緯と威力を世に問う映画『ラドンの奇跡』を製作した。姫路での試写会に参加し、僕の友人2人目の「変身」のケースを探ってみた。

 その男・亀井義明氏(79)が試写会の開会前挨拶で、ここに至るまでの資金繰りや事業継続に当たってのヒト集めの問題で幾たびも挫折しかけたが、最も厳しかったのは妻の突然の病気だったと語った。車をひとりで運転している最中の強烈な頭痛。運良く息子の嫁に危急の連絡がつき救急搬送され手術を受けて成功はしたものの、その後も間断なく痛みは襲いきたった。そばで苦しむ妻の姿に、幾たびか事業の継続はもう諦めるしかないと思ったという。その頃の苦闘を僕は聞き及んでいただけに、このシーンに直面した時は、あたかもスリリングなドキュメンタリー作品を観るようだった。

 その間の状況はそれなりに知ってはいた。強い信仰心に支えられた持ち前の意欲と闘争心は半端じゃない。人のために役に立ちたいとの熱き心が、苦しいときにも負けるもんかとの思いで貫かれたに違いない。尤も、映画好きな僕の好みとは些か違う。坑道ラドン浴の効能を具体的なケースごとに解き明かす体験談特集のような趣きがある。ただし奇跡的に病気が治ったものばかりではない。残念ながら医者の見立て通り亡くなった場合でも、苦痛に負けず希望を持ち続けた明るい生き様の披瀝が凄いのだ。

⚫︎初心貫徹の背後に「具体的に人のために役立つ」ことへの執念

  亀井氏から最初に相談を受けた際のことを改めて思い出す。あれこれとその計画の概要を聞いても、直ぐにはとてもオッケーとは言えなかった。辞めといた方がいいと、安全運転に徹するべきだとの穏健な意見を述べたことを覚えている。少量にせよ放射能を人体に浴びることが様々な病巣に効力を発揮するということがよく理解できなかったし、仮にいい結果をもたらすにせよ、人里離れた山奥にそんな施設を作るなど、60歳台半ばの人間のすべき事じゃないと〝常識的な考え〟に左右されたものだった。

 しかし、そんな通り一遍の否定的見解に説得される男ではなかった。彼の妻・貴世子さんも猛反対をしたが、結局彼は自らの思い通りに計画に着手した。2009年頃だった。以来、その道の先達の岡山大の山岡聖典教授や中村仁信大阪大名誉教授を始めとする日本中の学者や研究者の賛否両論を聞きながら、オーストリアのバドガシュタインにある類似の施設にも幾度か足を運んで視察、研究を重ね続けた。

 その間僕も旧知のがん研究で有名な中川恵一東大准教授(当時)らに紹介して意見を聞くお手伝いをするなど、彼の熱意にほだされて次第に協力的姿勢へと変わっていった。『みんな知らない低線量放射線のパワー』というタイトルで、僕が偉そうに、電子本を発行した(2017年)こともある。反対した時から既に10年近い歳月が流れていた。「変身」は亀井氏だけではない。こっちまで強い影響を受けたのである。

 この数年は、ぜひ自分の苦労談を本にしたいと相談を受ける機会が増えた。しかし、その彼が本ではなく、映画を作りたいと言い出したのは2年ほど前のことだった。呆れた。その間、苦悩を乗り越えた多くの利用者からいかに効能があったかを聞く喜びを語り聞かせられたものだ。その語り口調たるや一起業家の姿ではなく、慈愛溢れる有能な〝ホルミシスの伝道師〟そのものだった。多くの坑道利用者の喜びの声に支えられて、コロナ禍の不幸な巡り合わせにもめげなかった。これからはクラウドファンディングの全国展開で、「富栖の里」が一段と有名を馳せることが注目されよう。僕は精いっぱい応援をして、我が見通しの甘さを更に証明したい、との自虐的な思いさえ抱くに至っている。(2025-6-15)

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【8】「今週の本棚」から「情報摂取」を考える/6-14

毎日新聞の今週の本棚(6-14付け)

 今週の読書(毎日新聞『今週の本棚』欄を読み解く)については、前週とは違って、ベスト書評をいくつかあげるのではなく、14冊の本の書評の中から、情報摂取のあり方について、私がどう感じたかについてお伝えします。

⚫︎〝読まずとも分かる〟との気分にどう立ち向かうか

 武田砂鉄さんが『奪われた集中力 もう一度〝じっくり〟考えるための方法』(ヨハン・ハリ)について、この欄の初登場者として書評している。僕も含めて日常的に膨大な情報に接する中で、本、新聞やテレビメディアから入手するものを、落ち着いて考えるどころか真っ当に最後まで読むゆとりがない。僕なんか、相変わらず2〜3冊の本の並行読みは当たり前で、新聞記事も前文と結論だけで読み飛ばすことも多い。「さまよう気持ちを許容する心の余裕」(新聞の見出し)は滅多にないことが多い。この本がそのあたりの方法論を述べているのなら読みたいところだが、残念ながら惹き込ませられるような、引用というか、さわりが発見されない。

 僕なら、いくつか著者ハリ氏の提起した方法を俎上に挙げて、料理するのだが。それを発見できず、最後まで読み通せなかった(読んだが、得心がいかなかった)のは残念だった。

 ついで、沼野充義さんによる『過去と思索』全7冊(アレクサンドル・ゲルツェン)は、見出しの「『幻の名著』が読まれる時代が来た」に、まず惹き込まれる。「『戦争と平和』や『カラマーゾフの兄弟』と並んで書棚に置かれるべき作品」という記述にも。そして最後の「ゲルツェンがいまロシアで生き返ったら、きっと強権に追われてまた亡命の身となり、ウクライナを応援するに違いないと、私は想像する。自由を求める闘いはいまでも続いているのだ」とのシメのセリフで、なるほどとばかりにストンと落ちる。

 でも、この本を手にとって読もうとする気にはならない。〝読まずとも分かる〟との思いに負けるのだ。これも情報処理、摂取へのゆとりがないということだろう。

⚫︎世界史における「戦間期」への探究心

  今週は僕にとって難しそうな切り口の本が多くて読もうという気にならないものが多い。だが、『花森安治とあこがれの社会史』(佐藤八寿子)については、ちょっぴり違う。花森が我が母校(長田高校の前身神戸三中)の誇るべき先輩であり、「ていねいな暮らし」を戦後大衆に呼びかけた『暮しの手帖』の初代編集長ということもある。同時代の他誌が集団としての「われわれ」を想定して編集されたのに対し、『暮らしの手帖』は、「一個人を強く意識させる『すてきなあなた』や『人とはちょっと違う私』のもの」であった。つまり、「同調装置ではなく、差異化装置である」というわけだ。

 そして、かつて「付和雷同の精神」を嫌悪した花森が、今なら「SNSというプラットホームに『あこがれ』心を操られている私たちに手厳しい言葉を投げかけそうだ」という結論もわかりやすい。結局これも〝読まずとも分かってしまう〟という気にさせられる。

 となると、読みたいという気になったのは「著者インタビュー」の囲み欄で取り上げられた『外務官僚たちの大東亜共栄圏』(熊本史雄)ぐらいである。インタビュアーの栗原俊雄記者は、その一貫した国家悪への憤りの目線が卓越しており、注目される。「戦間期」とされる1920〜30年代を主な研究対象とする著者が「戦争の原因を探りたく」、国を滅ぼした構想(大東亜共栄圏)の源へと遡る姿勢は、読者として大いに興味を唆させられる。尤も探究途上だからこれは読んでも分からないだろうが、考える糸口にはなるに違いない。

 他にも、先日ラジオで聞いたお声が妙に元気がなかったことで気になる養老孟司さんの評『心臓とこころ』(ヴィンセント・M・フィゲレド)やら、「ペットロス」について「近現代の著名人100人余が残した152の言葉を集め、まとめた」サラ・ベイダーの本など興味を惹くものもあるが、強いインパクトを持つには至らない。(一部修正 2025-6-14)

 

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【7】「選挙」こその出会いと語らい━━尼崎から西宮へと走る/6-10

 参議院選、都議選が踵を接して待ち受けるなか、8日には尼崎市議選が告示されました。本日10日は、前回(5日)からの2人の友人の変身について、もう1人の友を取り上げ掲載する予定でしたが、急遽変更して、「尼崎から西宮への出会いと語らい」をお伝えします。(〔下〕は15日付けに)

⚫︎35年前の「候補付き」との「共戦再現」

 同市議選(定数42)には公明党から12人が挑戦します。現職10、新人2です。そのうち朝10時半からの第一声に僕が駆けつけたのは、土岐(どき)良二候補の事務所でした。実は1990年(平成2年)の第39回衆議院選挙に初挑戦した際に、姫路独協大生として支援の戦いを展開してくれたのが土岐君だったのです。いらい35年。文字通り、光陰矢の如し。当時の学生も尼崎市議になってから4期16年が経っています。そしてあの頃候補者だった僕も、引退して12年です。

尼崎市議選告示日の事務所開きのあとの演説風景(6-8 大物公園)

 この日は、当時土岐君と「同期の桜」だった河本芳樹君も細君と一緒に和歌山市から駆けつけてくれました。彼は僕の衆議院初挑戦の時の「候補付き」として、車の運転を始め身の回りのことをお世話してくれた「恩人」でした。つまり、遠い昔の共戦の仲間3人が年を経て集まったというわけです。これまで各種選挙ごとに幾度となく戦ってきて、その都度独自のやり方━━自分の気分が盛り上がるまで工夫を凝らすのがポイント━━を実行してきましたが、今回のケースは僕にとって大いに楽しく意義深いものでした。〝楽しくなけりゃあ選挙じゃない〟という自論を改めて実感したしだいです。

 事務所びらきのあと、友人宅訪問を個別や合流して回ったりしましたが、35年前の「候補付き」との「共戦再現」は、少々大袈裟ですが、万感胸に迫るものがありました。尼崎はこの半世紀、「最強兵庫」構築の先駆を切ってきた土地だけに我が友人たちも市内隅々に散在しています。この日は私が顧問を務める一般財団法人「日本熊森協会」関係者や、同じく一般社団法人「AKR 共栄会」事務局メンバーに加えて、垂水中学校同窓の仲間宅を訪問して、玄関先での〝束の間の熱い語らい〟を重ねました。手応え十分でした。

⚫︎「元女子大生事務員」の成長した姿に感激

  この日午後は尼崎市と境を接する西宮市甲子園口に住む、私の現役時代に事務員を務めてくれたIさんのおうちを訪問して久闊を叙するひとときを持ちました。彼女は当時上智大生で、憲法学の権威・樋口陽一教授の教え子。フラメンコ愛好会のメンバーでもあった知性とユーモア溢れる元気いっぱいの女性でした。僕の事務所は彼女を始め上智、中央、慶應、創価など女子大生ばかりをアルバイターとして雇用していた知る人ぞ知るユニークなところだったのです。

 彼女は大学卒業後、南太平洋にある有名なホテルに就職し、フランス人男性と職場結婚をしました。これまで30年近い歳月を遠くから見たり聞いたりして、その後の成長ぶりに、目を細めてきたものです。10年ほど前に会った際には未だ小さかったお子さんも、高校2年生の男の子は逞しく、中学2年生の女の子は爽やかな目を見張るほどの変貌を遂げていました。

 夫君との流暢なフランス語でのやりとりを耳にした後、懇談は僕がこのほど上梓した拙著をめぐる話題から高校サッカーに至るまで多岐に渡りました。あっという間の40分間で、「選挙」が口の端に登らなかったことを別れ際になって気づいたほど。来月12日に開く僕の出版記念交流会での再会を約束して別れました。30年前の女子大生の確かなる母親への変身を目の当たりにして、この出会いも「選挙」のおかげだとの充足感と幸福感を持ちつつ、「共戦の友」と一緒に、次の場へと移動する車に乗り込んだものでした。(2025-6-10)

 

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【6】「今週の本棚」から僕のベスト3を選び読む━━書評の評(6-7)

今週から週末に限って、新聞から僕が強いインパクトを受けた記事を紹介したい。

 まず、毎日新聞の『今週の本棚』(6-7付け)から。読みたい①は、宮本輝『潮音』全4巻。「着眼が素晴しい」から始まる川本三郎の書評がいい。富山の薬売りの話かと思って気楽に読み始めたら、蝦夷、富山、薩摩、琉球、清の一大商圏をめぐる「密貿易」という「鎖国時代の穴」についての日本近代の夜明けを描く中身だった。「この小説には幕末の大事件の数々が次々に語られゆく」━━こうくれば読まずにはおられない。

 ②は、町田明広編『幕末維新史への招待  国際関係編』。3部に慶応福沢諭吉研究センターの旧知の都倉武之教授が登場する。「福沢諭吉の『西洋事情』が『革命の指南書』だったとする指摘が興味深い」とした上で「同書は、著名な割に通読されることがほとんどないこともこの論考で知った」とある。ウーム。諭吉の研究に生涯を捧げる人の言葉だけに重い。

 ③は、秋元康隆『その悩み、カントだったら、こう言うね』(渡邊十絲子評)。人が哲学研究の本を書くのはなぜか。3つある。一つは啓蒙。二つは探究。三つは「筋を通す」ため。この三つめが重要である。〈カント倫理学が私たちが生きる上での指針となりうると考えています。後半は、先入観にとらわれず自分でものを考えろとカントは言ってるのだから、寄せられた悩み事に「カントの言葉のみを用いて答えるのでは、カントのいう『名声の先入観(あの人が言ってるのだから正しいという思い込み)にとらわれていることになるのではないか。だからカントの言葉を批判的に吟味しつつ、より学問的な疑問を扱っていく」ことにしようと決めたというのだ。

自分自身の考えや、なすべきことについての「限界」をめぐって「カント倫理学の解釈という問題へどんどん踏み込んでいく。ここがこの本の真価だ。カント盲信ではない」との渡邊さんの記述は興味深い。ここまで読み進めて、僕は、似て非なる「学問と信仰」の世界に考えが及んだ。

 つまり、学問では批判的吟味と疑問の扱いがとても大事だが、信仰、とりわけ「教義」については。それが許されない。師の教えにはすべてその通り、との受容が弟子の弟子たるゆえんだからである。妄信と純信の差は紙一重にして、壮大な差かもしれないのである。

 渡邊さんは、私見と断りつつ、伝統芸能や職人の修行における師と弟子の関係では、最後の最後に同一化しきれないものがどうしても出てくるとして、それを「その人の個性(または新しさ)であり、その技芸なり思想なりが時をこえて生き残っていくための新たな要素になるのではないか」と意味深長なことを述べている。さて、この辺りについては、信仰次元における師弟関係にあって、陥りやすい罠があるといえよう。それは、つまり学問のケースと同様に批判的吟味をしてしまい、やがて信仰の基本すら疎かになりかねないということであると思われる。(2025-6-7  一部修正)

 

 

 

 

 

 

 

 

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【5】テレ東記者から大学教授へ転進━━〝友人の変身〟を追う(上)/6-5

 テレビ記者から大学教授へ。企業経営者から健康ラドン浴施設運営を経て映画制作者へ━━今回は二人の友人の大きな夢を載せた興味深い変身ぶりを紹介します。まずは1人目のケースから。(下は10日に)

⚫︎テレビ東京記者から京都科学技術大学(KUAS)教授への変身

大学生の作った工学作品の 陳列ケースの前に立つ山本 名美教授(KUASで5-23)

 僕が現役政治家の頃に付き合った記者は数多いが、女性テレビ記者から大学教授しかも広報センター長兼任という人はこの人しかいない。山本名美さんである。元テレビ東京記者として、人気番組「ワールドビジネスサテライト」の担当やら、ニューヨーク特派員として米大統領選挙などニュース報道取材で名を馳せた敏腕記者だ。その彼女が2年前から京都先端科学大(KUAS)の教授になった。大学生に自らが専門とするメディア論を単に教えるだけではない。創設間もない大学を広く世に知らしめる広報担当としての役割も担う。30年前の若さ溢れる記者から、大学経営の最先端を走るカルチャービジネスウーマンへの変身。先日大学訪問を兼ねて色々と取材させて貰った一端を紹介したい。

 大学に到着して真っ先に学長室へ。柔和な面持ちの前田正史学長から51ヶ国地域より468人(2024年時点)の留学生を受け入れている現状についての苦労談や抱負などを聴いた。世界トップの総合モーターメーカーである(株)日本電産(現ニデック)の創業者・永守重信氏が理事長である大学として、夢をカタチにしゆく底力が垣間見えた。と共に、未来を創る人を育ていく前田学長を先頭にした教授陣の熱意を感じた。テレビ記者の眼差しから、大学人としての責任感に溢れた表情への変化。名美教授の横顔がこよなく眩しく見えた。

 その後、工学部を中心に大学構内を回ったが、学生の能力を引き出すために惜しげなく資金を投げ出す永守理事長周辺の経営陣の姿勢が伺え、興味深い。留学生の多さもあって、脱日本の大学風景を感じた。個人的には学問上の師であった中嶋嶺雄先生の秋田国際教養大学を訪れた遠い日のことを思い出した。東西で並び立つ国際人養成の橋頭堡たれとの思いが、異次元の学生達の姿に重なってくる。

 同日夜にはかつての記者時代の名美さんをよく知るK大のW教授も加わって食事を一緒にした。その場ではいかに名美教授がかつての職場で後輩たちから、畏敬の念を持たれていたかがよく分かった。W教授との会話をそばで聞きながら、遠い昔の彼女しか知らない僕には、不思議な違和感がよぎる。「テレビ人」としていかに彼女が力をつけていったかを思い知った。並々ならぬ努力あったればこその変身だ、と。こうした友人の変身は爽やかだが、国家の狂った変身はごめん被りたいとの話を次にしたい。

⚫︎トランプのアメリカの〝変身〟をどう見るかについてのトーク

 山本名美さんがネットでの番組に登場するというので聴いてみた。「北澤直と椎名毅の『東西南北』」っていう「ビジネスニューススポッドキャスト」のエピソード79号である。タイトルは「トランプ政権の正体を語る』というもの。40分間にわたって実に分かりやすい口調での「変身解説」だった。

 トランプ大統領の出鱈目ぶりは今更言うまでもないが、名美さんの解説を聞くと、改めてその背景が分かってくる。ひとことで言えば、米国の共和党対民主党の対決は、〝ぶれない嘘つき〟と〝頭の良さそうな嘘つき〟の罵り合いに聞こえるというものである。繰り返されるトランプ大統領の嘘は、岩盤支持者にとっては、「貧富の格差の固定化」を壊してくれそうな期待感をそそるに違いないのだろう。

 米国社会の経済的歪みの落差加減が、嘘だと知りつつ一般市民をして信じさせてしまう━━この奇妙奇天烈なメカニズムに対して、彼女は「気持ち的には共感する」との〝切ない発言〟をつぶやいた。

 ハーバード大を始めとする大学という「聖域」にまでメスを入れ込むトランプ大統領のやり口については、名美さんは「言論の自由がこんなに簡単になくなっていくとは衝撃という他ない」と語っていた。豊富な取材体験をベースに、米国のいまを赤裸々に描きゆく彼女の解説トーンに、聴く側の「常識」がガタガタと揺らぐのを禁じ得ない。

 巨大な軍事力と経済力に支えられてきた「自由と民主主義の守り神」・アメリカが狂い出した。この「大国の変身」という現実を前に、同盟国の人間としての苛立ちは募るばかりだが、そう言ってばかりもいられない。打開の方途を探って行きたいものである。(一部修正 2025-6-5)

 

 

 

 

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【4】垂水中学校校長を表敬訪問したあと同期会に出席/5-30

 

 5月もはや下旬となってしまいました。このところの僕の動きを振り返ってみます。写真録にアップしているように、AKRの年次総会(22日))に出て中小企業の仲間たちと懇談したり、京都先端科学大学(KUAS)を訪問(23日)して前田正史学長と意見交換をしたあと、工学部構内を中心に山本名美教授の案内で見学しました。さらにHaccp会議に出るため大阪に行った(27日)のちに、古くからの友人と四つ橋で昼食を共にしながら、参院選の支持依頼に汗を流しました。この間に、上梓したばかりの拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』下巻を幅広い友人たち約100人に送るための宛名や手紙書き作業に没頭したしだいです。以下、一点集中的に昨日の行動に絞って紹介してみます。

⚫︎卒業65周年を記念する中学校の同期会に出席

卒業65年を記念する中学校同期の仲間たち

 昨29日は僕の卒業した神戸市立垂水中学校の同期会が10年ぶりにあって行ってきました。1958年(昭和33年)入学、1961年(同36年)卒業の仲間たちですから、遥か昔からのご縁です。全部で36人が集まりました。ことし80歳傘寿を迎えるのですが、集まった連中は元気いっぱいでした。東は東京、千葉より、西は熊本から駆けつけた仲間がいて、大いに昔話に花を咲かせたものです。

 当然のことながら親の介護から、連れ合いの病気看護などに至るまで高齢の人間が抱える苦労経験談で溢れかえりました。そのうち奈良先端科学大の名誉教授(工学博士)の木戸出正継君が「南極に旅をした」という話は誠にユニークでした。また、海運会社の代表取締役を務めるかたわら知的障害を持つ人たちのNPO法人のトップを続ける河辺真宏君から、常日頃の行政とのやりとりで溜まった不満鬱憤の一端を聞かせられました。彼の要望に応えられるかどうかは定かではないものの、必ず厚生労働省の関係機構の部署に繋げることを約束したしだいです。

⚫︎母校を訪問して校長から「部活の変革」を聴く

垂水中の山崎校長先生との記念の写真

 実は、この日僕は午前中に母校を訪れて山崎一雄校長を表敬訪問しました。せっかくの中学同期会に集まるのだから、母校を事前に訪れて校長と意見交換をしておこうと思ったしだいです。JR垂水駅から懐かしい道のりを約20分歩いて小高い丘の上の垂水中学校に到着すると、すっかり汗ばんでいました。

 同校長は神戸市の中学校における部活動の一大転機について縷々説明をしてくれました。学校現場での「部活」が教師の日常にとっていかに大きな負担を強いてきたか。この問題はつとに話題に上がりますが、「コベカツ」(KOBE KATSU)の名で呼ばれる神戸市の新たな取り組みに、大いなる期待が寄せられているとのこと。日本の中でも注目される特異なこの試みを簡潔に聞き及んだことは大いなる収穫でした。「日本の教育現場の変革」について考え続けている僕にとって、とてもいい機会になったしだいです。

 この機会に、僕は上梓したばかりの拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』下巻と、上巻を合わせて母校図書館に寄贈をさせて貰いました。併せて、「安保研リポート58号」を手渡しました。ここには福澤諭吉の「文明教育論」における「発育」についての僕の寄稿文が掲載されています。校長先生が読んでくれたら嬉しい限り。校門まで送ってくれた校長との再会を誓い、別れました。(2025-5-30)

 

 

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【3】混迷から抜け出す道━━『公明』6月号をこう読んだ/5-25

★「人材希少社会」の今を4つの切り口でえぐりだす

    人の口の端に「人手不足」が二言目には上がるというのが現代日本の顕著な傾向である。「公明」6月号は、「人材希少社会を生きる」との特集を組み、①産業社会の最前線である建設業界の実情②労働生産性向上のための「人的資本経営」のあり方③科学技術の衰退と博士人材の将来不安との関係④教師に寄り添わない「給特法改正」をめぐる国会審議の問題点などについて課題を克明にえぐりだしている。

 4本の対談、論考から、いま日本のどこがおかしいのかが改めて見えてくる。ゴチック文字に棒線を付した大事な主張のありかを示した①や、バリューチェーン(価値創造の連鎖)を川上、川中、川下に分けて変化見取り図に示した②も面白く読め、④も国会審議の争点が分かって〝お得感〟があったが、最も僕が深刻に受け止めたのは③である。著者は自身の経験をもとに克明に科学技術者たちの置かれた状況を分析して、博士人材の危機的状況を明らかにしていく。その上で、今後どうすべきかについて、①アカデミアにおける任期制の原則廃止②アカデミア以外の分野でも博士人材の活躍出来る場の醸成③卒業後のキャリア形成などを提案している。「人材希少社会」の全貌を考える格好の入門論考集である。

 もう一本、興味深かったのは「ディズニー実写作『白雪姫』に映る変革のメッセージ」(秋元大輔・東京情報大学准教授)である。これを読むと、「女性差別」をめぐる問題の根源的所在の糸口が分かる。ディズニー映画の歴史とメディア文化の流れを振り返りながら、世界の今を見つめる著者の構想力のダイナミズムに心揺さぶられる思いがした。「実写版『白雪姫』を観た者の中から、多くの女性リーダーが誕生するであろう」と、日米の女性トップ誕生に期待するのだが、男性リーダー及びその候補こそ観るべきではないのか。

★「極中道」という不可解な政治スタンスからどう抜け出すか

 「新しい選択肢を認めない『エキセン(過激中道)』が席巻する世界」(酒井隆史・大阪公立大学教授)は、世界の政治の今を考える上で大いに刺激を受けるインタビューである。このところ毎号『公明』に登場する大胆不敵な論考企画に心躍らせている向きは少なくないと思うが、これはタイトル通り(エキセン=エキストリーム・センターの略称)極めつきの読みものだ。僕が3年前に書いた『77年の興亡』や2年前の続編で主張した、公明党の自縄自縛的立ち位置の背景が判然としてくる。体調不良の際に医者から病気の名前と由来を教えられた時のように、落ち着かなかった気分が妙にはっきりするから不思議だ。以下、このインタビューへの僕自身の独自の解釈(極解説)をちょっぴりさわりだけだが披露してみたい。

 「極左」「極右」があれば「極中道」があってもおかしくない。現代政治学が生み出した概念規定はユニークで新鮮だ。「極」とは、本来の左右、中道からはみ出した極端な立ち位置を指す。そんな中で新しい選択肢を認めようとしない行動パターンを「極中道」というのだそうだが、逆に状況に応じて新たな選択肢を見出し、的確な行動を起こすものは「真中道」と呼ぶべきかもしれない、と僕は思う。

 1980年代に目を見張るような戦いぶりを見せた公明党の中道主義が停滞しているように見え、ひたすら保守の権化・自民党に寄り添う姿を訝しく思う公明党支持者は多い。そういった現状に対して酒井さんは「オルタナティブ(選択肢)を提示すること、そして『革新勢力』に立ち返ることこそが本来の中道の役割です。例えば、民主主義の未来において、政治家は果たして必要な存在か。そうした社会や国家を根本から考える〝深い問い〟を持ってほしい」と呼びかける。

 僕はこの問いかけこそ「真中道」=「仏法中道主義」の生き方に通じるものだと思う。この酒井さんの指摘に違和感を持つ向きは、かなり「極中道」に毒されているに違いない。移りゆく情景の目新しさと繁忙さの中で、遠い日に持った〝重い問いかけ〟を忘れている仲間たちに、早く思い出すように自覚を促したい。

 酒井さんの指摘を受けて、公明党の行く道が改めてはっきりしてきた。それは「極中道」から脱して本来のあるべき「真中道」へ戻れ、ということに尽きよう。このインタビューを読んで、我が意を得たりと喜ぶ人は僕だけではないと思う。(2025-5-25)

 

 

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