昭和30年代の始めから公明党の豊岡市議を長年務めてきた成田康夫さんが先日亡くなられた。党の結成以前、つまり公明政治連盟(公政連)といっていた時代からの古強者ともいうべき存在だった大先輩である。享年88歳。10日午後開かれた北兵庫大光会(小山欣弥代表世話人)にその姿がなかったのはとても残念だった。後輩たちの参加を促すべく結集の呼びかけを3月上旬にお願いした際には、「分かりました。任せてください。大丈夫です」と快諾していただいていたのに。会合ではその死を悼む声が相次いだ。
⚫︎コメ問題の不可思議さと根本的原因
この会の冒頭には元但東町議の森井幸子さんから、昨年10月13日に農水省の農産局、畜産局の7人が同町にやってきて地元の牛繁殖者ら畜産農家らや地元市議、県議らとの懇談、及び畜産の現場視察が行われたことについての報告が「竹中さとる議会だより」を通じて行われた。この試みは高橋光男参議院議員(今夏選挙の予定候補)への要望がきっかけで実現したもので、当日の懇談では地元畜産農家関係者7人から但馬牛を取り巻く飼料高騰による諸問題、規模拡大に向けての支援拡充などが提起されたとのこと。高橋候補の素早い適確な行動に、強い賛同の声が寄せられているとの嬉しい声が縷々述べられた。
一方、昨今のコメ不足から始まっての、価格の高値止まりなど庶民生活を直撃する問題について元丹波市議の田坂幸恵さんからの深刻な報告があった。それは、高橋光男候補が備蓄米の放出など懸命に取り組んでいるものの、一向に終息する気配が見えないことに、内外の友人たちから憤りの混じった不審の声が浴びせられることが多いというものであった。このまま推移すると、選挙にも多大な影響を与えかねないとの意見であった。
また、篠山市の藤本忠男元市議は、コメを始めとする農業の課題については消費者と生産者双方の目線が必要だが、世論は消費者の側に偏りがちで生産者の側に向けられることがあまりにも少ないように思われるとの意見が出された。そうした状況は一段と農業従事者の離職傾向を強めており、事態は一段と深刻な状況だとの見方も伝えられた。
こうした現状に対して私は、戦後の自民党農政におけるコメの減反政策に根本的要因があるとした上で、与党となった公明党がそのしわ寄せをもろに被っている危機的状況が懸念されるとの認識を述べた。高橋候補が懸命に事態打開に取り組んでいるが、それがイマイチ効果をもたらさない状況が今後も続くことがないように、農政当局への働きかけを一段と強めることを促進する旨を約束した。
⚫︎気になる後輩の後を追った大先輩
会合終了後、私は、豊岡市議の芦田竹彦さんの運転で、和田山から豊岡へ移動。成田康夫元議員宅へ弔問に訪れた。葬儀後の後始末もあって在宅されていたご長男の徹一さんや妹御と懇談出来た。3月半ばから成田さんは体調不良を自覚されたようで、4月には入院、やがて意識もない寝たきりの状態になってしまったとのことだった。草創の時代から地域の先駆者として多くの皆さんに慕われてきた父上。その存在を誇りにしつつ懸命に県政を支えてきた子息。麗しい父子関係が眩しかった。
徹一氏は県の要職についておられることから、昨年来の兵庫県政にまつわる種々の問題についての状況の捉え方を率直に聞いてみた。立場上、言葉を選びながらも、斎藤知事が政策遂行能力は大きいものの、コミュニケーション力においては、世上指摘があるように著しく欠いており、いわゆる世間話をする機会など殆どないと語られた。
一方、総支部前代表世話人だった森田進さんは昨年末に鬼籍に入ってしまい半年が経つ。残念ながら今頃の弔問になってしまった。実は一昨年に森田さんは相棒だった広川善徳元市議に先立たれ、私と一緒に弔問に訪れたことは以前のリポートに紹介した通りだ。仏壇の横に掛けてあった広川さんの手になる墨痕鮮やかな一幅の掛け軸。往時の2人の関係が思い出され、万感胸に迫るものがあった。
仏間や居間には可愛いお孫さんたちの写真が所狭しと貼ってあった。そして彼が生前大好きだった川柳の作品集も飾られていた。「紅葉手で湯舟をつかむ曽孫かな」「週一のデイの朝湯が元気素」などの微笑ましいものが次々と目に飛び込んできた。既に曾孫が誕生されているのには驚いた。
彼はもう随分前のことになるが、腎臓移植を余儀なくされ、奥さんの腎臓の一部を貰ったことで知られる。おかげで元気で生きられていると喜んでいたが、それを「腎移植妻に頂き命延ぶ」と川柳に詠み込んでいた。剛気で暴れん坊のような一面があった森田さんを、かねてより叱咤激励していた成田さん。半年を経て後を追うように旅立たれた。今ごろは仲良く昔話に花をさかせているかもしれない。懐かしき同志たちを思い起こす弔問だった。(2025-5-12 一部修正)