《6》岸田氏に「歴史の区切り」に立つ首相の自覚を問う/10-5

 岸田文雄氏が伊藤博文以来100代目の総理大臣になった。伊藤の就任は1885年(明治18年)だから、136年前のこと。44歳。それ以来四度首相を務めた。彼の評価は分かれるが、紛れもなく、今の日本の礎を作った人物のひとりだということは間違いない。岸田氏も当然ながら「区切り」を意識していると思う。いや、してほしい◆実は、明2022年(令和4年)は、先のアジア太平洋戦争での敗戦の年1945年(昭和20年)から77年になる。そして、その年は明治元年の1868年から77年経っていた。つまり、明治維新から「二つの77年」が日本の歴史上経ったわけだ。その時の国のリーダーが岸田氏ということになる。この77年の区切りは意味深い。一つ目の77年は、天皇のもと「近代日本」へ必死に取り組み、遅れてきた資本主義国家としての「興国」に取り組んだ挙句、欧米諸国と戦ってひとたびは「滅亡」の憂き目にあった◆二つ目の77年は、米国に占領された後、焼け野が原から必死に立ち上がり、米国に並ぶ「経済大国」に上り詰めた。そして今、中国にGDP2位の座を奪われ、IT万能の時代に台湾、韓国の後塵を拝してしまっている。前者が「軍事の興亡」の歴史だったとすると、後者は「経済の興亡」だった。コロナ禍という未曾有の疫病に襲われて2年。世界同時多発のパンデミックとはいえ、日本が受ける「区切り」の衝撃は重い◆岸田氏はそうした歴史の分岐点に立つ。新たな時代は全くこれまでと性格を異にする大きな課題が待ち受ける。一つは、少子高齢化の行き着く果てとしての人口減社会。働き手が急速に減っていく。二つは、「気候変動」による大災害の時代の深刻化である。大地震、河川の氾濫などがいつでもどこにでも襲ってくる。三つは、コロナ禍の定着である。この三つの危機に加えて、中国の動向が危惧される。「自由と民主」を基本におかない隣国の、国境を意識せぬ傍若無人の立居振る舞い。三つの危機と一つの危惧。これにどう立ち向かうのか。自公政権の真価が問われる。(2021-10-5)

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《5》自民党総裁選で〝見えたもの〟と〝見えないもの〟の落差/9-30

自民党総裁選挙が終わった。いつもながらのショーまがいの光景が延々と続く中であれこれ感じた。ひとつは、名乗りを上げた4人の立ち位置の「見えた」部分と「見えない」部分の変化の落差である。岸田氏は、安倍元首相の過去から今に続く「諸疑惑」を問題視するように見えて、変えた。河野氏は、「原発」でこれまでの主張をあっさり下ろして「現実対応」へと、変えた。男性二人に比べて、女性陣は、その主張を変えていないように見えた。しかし、高市氏には見えないところでの支配者の影が見えた▲この与党第一党の舞台を見て、野党第一党の枝野氏は自民党は「変わらないし、変われない」と切り捨てた。一国の首相選びが結局は第一党の内輪だけで決められることの不可解さ。総選挙が間違いなくすぐ後に控えているだけに、自民党に対する〝下駄の高さ〟が気になった。メデイアもそこは意識して野党の動きを並行して追っていた。しかし、これがかえって両者の違いを浮き立たせた。立憲民主党も代表選挙をぶつけるぐらいでないと目立たない。変わらぬ「立憲」を感じただけだったのである▲さて、公明党である。この期間一切といっていいほど、メデイアは報じなかった。辛うじて最終盤で、山口代表が自公両党における「連立政権合意」について発言したことが取り上げられたぐらいだ。これは歯がゆい。総裁選の諸場面でメディアが公明党との関係を候補者に聞くということはなかったように記憶する。始めに連立ありき、ではないはず。どちらの党にも本音と建前はある。それを剥がして「見える化」しようとしないメディアでは面白くない。保守、リベラル、革新の鼎立の狭間で中道の存在感がないのは心残りだ▲それにつけても、この「総裁選び=首相選び」の仕組みは気がかりである。尤も、米国のような一年かけて大騒ぎの大統領選がいいのかどうかは、疑問だが。かの国が結局は南北戦争さながらの、民主・共和の争いで「分断国家」の憂き目にあっているからだ。民主主義のありようがいわゆる先進諸国家で問われている。一方、中国のような「専制国家」がスピード力を持って国家経営に取り組んでいる。これからの日本をどうするのか。与野党の政治家は〝長過ぎる眠り〟から覚めて、仕事をして欲しい。(2021-9-30)

 

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《4》B型肝炎救済に立ち向かうー被害者弁護団との連携に力/9-21

「とっても長く裁判が続いているから、ここらで被害者を適切に救済する手立てを講じてみてはどうか」(趣意)ーこんな粋な判決を下した人は三浦守裁判長。さる4月26日のB型肝炎をめぐる最高裁でのこと。B型肝炎訴訟とは、幼少期の集団予防接種の際に、注射器の使い回しなどが原因と見られるケースでその後に肝炎を発症したりしたことから起こされた裁判のことである。国と被害者弁護団との争いは既に10年を超えて続いている▲三浦裁判長の判決に喜び、一気にここで救済の手が差し伸べられるよう、動きたいとする弁護団から相談があった。実は、私が現役の頃に党肝炎プロジェクトチームの座長としてC型肝炎、B型肝炎と双方の訴訟に関わる機会があり、弁護団のメンバーや被害者らと接触した。前者では、福田康夫首相(当時)の英断もあり、見事な政治的決着を見た。後者でも問題を残しながらも一定の成果はあった。それから10年あまり、B型肝炎について残った大課題が引き続き存在してきた▲それは除斥問題である。B型の場合、解決には発症から20年の間に限り、肝炎訴訟の救済対象とするとの規定がある。つまり、時効である。一旦治ったと見えても再発することも多く、「20年規定」を杓子定規に用いようとすると、泣くに泣けない人が出てくる。そこで、三浦裁判長の示したような手立てが必要となり、〝政治の出番〟となるわけだ。国はーここでは直接担当する厚生労働省だがー一律に除斥の基準を講じることで、損害賠償を低く抑えようとする。これを覆すべく公明党の力を貸して欲しいというわけである▲私のところには、この10年あまり共闘してきた少壮の弁護士がやって来た。被害者の実情を改めて訴えられた。是非、政治の力、公明党の戦いを期待したいとの声に動かされた。山口那津男代表に直ちに連絡をした。同代表によると、三浦裁判長は司法修習生の同期だとのこと。司法と政治と、道は分かれたけれど、彼の被害者救済の温かい心配りに感動したという。言葉の響きに共闘の思いを感じた。「落ち度がないのに、苦しむ人たちを救済する」との司法の原点に立ち返って、動くことを約束してくれた。さあ、夢よもう一度。肝炎対応で、苦しむ被害者のために、私ももうひと働きしようと決意している。(2021-9-22  一部修正)

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《3》20年が経った「9-11」ー中東の今と世界をどう見るか/9-11

2001-9-11ー21世紀が始まった年のあの日の出来事の衝撃は、20年が経った今も忘れ難い。直前までNHK総合テレビで、姫路城改築工事に伴う、心柱をめぐる興味深い番組を家族と共に観ていた。その番組が終わるやいなや流れた臨時ニュースだった。米ニューヨークの中枢に聳え立つ世界貿易センタービルに、乗っ取られた旅客機が直撃している瞬間とは思いもよらず、たちの悪いフェイク番組でも見せられているような気がした。それが嘘でも夢でもないと知って、ただならぬ奇妙な恐怖が走った。〝世界戦争〟の予感がしたのである▲しばらくして、アメリカ人の怒りがいかに大きいか、直接聞く機会があった。つい先年亡くなった大沼保昭さん(東大名誉教授)のご自宅に、一緒に招かれていたジェラルド・カーチスさん(当時、政策研究大学院大客員教授)の話を聞いた時のことだ。草の根分けてでも首謀者を探し出す、イスラム原理主義者を許さないし、戦争をも辞さないなどと、冷静なはずの学者らしからぬ憎しみに満ちた〝報復の言葉〟が次々に口をついて出てきた。あれから20年、米軍のアフガニスタンからの撤退を巡るニュースに接して、結局はすべて元に戻ったとの感が強い▲アフガニスタンでの戦争と比較して語られるのがベトナム戦争である。あの頃、西側陣営が恐れたのは、共産主義の「ドミノ倒し」であった。べトナムで食い止めないと、東南アジア一帯が赤化する、との恐怖であった。確かにベトナム、ラオス、カンボジアが対象となったが、大勢に影響はなくて済んだ。今、アフガニスタンが再びタリバンの支配下に戻り、中東地域では、テロの「ドミノ倒し」が恐れられている。イラクを筆頭に、候補国は枚挙にいとまがない。ベトナム戦争の頃、老いも若きも抱いた怒りや関心。それが今の日本には不思議なほどない▲米軍が去ったアフガニスタンに〝忍び寄る中国の手〟との報道もある。テロとの二重の脅威が、中東と西側諸国の双方を覆う。ことここに至った背景には、「米国の世界観に流れているある種のおごりの問題」(田中浩一郎慶大教授。毎日新聞9-6付け夕刊)にあるとの見方が強い。西欧製「自由と民主主義」の価値観をもとに、勝手な国づくりを押し付ける手法は、既に数多の失敗を重ねてきた。では〝警官なき地の無法〟に目を瞑り、新たな〝ならず者の横暴〟を許すことになっていいのか。ベトナム戦争終結(1975年)から約46年。事の本質は何も変わっていず、自分も皆も何も分かっていないことに気付くだけである。(2021-9-11)

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《2》パラリンピックと自民党総裁選びそして立憲民主党/9-6

東京パラリンピックの中継をテレビで見たり、新聞で読むうちに、一応「健常者」である私は様々なことを感じた。ひとことで「障がい」といってもまことに数多く、多種多様であることへの驚きに始まり、どの競技者もそれらのハンディを全くと言っていいほど気にせず(そう見えた)、堂々と力強く戦っていたことなど、感嘆し、驚嘆し、羨望も勿論覚えた。いわゆる五体満足の身体でなくとも、今ある身体の全部位が頑健でありさえすれば、どんなことにも挑めるものだと分かった思いがした(ただし、こころの病いの場合は除かざるを得ないだろうが)▲75歳になってからというもの、身体のあちこちが不都合をきたしてきた。〝足腰立たない〟状態ではないまでも、四肢に止まらず、どの部位を動かすにつけても痛みを感じる。かつて歳はとりたくないもの、との言葉を吐く先輩諸氏を見聞きするにつけ、同情を禁じ得なかった自分が愛おしい。目がかなり近眼で、耳は片方が聞こえず、歯に部分入れ歯が入っている自分を〝障がい者〟だと規定して、一歩近づいたと満足していたことを思うと、恥ずかしい。パラリンピックを見ていて、どちらが本当の障がい者か分からない様に思われた▲そんな中で、毎日新聞紙上(8-29付け)で、元自民党総裁だった谷垣禎一さんの記事(『迫る「これが障害者」体で知った』)を読んだ。この人は同じ昭和20年生まれ(但し早生まれだから学年的には一つ上)とあって、現役時代にそれなりに親しい思いを持って接してきたが、自転車事故で頸髄を損傷するという不幸に直面された。だが、その辺りについて「(障害を)割り切ったわけではないけれど、割り切るよりしょうがない」と、元気に生きておられる姿には勇気をいただく。彼がもし健在なら、優しくて品格あるクレバーな背筋のスッキリした、いい総理大臣になったかも、と勝手に思った▲それから一週間を経ずして、菅義偉首相が次の自民党総裁選挙に出馬しないと、表明した。これには、実はあまり私は驚かなかった。後出しジャンケンよろしく、ああだった、こうも思ったとは言わないが、その予感がしていた。この一年の推移、とりわけコロナ禍対応の無惨さは、およそ褒められたものではなかったと、言わざるをえない。勿論、「小さな声を聞く党・公明党」に身を寄せ続けた姿勢など評価するのにやぶさかではないものの、全体像評価は辛口になってしまう。退任にいたる数日間は、打つ手が次々裏目に出て、まるで「秋の日のつるべ落とし」のように、その信頼感は失われていった▲さて、総裁選のゆくえはどうなるか。これで、恐らく自民党の惨敗はなくなったと、敢えて楽観的予測をしてしまう。総裁選挙直後には支持率がそれなりに高くなるのは過去の歴史が証明しているからだ。安倍政権の負の遺産を全部抱えたまま菅首相が姿を消すからと言って、決して自民党が変わるわけではないのだが。自民党ひとり総裁選挙で騒ぐ中で、世間の耳目は集中し、多くの人々はさも変わるはずと錯覚する。そこで野党第一党の立憲民主党の振る舞いが気にかかる。この場面、指を加えて見守るのみか、外野席から騒いでいるだけでは、結果は目に見えている。代表選をせよと言わないまでも、それに代わる動きを見せて欲しい。せめて自民党総裁候補と枝野氏ら執行部との対談、対論を申し込んでみてはどうだろうか。(2021-9-6)

 

 

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《1》「テロとの戦い」に負けたのかーアフガニスタンからの米軍撤退/9-2

アフガニスタンからの米軍撤収のニュースに接して思うことは多い。元を正せば、20年前の「9-11」に米国本土が「同時多発テロ」の標的にされ、多くの犠牲者が出たことが発端だ。そのテロの首謀者と見られたビンラディンをアフガニスタンのタリバン政権が匿ったために、米国が同国を攻め、10年後に彼を殺害した。ことの因果関係からすれば、これで区切りとして米軍が撤収してもよかったはずである。しかし、そうならず、今日まで更に10年間も駐留が続き、多くの犠牲を双方が重ねた▲その間の米国側の大義名分は、「テロとの戦い」という〝新しい戦争〟が拡大する事態の温床にさせない、というものであった。更に、戦争が始まった当時は、アフガニスタンを含む中東地域一帯は、世界や米国にとって〝石油の宝庫〟との位置付けであった。安定した石油供給源としての地域の保全のためにもこの地を睨む必要があったのである。ところが、その後、シェールオイル源が米国内に見出され、事態の様相が変容した。そこらで手を引く機会もあったのだが、結局ここまで引き摺ってしまった▲この地を巡る歴史を遡ると、米国の前にはソ連が進出した末に、手を焼き尽くす経緯があった。今また20年の歳月の間に米国が失ったものはあまりにも多い。20世紀後半におけるベトナム戦争の例を挙げずとも、「歴史の教訓」を学ぶ必要性は言い尽くせぬほど大きい。ベトナムは米国を撤退に追い込んだあと、見事なまでの変身を示し、その復興ぶりは世界史に特筆される。それに比べて、アフガニスタンでは、タリバンのみならずイスラム国(IS)の跋扈も見逃せず、とても一筋縄ではいかない。この集団は、今回の米国撤退の直前にカブール空港での凄惨な自爆テロも引き起こした。まさにアフガニスタンは日本中世における「戦国時代」もどきの状況下にあるとさえ見る向きもある▲ソ連から米国へとこの地での巨大国家の不始末の連続から、「帝国の墓場」と呼ばれるそうな。そこへ、中国が急接近しているとの報もある。中国は先をゆく新旧ニ帝国の失敗の轍を、またも踏むことにはよもやなるまい。今回の撤退を、覇権国家米国の衰退の象徴であり、世界の警察官の役割からの後退となるのかどうか。一気にはいかずとも、ゆっくりとその流れが進むことにはなろう。これが米国の同盟国からの駐留軍の撤退に繋がるやも、との見立てを提起する老評論家もいる。日本もその場合の対応に備えることは大切だと思われる。(2021-9-2)

※今回でこの『後の祭り回想記(回走記)』も、400回を超えます。これまでナンバーを振ってきませんでしたが、これからは500回を目指して一回ずつ数えるようにします。

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横浜市長選結果と〝岡目八目風〟解説もどき/8-27

横浜市長選が終わって一週間。兵庫からは遠く離れた地域の市長選。この結果から何が読み取れるか。世に溢れる岡目八目風の解説もどきを、みんな立ち去った後の井戸端会議録のようだが、あえて付け加えてみたい。切り口は余りにも多い。横浜市は、時の首相が政治家としての基盤を長年にわたり培ってきた地域。彼の政治家としての師匠筋の息子が閣僚の座を投げ打って挑戦した。しかも、その前大臣は、カジノを含む統合型リゾート(IR)に賛成していた立場をも捨てて、反対に転じた。これを自民党も、勿論現在のトップである首相もかつての立場もどこへやら、黙認した。それもこれも中央政治における対立軸が横浜市に持ち込まれることを恐れたからだろう。いい面の皮が、IR導入賛成の立場をとって4選目に臨んだ市長である▲この市長選に挑んだ面子がまた多彩極まる顔ぶれだった。大学医学部教授データサイエンス科長の立場をかなぐり捨てた人。元小説家で、元県知事で、元代議士の人。元代議士で、元県知事で、参議院議員だった人。それぞれの選挙戦での語り口をも吟味せずに、勝手に論じるのは心苦しい限りだが、横浜市への愛着、思い入れよりも違う目的があったのでは、と勘繰ってしまう。物足りないのは、IR賛成の主張を声高にする候補者が現市長以外にいなかったこと。落選が決まった夜、同氏は市民からいかに嵐のような批判に晒されてきたかを語った。お気の毒に思うと同時に、哀れを催した▲一方、落ちた前大臣は、これからは選挙には関わらないという意味の発言をした。ことそこに至った経緯を見れば、むべなるかなとの思いは禁じえないが、爽やかさはこの顛末で、唯一救いだった。首相とのやりとりを訊かれて「ありがとうございました」と述べたのに対して「お疲れさんでした」とだけ。言わぬが花とはいうものの、愚痴のひとつも聞きたいし、言わせたかった。二人の元県知事の敗戦の弁は、兵庫には聞こえてこないが、尼崎市選出の元代議士の顔すらテレビに映らなかったのは寂しい限りだった▲ひとや明けて、一地方自治体の首長の選挙結果は国政に影響なしとか、影響は深く静かに甚大極まるとか、予想通りに喧しい。一番悔しいのは首相のほかにいないことは歴然としている。衆院選での自民党の議席減は相当なものになることは必至である。彼が首相になって、行われた選挙はことごとく負け続き。唯一勝ったとされるのが、自民党分裂騒ぎを経て、維新の支援を受けた候補の兵庫県知事選だけだったというのも哀れを通り越す。これだけの惨状を前に、首相交代論も起きないし、次期衆議院選での野党勢力との政権交代の声も起こってこない。自民党筋から聞こえてくるのは、「衆院選での議席減は織り込み済み、仮に過半数を割り込むようなら一部野党を抱き込めばいい、むしろ、勝負は明年の参議院選」との声。来夏までに流れが好転しなければ、初めてその時に顔のすげ替えが起きる、という。横浜市長選が提起した日本の政治の問題点はあまりにも多すぎる。兵庫も横浜でも自主投票にした、IR賛成の公明党の立ち位置も含めて、岡目八目的解説が憚られるのは辛すぎる。(2021-8-27 一部修正)

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「炭素」と「原発」の是非を巡る4つの選択/8-22

2020年初頭から人々を襲う新型コロナウイルスの恐怖。これ以前は、温暖化する地球をいかに救うかが人類最大の共通課題であった。気候変動のもたらす脅威は、先進資本主義国家に、温室効果ガスの排出量をどう減らすか、また無炭素社会=カーボンニュートラルの実現に向けてどう協力し合うかの道を迫ってきた。加えて、福島第一原発事故を経験した日本は、「原発」の継続如何が、恒常的な課題として、のしかかってきている。コロナ禍からの脱却という緊急事態とは別に、「脱炭素」「脱原発」といったエネルギーを巡る闘いをどう乗り切るかが、日本の中長期的課題として立ち塞がっているのだ◆この連立方程式を解くにはどうすればいいか。勝手な〝思考の遊び〟をザックリ加えてみよう。私たちの前に横たわっている選択肢は4つ。一つは、「脱炭素」「脱原発」などお構いなしに自由に振る舞う道。二つは、「脱炭素」には取り組むが、「原発」は徐々に再稼働の道を歩む。第三は、「炭素」排出は制限せず、「脱原発」は進める。第四は、「炭素」「原発」双方ともに低減を目指す。この選択は産業革命以来の世界各国の資源開発への取り組み状況によって当然ながら差がある。米欧日中露などの先進国。工業化、原発化が遅れ、全てはこれからという後進国。その両者間に位置する国々などで、歩む道は自ずと違ってくる◆とはいうものの、よほどの自制の力が働かぬ限り、掲げられた目標はどうあれ、現実には限りなく第一の道への流れは留まらない。せいぜいが〝まだら模様〟と言うのが関の山と見られる。例えば、第二次世界大戦の終焉後4年で、共産主義国家として建国された中国を見よう。苦節70年余で変身を重ね、遂に米国に次ぐ経済大国の位置を占めるに至った。後に続くアジア、アフリカの目標となる中国は、石炭火力という炭素源の輸出国家として、これから一層頼られる存在になる。やっと勝ち取ったこの優位な地位を、簡単に投げ出すとは考え難い。その中国との〝首位争奪戦〟に、米国は自国内分断騒ぎも辞さず躍起となるのは必至で、舵取り変更を期待することは難しい◆この状況下で注目されるのが、日本の対応である。現時点で、政府は、2030年度までに温室効果ガス排出量を「13年度比46%削減」するといい、「世界の脱炭素化のリーダーシップを取る」(菅首相)とまで宣言した。その意気やよし、と言いたいところだが、政府内にも、自民党内にも疑問視する向きは少なくない。と同時に、「脱炭素」の道を「原発」に頼る動きが蠢動する。カーボンニュートラル推進と脱原発の二兎を追うことは、「温暖化防止栄えて国滅ぶ」ことになりかねないとの声に支えられて。この場面は私たちにとっても、重要な分岐点である。今まで通りの生き方でいいのか。全く違う価値観のもとで生きるか、の選択だ。コロナ禍がその選択の決断を迫っている。私にはそう思われてならない。(2021-8-22)

 

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第二の「77年の興亡」の終着まであと一年ー76年目の8-15に思うこと/8-15

 先の中国・アジア太平洋戦争が敗戦で終わったのは昭和20年(1945年)8月15日。明治元年からその時までは77年。明治維新から日清・日露戦争の勝利は、まさに国家が興隆していく時期。そこから亡国の敗戦への流れは、まさに「77年の興亡」と括られる。その区切りから、今日で76年。あと一年経つと、第二の「77年の興亡」の終着点を迎える。占領下の7年から立ち上がり、高度経済成長の末に、見事に復興した戦後日本だが、その後バブル経済の崩壊、「失われた20年」を経て、少子高齢化のピークの只中をコロナ禍という惨状化で迎えようとしている。「今再びの敗戦」と見る向きも少なくない▲一回目の「敗戦」という結果は、文字通り国家が完膚なきまで打ちのめされた。それに比べて、ニ回目の結末は、戦争をしたわけではない分、曖昧さが残る。しかし、あと一年を残した現在、既に敗北感に近い割りきれなさを少なからざる日本人が噛み締めている。それは一体何故なのか。私見では、二重の構造が指摘される。一つは、直接米国の占領下にあったのは7年足らずだが、その後の70年も日本は米国支配下の「半独立国家」であるとの冷厳な認識に立たざるを得ないこと。もう一つは、先の戦争で徹底的に日本始め西欧各国に痛めつけられた中国が、1949年に共産主義国家として建国され、紆余曲折を経た今、日本をGDPで追い抜き、米国と並び立つ経済大国となったことである▲1945年から遡ること77年間、日本は遅れてきた近代国家として米国と競い合った。そして完膚なきまでに敗れ、占領下の屈辱を受けた。その後は軍事力は米国に委ね、自らは経済に専念する道を選択した。その結果、米国と並び立つ経済大国にはなった。だがその内実は「対米追従」国家。煎じ詰めると浮かぶその事実が陰に陽に我が身を苛む。一方、中国は、20世紀初頭には先進諸国家の餌食にあいながら、約100年後の今日は、米国と競い合う軍事経済大国としての地歩を固め、今や米国を脅かすまでになっている。気がついたら、日本は様々の局面でその後塵を拝している。相手方の手法、佇まいはともあれ、当方の敗北感は覆い難い▲もちろん、いわゆる国力の競争は多面的に測られよう。これまで見てきた切り口は一面的に過ぎない。だが、日本が民主主義国家と生まれ変わった存在になりながら、あらゆる面で米国あっての存在、との側面は払拭できない。「日米同盟」の負の側面を意識せざるを得ないのである。中国は艱難辛苦を乗り越えて、「社会主義市場経済」という異名のもとに、今の地位を掴み取った。その自負心は大きいに違いない。彼我の差は歴然としている。新たな時代の幕開けに、日本はどう立ち向かうべきか。少なくとも、国家理念の見えない、これまでのような「経済成長一本槍」の姿勢は変える必要がある。地球は環境面で、資源面で危機的状況に直面していると言われて久しい。国家の枠を乗り越えて、「人間の救済」が今ほど求められているときはない。民主主義国家群の中核である日本は、「人道の競争」の先頭に立つ心意気が求められている。〝人道への国際協調〟に背を向けることはいかなる国家も許されない。(2021-8-15)

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第二の「77年の興亡」ー「東京五輪2020」終えて思うこと/8-9

 一年延長された東京夏季オリンピック大会が17日間の闘いの幕を閉じた。昭和39年、18歳だった私が見聞した東京で開かれた最初のオリンピックから57年。今大会は全てが異例づくめであった。普通の市民は、テレビを通じて人それぞれの思いに浸ったに違いない。私も開会式での参加各国、地域に初めて知る国名の少なくないのに驚いたり、連日の競技中継で、珍しい種目が多いことにも興味を持った。日本のメダル獲得ラッシュに喜んだものの、終わってみれば、金メダルで米国、中国に続いて3番目であることや、総数では英国、ロシアにも劣ってることに、昭和世代らしく少々がっかりしたりもしている▲今回の大会が始まる前に、賛否両論があったり、観客をどうするのかでも議論があった。テレビでの中継で空席と知りながら、椅子の模様がつい人の姿に見えたりして、瞬時幻想に耽ったりもした。アスリートたちの行き詰まる闘い、演技に魅入るにつけても、やはりここは観客を入れた方が良かったのにと、結果論を承知で悔しい思いに苛まれた。同時に劇的な場面や選手の表情をまざまざと見られるのはテレビなればこそ、との思いもある。この大会を終えて、時代の区切りに思いが及ぶ▲前回の大会のほぼ20年前に、中国・アジア太平洋を戦場に、欧米諸国との戦争をして、日本は負けた。1945年のことだ。その年はまた、明治元年(1868年)から数えると、77年目に当たる。いらい、今年は76年ということで、明年が77年目になる。つまり、日本の敗戦の年を境にして、前後77年の節目の年が来年やってくるわけだ。ちょうどその年に生まれた私にとって、まさに感慨深い。明治維新から「興亡77年」を経た日本が、今まさに「第二の興亡77年」を終えようとしている。近代日本の壮絶な戦いの結果としての勝利と敗戦と、一国滅亡から壮絶な戦いの末の復興と没落と。この「二つの77年」は敗戦とコロナ禍にいきついた。比べるに値する重要なテーマである▲この二つの比較をする際に、半分のほぼ40年ごとに節目があることに留意する必要がある。一つ目の77年では、日清・日露戦争の勝利だ。ここをピークに時代は暗転、下降線を辿る。二つ目の77年では、プラザ合意(1985年)という名の、為替レート安定化の先進各国間の合意がなされた年が起点である。これは日本の高度経済成長後のバブル景気、その崩壊から〝失われた20年〟という長期低迷に続く発端とされる。このように、前者の77年を生きた前後二世代と、後者を生きた前後二世代とは、全く概括的な捉え方だが、類似すると言えよう。後者の後半つまり、1985年以降今日までの期間、時代を担ってきたのは、いわゆる〝団塊の世代〟にほぼあたる。興亡の77年の「亡」をもたらした世代だ。その罪は大きい。明年で区切りをつけ、日本が新しい旅立ちをするにあたり、思うことは限りなく多い。(2021-8-10 一部修正)

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