「変わらざる夏」に高まらない本土での関心ー「沖縄の今」を考える③

都議選が終わって二週間。一週間前の9日には沖縄県の那覇市議選が行われた。開票結果は翁長雄志県知事を推す与党会派の過半数割れという事態を招いた。これ、沖縄県政にとって重要なことだが、本土ではあまり注目されていない。この数年を振り返ると、民主党政権時代が最も沖縄に関心が集まったと思われる。その機縁として、第一には、鳩山由紀夫(今は友紀夫)氏が首相時に、普天間基地の移転について、県外移転を口にしながら何ともできずに、日本中の失望と失笑を買って終わったこと。第二には、野田佳彦氏がやはり首相時に、尖閣諸島の国有化を宣言したことから、寝たふりをしていた中国を目覚めさせたことの二つが挙げられる。今から振り返ると、それ以前の自民党単独政権や自公連立政権時代には、慎重の上にも慎重を期して取り扱ってきたものを、政権運営に慣れない民主党が弄んだ結果だといえなくもない。すべてオバマ民主党と反対の態度を取って見せたいとのトランプ米大統領の姿勢と似たような心理が働いたに違いない。元の政権に戻って5年以上が経つものの、民主党の蒔いた種は未だに重い後遺症を残している▼鳩山元首相の「最低でも県外」との言い回しには、それなりの真実味があった。同じ日本国民として、全体の約75%にも及ぶ広範囲の米軍基地を一方的に沖縄県に押し付けていいと、真面目に思う神経の持ち主はそうざらにはいないからだ。わかっちゃいるけど、そうせざるを得ないというのが沖縄を除く46都道府県の心理である。普天間基地の度を越した使われ方は当の米軍関係者や米国の国防長官でさえ認めて、辺野古移転でことを収めようとした。あの時には、嘉手納基地への部分移転案から始まって佐世保基地や岩国基地への分散移転から、はては大阪湾での受け入れの可能性を口にしたひとまで、まさに百家争鳴の様相を呈したのである。しかし、どこも引き受け手はいない。今は元の木阿弥というか、それ以下のもっと酷い荒廃した気分が蔓延しているといえよう▼この事態を打開するには、前回述べたような日米地位協定の改定が必須だ。この作業を並行してやらずして、ただ単に右のものを左へという風に、今あるところからどこかほかのところへと移すというのではならない。辺野古移転を認めさせるためにこそ日米地位協定の運用改善でお茶を濁すのではなく、ドイツ並みに改定することが求められる。その交渉を実らせてこそ当面の基地島内移転も認めざるを得ない、となると見るのが現実的である。最近、柳澤協二氏と鳩山友紀夫氏が『最低でも国外』というギャグっぽいタイトルの対談本を出されたようだが、広告文を見ただけで読まぬうちに首を捻ってしまった。先日テレビを観ていると、戦後政治史の中で画期的だったのは、「沖縄返還の実現」であり、それを現実のものにした佐藤栄作首相の功績は偉大との発言場面に出くわした。ノーベル平和賞受賞もむべなるかなといった、コメントも寄せられていた。あれがなければ、未だに沖縄は米国の統治下にあるはずというのだ。それを聞いていて、沖縄は形の上では確かに日本に戻ったが、それゆえにこそ実質的には今も米国のものであり続けているという風に思われてならない。あの時に沖縄は日本に還らずに米国のもののままだったら。こう思うにつけ、北方領土との比較をせざるを得ない。あの北の4島は今なお「終わらざる夏」(浅田次郎)の元にあるが、南の沖縄は四季豊かな日本でありながら、70数年前からずっと「変わらざる夏」のままに推移している、と▼この度の九州地域を襲った大雨は甚大な被害をもたらしたが、日本では梅雨は未だ本格的には明けない。沖縄だけが梅雨明けを宣言して久しい。夏の観光旅行時期を前に、いち早く真夏の太陽のもとにある沖縄に心ときめかせている「沖縄好き」は多いに違いない。この人たちが、沖縄の空と海と陸に強い関心を持つ幾分かでも、「基地の島・沖縄の脱却」に目を向けたならば、と思う。井上章一(国際日本文化研究センター教授)さんが『京都嫌い』を出版して間もなく、ラジオで語っていた話が印象に残っている。京都の本屋の店頭に、平積みされたその本の横に「ほんまは好きなくせして」との小さなタテ看板があったというのだ。彼は思わず苦笑せざるを得なかった、と。この伝でいうと、世に「沖縄好き」は数多いが、その実、京都風に言うと「ほんまは関心ないくせして」というところかもしれない。(2017・7・15)

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