青年部を結成、壁新聞の発刊もー3年間の自治会長務めを終えて

姫路城のすぐ西側に位置する新在家自治会(城西小学校区)の自治会長をすることになって、あっという間に3年が過ぎました。約410世帯もの大所帯です。東京から生まれ故郷に引っ越してきたのが昭和の終り、1989年のこと。今のところに落ち着くまで4度も引っ越しましたが、どこでも自治会活動は妻任せ。地域活動ーゴミ出し、溝掃除から祭りなどーには顔出しすらしませんでした。ところが公職をおりて間もない4年前に、今住む地域の自治会の副会長を引き受けざるを得なくなり、1年やりました。我が地域には4つの区域に23の隣保があります。それぞれ平均すると約20世帯くらいの住民を受け持つわけです。あっという間に副会長の1年が過ぎると、今度は我が区から会長を出すという巡りあわせだということを知りました。会長も、副会長も任期は2年ですが、例外もあり、結局すったもんだの挙句に私が会長を引き受けざるを得なくなってしまったのです■というわけで、2年が過ぎましたが、後継者難で結局1年延長。何とかこのたびは後を継いでいただける方を発見し、拝み倒して引き受けてもらい、私は新設の相談役に就任した次第です。この3年の間に色々なことに手を付けましたが、客観的に見て一番評価されることは、青年部を作ったことでしょう。毎年10月に行われる秋祭りの最大の呼び物はご多聞に漏れず、屋台巡行です。姫路の南部地域では全国に名を馳せる「灘の喧嘩祭り」がありますが、それには到底及びつかないものの、それなりに魅力があります。私も当初はあまり乗り気ではなかったのですが、やがてその魅力に嵌りました。若者が重い神輿を担ぎ、それを老人や女性、子どもたちが囃す。やって見ると中々の面白さです。皆で力を合わせ一つのことを成し遂げる喜びです。屋台を担ぐには最低40人ぐらいの若者が必要ですが、これまでいつも大騒ぎしてギリギリの人数をかき集めるのが精いっぱいでした。それを就任一年目の祭りのあとの「打ち上げ」の場で、皆に青年部を作ろうと提案。賛同を頂いたのです■それには十数年も前から、少年野球の指導をやってくれている壮年の存在があります。この人を中心に毎年祭りの運営が行われてきていました。その息子さん(30歳代後半で小学校の先生)が、かつて父親のコーチのもとに少年野球をやっていたのです。その仲間たちが今やいい青年になっています。そこで、この青年教師を中心にして青年部を結成しようと呼び掛けました。昨年は様々な活動を率先してやってくれ、ついに正月の「餅つき大会」まで企画運営をしてくれることになりました。また、昨年の祭りの終わった時点で、役員の新旧交代をすることにしました。その際に、永年祭りを仕切ってきた壮年が若い世代と交替することに、感極まってしばし声が出なかったことは、大いなる感動を呼んだものです■また、女性のお年寄りを中心に「百歳体操」なるものを毎週水曜日に開催。参加者が少しづつながら増えて、皆本当に楽しいと言ってくれてるのにはホッとします。これは中心になる二人の女性の存在が大きいのです。昨年参加者の皆さんの持ち寄りの品々や手芸ものでバザーを開催するまでになったことも嬉しい限りです。市の高齢者活動を担当する方が、「ここまで活発な自治会は珍しい」と褒めてくれています。ただ、課題も残っています。私が就任する直前に解散した「老人会」を復活させるべく、名前を「超青年クラブ」と替えて、春の桜見物、秋の紅葉狩りとバス旅行をやってきましたが、結局はそれだけで進展はなし。今後の課題として新会長に引き継がざるを得ません。個人的に最も大きな仕事だと自負しているのは、「新在家ニュース」という名の壁新聞(A4版)を発刊したことです。毎月一回発行し、2年を越えて続けてきており、既に27号を数えています。地域内に住む医師や数学者、杖術道指導者らに講演、実技を披露してもらって、それを掲載してきました。また、地域内の飲食店の紹介も好評を博しました。今は「播磨の写真風土記」をプロはだしのカメラ好きに連載してもらっています。もともと新聞記者だったのに編集長になれずに政治家に転出した私ですが、70歳を過ぎて遂につかんだ編集長の座に一人にんまりしている次第です。(2018・3・31修正)

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