子どもたちの叩く太鼓の音から生命力を

先月に続き上京した。今回の目的はかつての市川公明党書記長の番記者たちとの懇親会に元広報局長として同席することや国交省、経産省への要望ごとなどだったが、たまたま26日の夜に昔の仲間が阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンでライブコンサートをするというので出かけることにした。30歳代半ばに別れたきりだったから、およそ30年ぶりの再会だった。6歳ほど年下だから団塊世代の最後だろう。早大で学んだことは知っていたが、テナーサックス奏者になったことは知らず、また奥方がピアノを弾きながらソプラノの美声で唄う音楽家だということもつゆ知らなかった。お琴と横笛など和楽器を見事に演奏する女性奏者も加わっての3人のライブは夏の終わりの夜を過ごすに相応しいものであった▼大学時代に教師から、なんでもいいから生涯を通じてやる運動を一つ持てと言われ、加えて演奏出来る楽器も一つもつといいと教わった。しかし、どちらにも縁遠かった。辛うじて60歳からジョギングをやり始めた程度。楽器となるとからきし出来ない。それどころか元々ピアニストとなるべく3歳から英才教育を受けていた妻を、長じてピアノから遠ざけてしまう因を私が作ってしまった。代議士の妻とピアノ弾きは両立出来なかったのである。お琴を弾く女性に憧れた若き日の思いを、記憶の闇から手探りで手繰り寄せながらの一時間余りはあっという間だった▼一転、姫路に帰ってからは自治会の秋祭りの準備で子どもたちによる和太鼓の練習に付き合う羽目になった。付き合うといっても練習会場の公民館に待機するだけで、何か非常のことが起こった際の対応要員に過ぎない。ところがそれが思わぬ機会になった。小学校1年生から6年生までの男女20人ほどの子どもたちの生態は滅多にお目にかからぬものだけに、一挙手一投足が面白い。ワイワイガヤガヤ、まことに落ち着きがなくうるさいことおびただしい。練習用に用意された古タイヤをバンバン叩きながら、「エンヤコーリャ、ドッコイ」「ヨイサー」などなどの掛け声をあげていく。当方は、観察するだけなのだが不思議なほどの生命力が漲ってくる▼教えるのは自治会の年配の幹部。年季が入っているというのか、まことに子どもの扱いがうまい。「何をへらへら笑おうとるんや」「もっと真面目にやれ」「やりたくないんやったら、やらんでもええで」「皆の真剣な姿や音にお父さんやお母さんは元気が出るんや」などと巧みに指導する。子どもたちも段々と真顔に。そんな合間に就学前の幼児や保育園児などがギャーギャーと歓声を挙げながら辺りかまわず飛び駆け回る。そんななかでじっとしているというのも決して楽じゃあない。しかし、ぼーっとしてるわけにもいかないので、本を開き読むことにした。かつて「忙中本あり」と銘打って静かな新幹線車中での心騒ぐ読書に没頭した私も、今では子どもたちの叩く太鼓の音や幼児たちの挙げる歓声や走り回る音のさなかにあって、心穏やかに読んでいるのだ。(2014・9・30)

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